横だが、兼ね同意だけど

>他人のトラウマを踏みにじって「知らなかった」では済まされない

「トラウマ」って本来他者が知るものではないから
(知ってたら怖いけど)踏みにじるって表現はおかしいと思う。

生活の中で我々は知らずに人のトラウマに触れてしまったりする事があるかもしれないが人間生きていればそういう事もあると思う。
他人の抱えてるトラウマなんて把握できないし、それで「知らなかったでは済まされない」と逆切れされても困る。
まあトラウマを知ってて悪意でそれを突いたらそれは「踏みにじる」という表現が正しいが。

別に脳ミソお花畑の早乙女を庇う訳じゃないけどさ~他人のトラウマを踏みにじって知らなかったでは済まないって、君は他人のトラウマ分かるの?自分が気付いてないだけで知らない内に他人を傷付けてるかもよ?
他人のトラウマなんて様々なんだから、幸せそうな家族がトラウマって人もいるし水や異性や犬、スノーボードがって人も知ってる。人それぞれ密かに抱いてる辛い体験があるのだし、近しい身内なら触れないよう接することが可能だけど他人はそんなこと知るよしもないはずじゃん?エスパーじゃないんだから「知らなかったじゃ済まない」って随分横暴だよ。
そんなにトラウマ対応してほしいなら極論だけど最初から「私アメフト時代に部員から見放されたトラウマあるからそういうのやめて」とか早乙女達に自己申告すれば良かったのか?
なら自分が絶対正義という独裁的考えをまず改めんかい!ってなるな。

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モリのアサガオ

死刑を執行する刑務官

モリのアサガオ
かしこ
かしこ

死刑という重いテーマと真正面から向き合った作品です。父親のコネで刑務官になり死刑囚と接することになった実直な主人公の及川。凶悪殺人犯のことが怖いと感じるのは彼らのことを理解しようとしないからだ…という考えに至ってからは、積極的に彼らと関わり更生の道を一緒に模索するようになります。しかし心を入れ替えて自らの罪と向き合ってもすでに決まっている死刑からは逃れることは出来ません。いくら凶悪殺人犯とはいえ国が人を殺してしまう、命を持って罪を償うという死刑制度は本当に正しいのか、主人公は疑問に思うようになります。 登場する死刑囚たちの中でも渡瀬という男と主人公の物語を主軸に描かれていますが、個人的には食堂を経営していた家族を惨殺してしまった星山がメインの回が一番心に残りました。主人公が人形を手作りして家族というものを思い起こさせて自分の罪を認識させることに成功する訳ですが、改心してすぐに死刑が執行される展開にはなんとも言えなくなりました。そういう流れを組みながら親友と言えるまで深い仲になった渡瀬からの「死にたくない」という望みを主人公が却下したのには驚きです。最終的には疑問を持っていた死刑制度についても、死と向き合うことが自らの罪を反省するきっかけに繋がるんじゃないかという考えになっていました。 しかしモリのアサガオ2で、渡瀬の死に携わってから主人公が精神を病んだことが描かれていて、やはりこの問題は深い森の中にあるのだなと思いました。

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