斜陽の国が舞台の巧妙なストーリー、そして「動く」マンガにコメントする
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いさお
いさお
1年以上前
「東独にいた」は、解体前夜の東ドイツで発生するテロをめぐる群像劇です。ヤンマガサードで連載しています。 主人公アナベルは軍人です。彼女は小さな本屋の店主、ユキロウに想いを寄せており、足繁く本屋に通う乙女な一面がある一方で、軍人として、テロリストを束ねる反政府組織との壮絶な戦いに身を置いています。 しかし、彼女はもちろんこのことを知りませんが、ユキロウこそ、実はその反政府組織の総指揮官なのです。 本作が描くのは、そんな2人の捻れた関係です。 アナベルは、軍人である自らの所業を肯定するために、斜陽の祖国を愛そうとする。 ユキロウは、祖国を愛するがゆえに、自らの信念に従って、斜陽の祖国を断罪する。 だから、アナベルは、愛国心を裏に秘めたユキロウたちに一種の憐憫を覚えてしまうし、ユキロウは、自らを肯定したい気持ちを裏に秘めたアナベルに、不思議な共感を抱いてしまうのです。 しかし、アナベルとユキロウは、もう引き返せないほどに、互いに相容れない立場に捉われてしまっている。 そんな先の見えない2人の行方に、いつのまにか目が離せなくなっていくのです。 また、本作の魅力は、こうした巧妙なストーリーだけではありません。 もはや「マンガであること」をやめかけていると言っていい独特な表現技法も、本作を語るに欠かせない特徴の一つです。 まず、本作のコマ割りは、非常に「動画性」を意識しているように思われます。何コマも連続して、同じカメラ視点から同じキャラの動きを描く場面が頻繁にあり、パラパラマンガのようにキャラが動いて見えるのです。 また、そのコマ毎のキャラの動きを大きくすることで、瞬間移動のような速さを表現するとか、逆にコマ毎のキャラの動きを極端に小さくして、その間に心の中でのセリフを大量に入れることで、そのキャラの思考の速さ、スローモーション動画のような感覚を覚えさせる、といった表現が多くとられています。 そうした表現に、これまた本作に特徴的な絵の簡素な雰囲気や、白黒を基調とした陰影に溢れた色遣いが重なってくる。 そんな本作を読んでいると、まるで往年の白黒映画を鑑賞しているかのような、静止画である「マンガ」ではおよそ体験しえないはずの不思議な感覚に捉われていくのです!この表現体験、一度は皆さんに味わっていただきたいです! 内容、表現、ともに一級品の作品です。 2019年末に1巻が出たばかりと、すぐに追いつけます。ぜひ、手にお取りください!!

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いさお
いさお
1年以上前
「東独にいた」は、解体前夜の東ドイツで発生するテロをめぐる群像劇です。ヤンマガサードで連載しています。 主人公アナベルは軍人です。彼女は小さな本屋の店主、ユキロウに想いを寄せており、足繁く本屋に通う乙女な一面がある一方で、軍人として、テロリストを束ねる反政府組織との壮絶な戦いに身を置いています。 しかし、彼女はもちろんこのことを知りませんが、ユキロウこそ、実はその反政府組織の総指揮官なのです。 本作が描くのは、そんな2人の捻れた関係です。 アナベルは、軍人である自らの所業を肯定するために、斜陽の祖国を愛そうとする。 ユキロウは、祖国を愛するがゆえに、自らの信念に従って、斜陽の祖国を断罪する。 だから、アナベルは、愛国心を裏に秘めたユキロウたちに一種の憐憫を覚えてしまうし、ユキロウは、自らを肯定したい気持ちを裏に秘めたアナベルに、不思議な共感を抱いてしまうのです。 しかし、アナベルとユキロウは、もう引き返せないほどに、互いに相容れない立場に捉われてしまっている。 そんな先の見えない2人の行方に、いつのまにか目が離せなくなっていくのです。 また、本作の魅力は、こうした巧妙なストーリーだけではありません。 もはや「マンガであること」をやめかけていると言っていい独特な表現技法も、本作を語るに欠かせない特徴の一つです。 まず、本作のコマ割りは、非常に「動画性」を意識しているように思われます。何コマも連続して、同じカメラ視点から同じキャラの動きを描く場面が頻繁にあり、パラパラマンガのようにキャラが動いて見えるのです。 また、そのコマ毎のキャラの動きを大きくすることで、瞬間移動のような速さを表現するとか、逆にコマ毎のキャラの動きを極端に小さくして、その間に心の中でのセリフを大量に入れることで、そのキャラの思考の速さ、スローモーション動画のような感覚を覚えさせる、といった表現が多くとられています。 そうした表現に、これまた本作に特徴的な絵の簡素な雰囲気や、白黒を基調とした陰影に溢れた色遣いが重なってくる。 そんな本作を読んでいると、まるで往年の白黒映画を鑑賞しているかのような、静止画である「マンガ」ではおよそ体験しえないはずの不思議な感覚に捉われていくのです!この表現体験、一度は皆さんに味わっていただきたいです! 内容、表現、ともに一級品の作品です。 2019年末に1巻が出たばかりと、すぐに追いつけます。ぜひ、手にお取りください!!
この世界の片隅に

漫画と映画を久しぶりに見返した!

この世界の片隅に
かしこ
かしこ

2025年のお正月にNHK広島放送で映画「この世界の片隅に」が放送されたのは、今年で原爆投下から80年が経つからだそうです。この機会に私も久しぶりに漫画と映画をどちらも見返してみました。 やはり漫画と映画の一番の違いはリンさんの描き方ですよね。漫画では夫である周作さんとリンさんの関係について触れられていますが、映画ではありません。とくに時限爆弾によって晴美さんと右手を失ったすずさんが初めて周作さんと再会した時に、漫画ではリンさんの安否を気にしますが、映画ではそれがないので、いきなり「広島に帰りたい」という言葉を言い出したような印象になっていました。映画は子供のまま縁もゆかりもない土地にお嫁に来たすずさんが大人になる話に重点を置いているような気がします。それに比べると戦時下無月経症なので子供が出来ないとはっきり描いてある漫画はもっとリアルな女性の話ですよね。だから漫画の方が幼なじみの海兵さんと2人きりにさせた周作さんに対して、あんなに腹を立てたすずさんの気持ちがすんなり理解することが出来ました。個人的には男性達に対してだけではなく、当時の価値観で大事とされていた後継ぎを残せない自分に対しての悔しさもあるのかもしれないと思いました。けれどもあえて女性のリアルな部分を描きすぎない選択をしたのは、原作である漫画を十分に理解してるからこそなのは映画を見れば明らかです。 久しぶりに漫画と映画を見返してどちらも戦争が普通の人の生活も脅かすことを伝えているのはもちろん、すべてを一瞬で無いものにしてしまう核兵器の恐ろしさは動きのある映画だから強く感じた喪失がありました。そして漫画には「間違っていたら教えて下さい 今のうちに」と巻末に記載されていることに初めて気づきました。戦争を知らない私達が80年前の出来事を想像するのは難しいですが、だからこそ「この世界の片隅に」という物語があります。どんなに素晴らしい漫画でもより多くの人に長く読み続けてもらうのは大変なので映像化ほどの後押しはないです。これからも漫画と映画どちらも折に触れて見返したいと思います。

とうどくにいた
東独にいた 1巻
東独にいた(2)
東独にいた(3)
東独にいた(4)
東独にいた 5巻
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