名無し1年以上前当時にジャンプで読んでいたとき、 スープ勝負で 「少々まずい味でもこいつを使えばなんとかうまくなる」 「ただしこいつを使えばどの料理も同じ味になってしまう」 という謎の白い粉が登場して なんだろうその粉は、という感じで次週に続く、となった。 気になって祖母に、そんな調味料があるのか、と聞いたら 「味の素だろ」 と即答されて驚いたのを覚えている。 味平では 「家庭料理で使うのはともかくプロの料理人が 使うのはいかがなものか」 みたいに扱われていたが・・ 皮肉なことに 10年後くらいに初めて札幌に行き、 有名ラーメン店に入りカウンター席から 調理過程を見ていたら、途中で缶から出した 白い粉を大量に入れていた。 入れるタイミングや食べてみた味から判断して 塩とか砂糖とか片栗粉とかではなかった。 恐らく化学調味料。 初体験の札幌ラーメンは精神的に複雑な味だった。 包丁人味平 ラーメン勝負なぜか札幌、なぜかラーメン勝負。なぜかドラム缶に一本麺(笑)。2わかる
名無し1年以上前麺の味単体での審査のときの、 味が無いけれどそうでないとだめなんだ、といった言葉の説明。 決勝戦で縮れ麺を味わった審査員の先生の 「このためだったのか!!」 の意味する、なんのための縮れ麺だったのか、の説明。 それが、結局最期まで作中では説明がなかったんだよね。 多分、縮れ麺はスープがより多く絡むから スープの味がより味わえる。最大限に活かせる。 そこに縮れ面の独特な食感との相乗効果が生まれて、 とても美味しく感じる。 それは麺自体に味がないことのデメリットを上回っている・・ と言いたかったんじゃないかと思うのだけれど、 説明というか結論のシーンがないから、 今に至るまでズッと投げっぱなし状態の疑問なんだよね。 包丁人味平 ラーメン勝負なぜか札幌、なぜかラーメン勝負。なぜかドラム缶に一本麺(笑)。33わかる
名無し1年以上前ラーメンがオシャレになる前の時代の話。 そして系列化とかチェーン店化とかが 札幌ラーメンくらいしかなかった時代の話。 多種多様な情報誌やテレビでのラーメン特集や、 ネットやスマホの普及で、 美味いと聞いた店のことが行く前から 「何系のどういう味のラーメンか 推測出来てしまう、 または推測できた気になってしまう」 のが今の時代。 そうではなくて、美味いというラーメン屋が なにがどう美味いのか食べてみるまで判らない時代。 懐かしくもアリ羨ましくもアル。 包丁人味平 ラーメン勝負なぜか札幌、なぜかラーメン勝負。なぜかドラム缶に一本麺(笑)。10わかる
名無し1年以上前勝負の場となる「第一回全日本ラーメン祭り」は 会場:札幌(雪祭り会場の近く) 優勝賞金:500万円&中国への一週間の研修旅行 参加者:全国の有名ラーメン店主40人+素人5人 競技方法:一回戦でスープ、二回戦で麺、三回戦で具と、 それぞれを競いつつ勝者を絞り込んで行く。 途中で具勝負はスープ、麺と合わせた完成品 での勝負に変更になった。 昭和のイベントとしては破格の優勝賞金500万円も凄い けれど、勝負自体が一次予選だけで72時間、 その後も追加勝負ありなど時間を無尽蔵にかける 終了期限を設定しない(少なくとも制限も公表もしない) ビッグイベント。 参加者は店の経営をほったらかしているが 休業補償とかあったのかね。 オマケに観戦、試食は無料だったみたい。 どう考えてもこのイベントは赤字だな。 どんだけ太っ腹のスポンサーがいたのやら。 結局、決勝戦までいったメンバーは一週間くらいはぶっ通しで 戦っていたのだろうか。 今、これを書いていて気がついたけれど、 参加者の人たち、風呂とか入ってたのかね(笑)。包丁人味平 ラーメン勝負なぜか札幌、なぜかラーメン勝負。なぜかドラム缶に一本麺(笑)。7わかる
あらすじ塩見味平は料理人になるため、中学を卒業するとすぐに家を飛び出して行った。そんなある日、ラーメン屋で井上洋吉というトラック運転手と出会う。本物のサッポロラーメンを食べさせてやるという洋吉が連れていった先は、なんと札幌!そこでは全国の有名ラーメン店が一堂に会し、その腕を競う”ラーメン祭り”が開催されようとしていた。続きを読む
この時、アントニオ榎木は和島が後に
プロレス界に入ってくるとは思ってもいなかった。
梶笑一奇(談)