狂人関係

諸行無常の響きあり

狂人関係 上村一夫
野愛
野愛

天才浮世絵師・葛飾北斎という圧倒的な存在を軸に、弟子・捨八や娘・お栄らの生活を描いた作品。 捨八と彼を取り巻く女達の姿が艶っぽく、移ろいゆく四季と相まって心を掻き乱されるのです。 捨八への想いを内に秘めたまま彼を見守るお栄と、派手好きで大胆なお七、正反対のような女2人がなんとも魅力的。 どちらも激しくて悲しくて、どうしようもないくらいに「女」として描かれています。 個人的に一番感嘆したのはお栄の手の描写です。冬は北斎や捨八の世話を焼く手があかぎれだらけになり、だんだん暖かくなるにつれてもとの白い手に戻っていく。綺麗になった頃にはまた厳しい冬がやってくる。 季節の移り変わりとともに、お栄という女の強さと儚さがこの描写に凝縮されているように思います。 手が綺麗になっても、男と女が関係を持っても、浮世絵が完成しても、終わりに向かっているだけである。失われていくだけである。 激情に満ちていながらも、根底に流れる諦念のようなものが美しく儚い作品でした。純文学に出会えました。 決して理想的ではないけれど捨八に惹かれてしまうのは女の性だし女の業ですね。狂おしいほど好きです、捨八。

天竺熱風録

天竺を救った外交官、王玄策という男のロマン

天竺熱風録 田中芳樹 伊藤勢
ANAGUMA
ANAGUMA

中国史に詳しい方なら王玄策という人物をご存知なのでしょうか。 一行でまとめるなら彼は「出先のインドで投獄されたから脱獄して内戦に介入し、解決に導いた一介の外交官」といえます。「そんなマンガみたいなやつがマジでいたのか?」と思って読むわけですが、どうやら居たようです。完全に居た。『天竺熱風録』を読めば分かる。 より興味を持っていただくためにもう少し王玄策のことを紹介しましょう。 7世紀・唐の時代、玄奘三蔵法師とほぼ同時代の人物だといったらわかりやすいはず。王玄策も三蔵法師と同じく、天竺(インド)の地を踏んだ人物です。もっとも彼は僧侶ではなく修好使節団のリーダー、すなわち外交官でした。 本作で描かれるのは王玄策の二度目の天竺行で、これがなんとも波乱に満ちた旅となります。 やっと辿り着いたインドは交流のあったハルシャ王が死去しており、得体のしれない集団が王権を握っている状態。玄策は簒奪王アルジュナに仲間を殺されたうえ、使節団まるごと投獄されてしまいます。 極限状況で彼が導き出したプランは、 ①脱獄して隣国ネパールに向かう ②ネパール王に助力嘆願して兵力を借りる ③友軍とともに天竺の首都カナウジに舞い戻る ④アルジュナをボコる ⑤仲間を救う。HAPPY!! という大胆不敵なものでした。詳しく書くほどに「マンガか?」となるわけですがどうやら歴史上の人物らしい。 彼がどう決断し、次に何を見せてくれるのか「一体どうしてこんなことが出来ちゃったんだ?」と結果がわかっていても常にワクワクドキドキです。伊藤勢先生が「外交山師」と評するとおり、武力に頼るのは必要最小限、血を流さず知恵によって状況を打開しようとするスタンスも魅力的なんですよね。 そして賢い彼を取り巻くキャラクターも全員キレ者揃いでとにかく話が早い。頭のいいキャラクター同士が会話しているときの気持ちよさがずっと続きます。 特にネパール軍のラトナ将軍が超イカす!気がつけば彼女の麾下の兵士と声を揃えて将軍を全力で推していることでしょう。 当時の軍事状況や地政学的な知識に裏付けされた描写も圧巻で「7世紀のインドってこんな雰囲気だったんだろうな」という説得力が半端じゃありません。インドを旅したこともあるという伊藤先生のあとがきは本編を読み解くうえで最高のコラムです。 一方でマンガ的なケレン味もバッチリ備わっていて、具体的には怒りのデスロードを爆走しているかのような象戦車とかが出てきます。歴史の知識がしっかりあるから遊び心も映えるんだなぁ。 「原作を読んだときにぱっと絵が浮かんだ」と語られるラストカット、これがまた最高にシビれるのでぜひ最後まで読んでいただきたい次第…インドの風を感じながら、ロマンあふれる男の生き様をド級のエンターテインメントとともに味わえる快作です。