あの頃のジャンプファンは楽しめます!
平松先生のマンガは実はそこまで読んでなく、どす恋ジゴロ以来となります。わたしがジャンプを購読していた時は、ブラックエンジェルズなどを連載されていました。そんな平松先生の自伝的マンガとなります。 平松先生のマンガをそこまでチェックしていなくても、80年代のジャンプが好きだった方であれば楽しめると思います。ちなみに登場する人物はざっとですが、以下のような感じです。 中島徳博先生:平松先生のアシスタント先の先生。アストロ球団を執筆中の大人気作家。 本宮ひろ志先生:ジャンプ編集部にカチコミ中のところに遭遇。男一匹ガキ大将を執筆中の大人気作家。 武論尊先生:平松先生の連載デビュー作であるドーベルマン刑事の原作者。のちに北斗の拳の原作も手がける大人気作家。 高橋陽一先生:平松先生のところにアシスタントとして滞在。のちにキャプテン翼を連載することとなる大人気作家。 猿渡哲也先生:同じくアシスタント。のちに高校鉄拳伝タフを連載することとなる大人気作家。 江口寿史先生:パーティーで意気投合。すすめ!!パイレーツやストップ!!ひばりくん!などを連載する大人気作家。 権藤狂児:初代担当編集。モデルは後藤広喜。のちの4代目ジャンプ編集長。 魔死利戸毒多:2代目担当編集。モデルは鳥嶋和彦。Dr.マシリトでお馴染みの敏腕編集者。のちの6代目ジャンプ編集長。 真髄栄加元:3代目担当編集。モデルは松井英元。 中剛裕次郎:ドーベルマン刑事連載中のジャンプ編集長。モデルは中野祐介。2代目ジャンプ編集長。名著「男の条件」を愛読。 仁死村繁樹:同副編集長。モデルは西村繁男。のちの3代目ジャンプ編集長。口癖は「地獄に堕ちろ」。 執筆にのめり込んでくると外道と化してくる平松先生ですが、たしかにブラックエンジェルズは当時のジャンプ掲載作品でも、冷たいカミソリのような唯一無二の他にはない雰囲気を放っており、すごく納得がいきました。真面目に読んだことないですが、読んでみようかと思いました。 あとブラックエンジェルズの他に、愛読者賞用に書いた「ミスターレディー」(不良たちで荒れた男子校に赴任してきた金髪ナイスバディの女性教師がエロい魅力で不良たちを更生し、裏番長との決闘にて女の武器をご開帳しKOするストーリー)が猛烈に気になっています。 川崎のぼる&梶原一騎両先生の「男の条件」も登場しますので、同先生のファンの方にもおすすめです。
第4巻で終了(第一部・完とはなっているが)。
第4巻での平松先生のコメント
「残念ながら・・」は本音だろうな、と思う。
本気でご自身の集大成的な漫画にしようと
連載開始時には考えていたのだろうと思う。
もっとも漫画家の先生は皆さんが一作一作ごとに
最高傑作にしようと思って描き始めるだろうし、
そう思っていても結果が出ない漫画が多いのだろうから
「そういう一作品に終わった」ってことになるけれど。
自分はこの作品を読んで面白いと思ったので
4巻で終わってしまったのは残念だった。
作中に描かれていた平松先生の努力や苦悩や失敗、
それらはまさに実体験から生まれた迫力が
感じられると思ったので。
だが掲載雑誌での人気アンケートで不評で、
単行本の売れ行きも芳しくなかった、というのは
解る気もする。
あくまでも自伝「的」漫画であるとか
フィクション混みで描いていると
平松先生自身が作中で明言したりしていたので、
読者としても、どうしても一歩引いて
見ざるを得なかった。
編集者が木刀を振り回す時点で読者だって
「あ、フィクションを入れてる」とは理解する。
けれど作者自身から作中で
「プロレス的だった」とか
「だいぶフィクションが入っている」とか
言われてしまっては、
読者としては話しにノレなくなってしまう。
「そしてボクは外道マンになる」だけれども、
平松先生自身の実体験を描きながらも
そこにフィクションを加えるなら、せめて
「フィクションだけれど俺がそう感じたという
真実を描いているんだ」
と開き直って欲しかった。
そうであれば後半に登場した
「本来は存在しえない」外道マンも、
編集さんやアシスタントさんや奥さんの
内面的な判断や心情に関する
「ホントにそう思ったか確認しようがない」心理も、
「これは平松先生が感じた真実なのだ」
として素直に受け入れられたと思う。
具体例をあげれば第4巻での
権藤さんとの殴り合いのシーン。
権藤さんがどう思って殴り合っていたか、は
後に平松先生の推測としてかかれてはいるが、
ここでは触れていない。
このシーンは凄くいいと思う。
後に「推測で」権藤さんの気持ちを書いたことも。
だがここで編集・真髄の内心・感想を
描く必要はなかったと思う。
あえて描くのなら
「真髄のヤローは、こう思っていたに違いない」
と、自身の独断的感想として描いたほうが
読者もノレて読めたと思うのだ。
独断だから正しい保証はないが、
平松先生がそう感じたのは真実なんだな、と。
漫画ってのは、ありえないことをありえないと意識させずに
面白おかしく楽しく読者に読ませるものなのかもと思う。
ドーベルからブラックまではそれが上手く出来ていた、
だが皮肉なことに自伝漫画を描くことになったときに
その辺で少し、先生と読者の間にあるズレが
顕著に表面化してしまったのかもしれない、と思う。