(とりあえず)名無し1年以上前ちばあきおの『チャンプ』を読むといつも、「ああ、この先を読みたかった…」と感じる。 遺作となってしまい未完のまま残された多くの作品、夏目漱石の『明暗』とか太宰治の『グッドバイ』とか、あるいは、モーツァルトの『レクイエム』などと、同じ感慨を抱くのです。 漫画にも、未完となってしまった作品は多くありますが、こう感じられるものは他にないんですよね。 ちばあきおのボクシング漫画を、もっと読みたかった。 嗚呼。チャンプ 不朽の名作…になるはずだったもの34わかる
しろねこ1年以上前わかります…途中まではとてもよかったのですが 終わり方が雑というか…もう少し伸びても 良かったと思うし、それにシリウスとモンスーン側 慈悲を与えてもいいんじゃないかって思いました…銀牙~THE LAST WARS~あの最終回に納得しているのか?15わかる
名無し1年以上前神々の山嶺は、まず夢枕獏先生の小説を 読んで感動した。 だが、谷口ジロー先生による漫画版は なかなか手にとらなかった。 もともと谷口ジロー先生の絵柄が好きじゃなかったので。 凄く描き込んでいらっしゃるけれど、 硬質というかクールというか、 登場人物の表情が冷めている感じがして そのあたりが好みでなくて読んでいて ノレない感じがして。 それに加えてというか、そう思っていたからというか、 小説で感じた自分の感動とは、全く違う視点で 漫画版は描かれているのではないかと思ったので 漫画版を読むまでには時間がかかった。 けれども実際に読んでみて恐れ入った。 そもそも自分は登山なんかしたことはない。 8000m級の山の眺めなど写真でしかみたことがない。 そんな実際に見たことが無い風景をまるで 自分が今、見ているかのように感じさせて くれたのが夢枕獏先生の神々の山嶺だった。 しかし谷口ジロー先生の漫画は、 自分が小説で感じて心に描いた山の風景を 迫力でも超えながら幻想的にも見せてくらわせてくれた。 そのうえに、私が嫌いだった硬質な表情の登場人物たちが 表情の下にある感情を感じさせてくれた。 登山なんて美味い空気と良い眺めは味わえるかもしれないが、 疲れて危険で下手すりゃ代償として死ぬかもしれなくて。 たとえ世界最高峰に到達してもワリがあわない世界だと 感じていた。 今でもそう感じてはいる。 だが、そんな世界に身を投じなければ 生きている価値を感じない、 生きていると実感出来ない、いや、 生きている意味が無いと感じる男もいるらしい。 けして滑落死や凍死をするために登るわけではない、 だが、落ちることがありえない日常では 生きていると実感できない。 山男が皆がそうではないだろうけれど、 そういう男も山男の中にいる、ということかと 朧気に想像している。神々の山嶺登らなければ落ちないのに11わかる
兎来栄寿1年以上前『戦争は女の顔をしていない』 https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM00000019010000_68/ ノーベル賞作家によるノンフィクションを小梅けいとさん、速水螺旋人さんが描く作品。凄いコラボですがクオリティが高く今後も楽しみです。自由広場今日読んだマンガを書くだけのトピック7わかる
名無し1年以上前世間一般では 「騙されたほうも悪い」 という言葉が使われることがある。 だが美術芸術骨董界で売買に関わる人の間では 「騙されたほうが悪い」と言われるらしい。 目利きが全てで目利きこそが善で正義らしい。 「騙されたほうも」という言葉は通常では、 詐欺的な犯罪を世間に蔓延らせるのは、 無教養や安易さゆえに犯罪をまねき許容し 成立させてしまう人がいるからであり、 それに対する戒めの意味で使われる。 または犯罪者側からの自己弁護・言い訳の言葉として。 「騙されたほうが」という言葉は美術界で 目利きが出来なければ生き残れない世界なのだから、 という意味で使われているらしい。 それでなくても商売であるなら 「安く仕入れて高く売る」 ことが出来なければ利益が出ない。 そのためには商品に付加価値をつけるか 価値観の差がある人の間を取り持つしかない。 その商品があるところからないところへ 運んで行くなど、なにか付加価値を加えるか、 価値が低いと思う人から安く仕入れて 価値が高いと思う人に高く販売する。 これにより商売が成立し利益が発生する。 フェイクの藤田は、最初から贋作専門を標榜する。 通常の商売では非常に成立しがたいはずだ。 安くは仕入れられるかもしれないが、 高く販売するのは難しい。 そこをブラックマーケットでの商売に うまく活用したり、税金対策とか、 「見る目の無い金持ちにボッタクリ価格で 売りつけて、それでも満足させている」 などすることで食べているみたいだ。 だが殆どの場合で、相手が善人のときは 相手が価値感がわからない人でも藤田は 安く買い叩いたり、高く売りつけたりはしないようだ。 わりと金策に苦労したりしているのに。 善悪の基準が世間一般と多少異なり 「目利きが全て」の美術界で、 目利きでありながら世間とも美術界とも 微妙に違う価値感で商売をする男・藤田。 その辺とかにギャラリーフェイクの シビアだけれどファンタジーな魅力を感じる。 ギャラリーフェイク美術界の表でも裏でも、己の器量とルールで疾走する男・フジタ。3わかる
