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名無し
1年以上前
9巻でこの事件は被害者の会の逆恨みによるものであって、法律上テロには該当しないということになっていたが、怨恨による殺人の場合、基本的に関係ない人を巻き込むことはない。 しかし、この事件では八木兄妹をはじめ捜索隊など多数の無関係な人たちがその地域に居合わせたというだけで犠牲になっている。もっとも悲惨なのは三ツ倉小屋の外にテントを張っていた人たち。猿側は完全なるテロ集団といっていい。 では、なぜ被害者の会が狂信的なテロ集団になってしまったのかというと、これは過去にもよくあったことだが、国や企業を訴える「被害者の会」のような集まりがマスコミなど世間一般から注目される組織に育つと、反社会的な集団に目をつけられ乗っ取られるということがある。 藤谷製薬の被害者の会の場合、第三者委員会によりシロ認定されてしまい怒りの矛先を失ってしまったので、余計にカルトが憑依しやい土壌が出来ていたのだろう。 カルト集団のトップは非常に攻撃的である。おそらく日本刀男とヤバイ猿がそれ。平然と殺人を犯し、しかも異常な身のこなし方からしてもその正体は某国の軍隊で特殊訓練を受けたテロリストではないか。 長谷川、林、水口は薬害の被害者として藤谷製薬への恨みを晴らすことを目的としているが、日本刀男とヤバイ猿の目的は被害者の会を利用して大量殺人を起こし社会不安をもたらすことを目的としているので動機がまったく別次元。 そんなことを今日温泉につかりながら考えていました。
この世界の片隅に

漫画と映画を久しぶりに見返した!

この世界の片隅に
かしこ
かしこ

2025年のお正月にNHK広島放送で映画「この世界の片隅に」が放送されたのは、今年で原爆投下から80年が経つからだそうです。この機会に私も久しぶりに漫画と映画をどちらも見返してみました。 やはり漫画と映画の一番の違いはリンさんの描き方ですよね。漫画では夫である周作さんとリンさんの関係について触れられていますが、映画ではありません。とくに時限爆弾によって晴美さんと右手を失ったすずさんが初めて周作さんと再会した時に、漫画ではリンさんの安否を気にしますが、映画ではそれがないので、いきなり「広島に帰りたい」という言葉を言い出したような印象になっていました。映画は子供のまま縁もゆかりもない土地にお嫁に来たすずさんが大人になる話に重点を置いているような気がします。それに比べると戦時下無月経症なので子供が出来ないとはっきり描いてある漫画はもっとリアルな女性の話ですよね。だから漫画の方が幼なじみの海兵さんと2人きりにさせた周作さんに対して、あんなに腹を立てたすずさんの気持ちがすんなり理解することが出来ました。個人的には男性達に対してだけではなく、当時の価値観で大事とされていた後継ぎを残せない自分に対しての悔しさもあるのかもしれないと思いました。けれどもこの選択をしたのは原作である漫画を十分に理解してるからこそなのは映画を見れば明らかです。 久しぶりに漫画と映画を見返してどちらも戦争が普通の人の生活も脅かすことを伝えているのはもちろん、すべてを一瞬で無いものにしてしまう核兵器の恐ろしさは動きのある映画だから強く感じた喪失がありました。そして漫画には「間違っていたら教えて下さい 今のうちに」と巻末に記載されていることに初めて気づきました。戦争を知らない私達が80年前の出来事を想像するのは難しいですが、だからこそ「この世界の片隅に」という物語があります。どんなに素晴らしい漫画でもより多くの人に長く読み続けてもらうのは大変なので映像化ほどの後押しはないです。これからも漫画と映画どちらも折に触れて見返したいと思います。

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