作品が描く「愛」の解釈にコメントする

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takaaki
takaaki
1年以上前
この作品を連載開始から読み続けて17年以上、第26巻に収録の「その日②」を読んだ時、一読者として非常に感慨深いものがあった 「綺麗事過ぎる話だ」、「いくらなんでも美し過ぎる描写だ」、そう感じる人もいるかもしれない でもこの展開と描写こそが、作者が長年の連載を通して描きたかった「愛」に対する1つの解釈だと感じるのだ 「……気安く愛を口にするんじゃねェ」 幸村誠氏の作品を読み続けてきた自分は、ヒルドが自分の父の仇であるトルフィンを赦すと言った時、前作「プラネテス」最終話のこの台詞が頭に浮かんだ きっと幸村氏もこの台詞を意識しながら、長年に渡ってヴィンランド・サガを日々描き続けてきたのだろう この作品の序章には、次のような描写がある 「……ならば親が子を… 夫婦が互いを ラグナルが私を大切に思う気持ちは 一体なんだ?」 「差別です 王にへつらい奴隷に鞭打つこととたいしてかわりません」 幸村氏は「愛」というものに対して、「ほとんどの人が到達困難なもの」と考えていると、自分は感じている 26巻でヒルドがトルフィンに「お前は真の戦士だ」と伝えるシーン、その瞬間において2人の顔は、はっきりとは描かれていない このような描写も、この「ヴィンランド・サガ」が持つ凄まじさだと自分は感じるし、「真の戦士」と伝えてはいても「本当の戦士」と伝えてはおらず、今後の展開も気になってしまう 数多くのフィクション・ノンフィクション作品で語られ続ける「愛」とは、いったい何なのか? この作品を読む度に、自分はそれを考えさせられるのだ

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takaaki
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1年以上前
この作品を連載開始から読み続けて17年以上、第26巻に収録の「その日②」を読んだ時、一読者として非常に感慨深いものがあった 「綺麗事過ぎる話だ」、「いくらなんでも美し過ぎる描写だ」、そう感じる人もいるかもしれない でもこの展開と描写こそが、作者が長年の連載を通して描きたかった「愛」に対する1つの解釈だと感じるのだ 「……気安く愛を口にするんじゃねェ」 幸村誠氏の作品を読み続けてきた自分は、ヒルドが自分の父の仇であるトルフィンを赦すと言った時、前作「プラネテス」最終話のこの台詞が頭に浮かんだ きっと幸村氏もこの台詞を意識しながら、長年に渡ってヴィンランド・サガを日々描き続けてきたのだろう この作品の序章には、次のような描写がある 「……ならば親が子を… 夫婦が互いを ラグナルが私を大切に思う気持ちは 一体なんだ?」 「差別です 王にへつらい奴隷に鞭打つこととたいしてかわりません」 幸村氏は「愛」というものに対して、「ほとんどの人が到達困難なもの」と考えていると、自分は感じている 26巻でヒルドがトルフィンに「お前は真の戦士だ」と伝えるシーン、その瞬間において2人の顔は、はっきりとは描かれていない このような描写も、この「ヴィンランド・サガ」が持つ凄まじさだと自分は感じるし、「真の戦士」と伝えてはいても「本当の戦士」と伝えてはおらず、今後の展開も気になってしまう 数多くのフィクション・ノンフィクション作品で語られ続ける「愛」とは、いったい何なのか? この作品を読む度に、自分はそれを考えさせられるのだ
ヴィンランド・サガ
贖罪の物語
ヴィンランド・サガ 幸村誠
toyoneko
toyoneko
ヴィンランド・サガは、ずーっと昔に最初のあたりを読んだきりだったんですが、機会があったので最新刊(26巻)まで一気読みしました いい作品でした…。本当に真摯な作品です 描かれているのは、主人公トルフィンの成長と、そして贖罪の姿 父の仇への仇討ちのためとはいえ、罪なき人々を殺し続けたトルフィンが、平和な国の建国を目指す物語です 本来であれば、多数を殺した人間は、死をもって償うしかありません しかし、逆にいえば、死をもって償えば、それで終わりです 本作は、トルフィンに対し、そんな安易な贖罪は許さず、もっとも困難な償いの道を選択させます これは、トルフィンにとっても困難な道ですが、作者自身にとっても本当に困難な道のはずです それなのに、作者の幸村誠先生は、その困難な道を、説得力をもって描き続けている それがひとつ結実するのが、26巻の最後に収録されている話で(191話「その日」)、いやぁもうたまらないですねコレ 敵を殺すという選択肢を排し、可能な限り敵対以外の選択肢を選び取って困難を乗り越えていくトルフィンは、本当に立派で、応援したくなります もちろん、物語は終わっておらず、贖罪も終わってはいませんし、トルフィンの贖罪は、どこかで終わりが来るという性質のものでもありません また、なんだかんだ描きましたが、結局、最終的にはトルフィンの死をもって全てを清算することになるのかもしれません しかし、だからといって、トルフィンのしてきたことが無駄というわけではありません 贖罪の本質というのは、結果ではなく、そこを目指す道筋そのものです トルフィンの生き方は、周囲の人々の生き方にも大きな影響を与えていますし、メタ的には、読者の生き方にすら、影響を与えているのかもしれません 本当に、素晴らしい作品です
