育児真っただ中の今読んで良かったって思います。
パパ、小学生のお兄ちゃん、2歳の赤ちゃん。ママのいない3人家族のお話。 子供の気持ち、パパの気持ち、どちらも痛いほ伝わります。 あらすじを読むだけで泣けたので、育児が落ち着いたら読みたい。とストックしていた作品。 全然育児落ち着いてないですが読みました。 家族の大切さ、子供への愛情、子供からの無償の愛を感じられて、自分に振り返って1日1日を大切に生きようって思えました。 改めて家族の大切さを感じられる作品。 泣かないで読むは絶対無理です。
母を亡くしたばかりの小学生・榎木拓也。彼の前には、泣いてばかりの弟、稔。母はなくても子育ては待ってくれない。家事に育児に忙殺され、苛立ち苦しむ拓也。それでも……やっぱり弟、可愛いかも。
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ハートフルコメディというには、ちょっと息苦しく、それでも愛おしい作品である。
ほんの1、2歳の幼児にべったりで面倒を見る、思春期間近の小学生である拓也。子育てがうまくいかず、悩み、苛立つ彼の様子が、綺麗事を抜きに表現されるので、この作品で子育ての辛さに向き合うことになった読者の少女(そして私を含めた少年)は、ショックを受けたものである(昔話)。
家庭から目を外に向けると、拓也の前には、家庭や対人関係に苦しみ、傷ついた人達が現れ、捻じ曲がった言動を彼にぶつけてくる。
しかし拓也は、まっすぐさと優しさで彼らに接し、その捻じ曲がった心に気づかせて、本来の優しさを取り戻してやる。その優しい着地に私達は安堵しながらも、何か心を抉られたような痛みも同時に感じる。
家庭とは、性差とは、愛情とは……コメディに隠されて提示される問題意識は根深い。この作品を読んだ少女(私を含めた少年も)は、自分を支えている価値観や、甘く楽しい将来像を、激しく揺さぶられた。
2019年の今、この作品を読んでも、日本の家族観・性差の問題というのは、なかなか変わらない部分があるなぁ、と気付かされる。そういう意味で、1990年代のこの作品は今だに読まれる意味を持つし、この作品の問題意識を、新しいやり方で表現する漫画が、現れて欲しいと思う。
拓也の笑顔の向こうには幾千万の、年上・女(今作ではむしろ男)・母といった役割を押し付けられ、苦しんでいる人がいる。そういう人達のためにジェンダー論で戦う前に、まずはこの作品を読むことで、むやみに人を傷つけない、優しい解決を目指したい。
榎木家にはママがいない。パパと小学生の拓也と赤ちゃんの実の3人家族。わがままいっぱいの2歳児は泣いてばかりで、お兄ちゃんはもう大変!「赤僕(あかぼく)」待望の文庫化!!