ナベテツ1年以上前年をとり、世間の垢にまみれ、世の中の汚さとか醜さを知ってしまった中年がいる。ただ、そんな男には、汚すことの出来ない、聖域とも言える無垢なる心の領域が、ある。 作者の伊図透さんが一貫して描くのは、そんな言葉にすることが難しい、魂の領域の話です。 薄汚れた中年であると自覚している自分はこの作品を読み返す度に、ああ、というため息が漏れます。 万人に受け入れられるような、間口の広い作品ではありません。作者にとっても、決して幸福な終わり方をした作品ではなかったのだろうな、とも感じられます。 それでもこの作品が持つ、暴力を孕んだ残酷な美しさは、読み手の心に深い点を穿ちます。川辺で語られた少年の日の言葉だけでも、広く読まれて欲しい。主人公のように皮肉な笑みを張り付けている中年は、いつか迷子の少年にそんな言葉をかけられるようになりたいと思ったりもします、エイス Aiming for the ace罪を背負った臆病者29わかる
名無し1年以上前恐らくご自身と同年代を主人公に描かれているので、新しい作品になるほど登場人物も年を取り、内容も「老い」や「死」についてが中心になりますが、表現する力はよりイキイキとしているように感じます。 どの作品もまるで存在したかのようにリアルな人物描写なので、ストーリーというよりも人生を読んでいるようです。年齢や境遇によって読後の感想も変わると思うので、次に読み返した時に自分が何を思うのかも楽しみです。夕暮れへ人生を読む短編集7わかる
名無し1年以上前ロックンロールな生き方をするんだ、 という言葉を言い訳にして 崖ッブチな年齢になるまで色々なことから逃げてきた、 自称・ロックンローラーのフリーター、 岩巻力太郎・27歳。 何も背負わず、何も決断をせず、 物事を先送りするだけの27年だった。 だが姉夫婦が突然に事故死?したために 5歳の甥っ子の人生を背負うことを決心する。 生活のため、甥っ子・青空を食わせるために 好きでもないのに27歳にして、 やるはめになったのがボクシング。 学校の体育の授業で5段階評価で常に3だった男が。 練習したり罵倒したり試合したり殴りあったりしながら、 ボクシングが本当に好きだからとか、 ボクシングがあったから生きてこれたとか、 ボクシングしかないからやっているとか、 そんなジム仲間や対戦相手の様々な人生に触れて、 力太郎の生活もボクシング感も徐々に変わっていく。 そんな力太郎の前に現れた天才ボクサー・朝比奈。 こいつは、もしかしたら青空の母である姉を 殺した男かもしれない。 純粋な動機でボクシングを始めたわけではない男が 愛憎の念が入り乱れた気持ちを抱きながら タイトルマッチに挑む。 ロックンロールな人生が幸せだとは限らない。 むしろロックンロールな生き方は結果論として、 喜劇か悲劇にしかならないのではないか? 普通の日常にこそ幸せがあり、 ロックンロール・スピリッツやプロボクシングは 幸せとは無縁なのではないか? だが力太郎はリングに上がりゴングは鳴る。RRR(ロックンロールリッキー)目標も言い訳も生き涯も生き様も、どれもが人生でどれもがロックンロール5わかる
名無し1年以上前…作品はなにか、といえば十代初めに触れた『マッドメン』が思い浮かぶ。 もちろん個人的な感想だ。 だが、感想なんて、基本的に個人的なものだろう。 文化人類学とか、近代(西洋)文明とパプア・ニューギニアのような未開の土俗信仰との相克…なんていうテーマは、読んでしばらくしてから胸にクルんだけど、基本的には手に汗握るアクションたっぷりの「少年漫画」だと思っている。 諸星大二郎は、アクションを描くのが好きなんだろう。 それを前面に押し出した『西遊妖猿伝』はもちろんだが、実はキャリアの初期から、記憶に残るアクションシーンを描く人だったし(後ろに飛び退る、みたいな、なに気ない「動き」が印象に残るのだ)、短編でもアクション・メインとしか思えないものが結構ある。 『マッドメン』の後半、コドワとアエンの戦いは、ファンタジックでスピード感に溢れていて本当にドキドキするし、未知へと漕ぎ出す圧倒的なシーン(個人的に「ぱらいそさ行くだ」より衝撃が深い)には、人生変えられたと思う。 センス・オブ・ワンダーっていうのは、こういう作品のためにあるんだと思います。マッドメン今まで読んだ漫画で一番おもしろい…9わかる