キメねこの薬図鑑
数gで宇宙や神へと至る物質 #1巻応援
キメねこの薬図鑑
兎来栄寿
兎来栄寿
SNSで大人気のキメねこさんによる、自称「卓越した道徳的書物」。表現の自由の極北を驀進していく1冊です。 大麻やLSDから始まり、さまざまな合法市販薬から海外で売られているキノコや薬物などの詳細なレポートマンガ、また自身が逮捕された際の留置場生活のレポートマンガなどが盛り込まれた内容です。フィクションで実在のものとは関係ないとのことですが、良い子のお友だちは真似しないでくださいね。 担当編集は『地元最高!』、『ゴールデンドロップ』、『ごくちゅう!』などでもお馴染みの草下シンヤさんということからで、内容とクオリティについては一定の安心感が生まれます。 かわいいフルカラーの絵でありながらリアルに描かれるさまざまな薬物やその使用レポート、世界の見え方の変容などはマンガという媒体の長所を生かし切っており、視覚的に解りやすく描かれています。自分と世界の区別がつかなくなるさま、音が見えたり味が輝いたりするさま、幻視や幻覚、圧倒的感謝……。 幾何学的模様が見えてくるのは、自然界において存在する黄金比のように視覚野と生命科学が生む美しい秩序であるという節などは、なるほどと得心しました。 ″神への直通回線″と呼ばれる宇宙最強の幻覚剤「アヤワスカ」など、自分では絶対に使いたくはないものの好奇心はそそられる対象についても詳述されていき面白いです。 「TDLでLSD」 「真昼のエレクトリカルパレード」 「★大麻(ガンジャ)に感謝――――――!!」 「成人は4錠、しかし聖人であれば20錠以上は飲んでおきたい」 などなど言語感覚の良さに笑わされてしまうところも多々。 他方で、 「存在するのは、毒だと分かっていても、刹那的な夢を見ようとして、取り憑かれ、堕落してしまう人間の悲しき性だけである」 といった名文もあり、さまざまな味わい深さがあります。 『ミッドサマー』のトリップ描写は解像度がとても高く正確、などの普通に生きている上ではまず見聞きしない類の情報に溢れており、普段刺激されない部分を刺激してくれます。 「絵描きの不幸はある意味で幸いである なぜなら漫画の出力を誘うためだ」 で始まる、大麻取締法違反で逮捕された際の モノクロで描かれる留置場レポートも面白く、作者のエッセイ系マンガの上手さを感じさせられます。いえ、フィクションだそうですけどね。 「ここが留置場かぁ〜  テーマパークに来たみたいだぜー」 と野原ひろしになってる場合ではない、とツッコミを入れたくなるところや 「今ち◯かわってどうなってる?」 「ち◯かわも牢屋入ってるよ」 といった会話にも笑わせられました。 終盤で出てくる、普通に生きるのには向いていなかった筆者が語る 「創作の世界だけは人格的な部分にとらわれず  最終的な成果物のみで評価してもらえる  極楽浄土です」 という言葉は胸に残りました。 大麻の合法化についてはさまざまな議論もありながら、世界的な潮流としては合法化される国が増えてきていることも言及されています。まともな議論の土台となる知識を得ようとしても、日本では違法であるためまずその第一歩が難しい状況にはあり、そういったときにこうした作品の存在がその一助になることはあろうと思います。
ごみをひろう
ゴミが付着した缶やペットボトルはリサイクルできるのか? #1巻応援
ごみをひろう
兎来栄寿
兎来栄寿
「町田洋さんが新作マンガを描かれている」 その事実だけで世界の彩度が上がるような、祝福を覚えるような心持ちになります。 Kindle限定で突如発売された、この新作『ごみをひろう』は「ごみひろいを描く連作シリーズ」ということだそうです。 1P目からいきなり想像上の妻(なぜか星の見えるソファの上で歯ブラシを持っている)と会話を始める辺りの幻想感がとても町田洋さんらしいのですが、読み進めると思った以上に実務的な内容でした。 恐らく、皆さんも疑問に感じたことがあるのではないかと思います。汚れやゴミが付いてしまっていたり、飲み残しがあったりする缶やビンやペットボトルは、どこまでを資源ゴミとして出してどこからを燃えないゴミとすればいいのか。ふせん、シールの台紙、ねぎのテープはそれぞれ何ゴミに分別すべきなのか。 想像上の妻のように気にしない人はまったく気にしないであろうもの。しかし、気になる人はとことん気になるであろう事柄。 自治体によっても違いがあるのでこれが絶対という訳ではないですが、一度調べて子供とこうした境界線上にあるものをクイズ形式で検討し合ってみたら、良い学びの機会になりそうだなと思いました。 人が活動する場所では必ずゴミは生じ、美しい景色は何もせずには保てず誰かがごみを拾ったり掃除をしたりして綺麗になっている。それは当たり前にやられていても決して当たり前のことでなく、価値ある尊い営為であるということを静かに語りかけていってくれます。こうした人によってはまったく気にも留めない世界の片隅に向けられる眼差し、そこから情緒豊かに掬い語る様は、町田洋さんの素敵なところです。
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