甲子園に受け継がれるアウトローの系譜
さて、春の選抜高校野球大会が今日から始まりましたが、アウトローを制するものが甲子園を制するという物言いを皆さんはご存知でしょうか。すなわち、各地区の代表が集う甲子園といえども、高校生レベルの打者では、外角の低めギリギリのコースにピシャリと決められると攻略は難しいということです。まさしくアウトローを制して甲子園を制覇した実在の人物に早稲田実業の斎藤佑樹選手がいます。いつもここぞの時にはいちばん練習を積み重ねてきて自信のあったアウトローの直球を放っていたといいます。甲子園の決勝で最後の打者でありライバルの田中将大を三振に切ったのもアウトローの直球だったとか。 そしてここ、三田紀房の高校野球マンガにもアウトローの直球を武器にする投手が登場します。そもそも三田紀房というひとは生粋のスーパースターを描くようなタイプのマンガ家ではなく『砂の栄冠』の七嶋のような選手を主人公に据えるのは稀であり、そうというよりはむしろ、あくまでも凡人の域は抜き出ないけれどスポーツなり、受験なり、ある定められたルール内の隙を突いて「人生では負けても、試合では勝利する」といった、ある意味では小賢しく、ある意味では賢明な、物語の展開を得意とするひとでしょう。 三田紀房には『砂の栄冠』の以前に『甲子園へ行こう!』という高校野球マンガがあり、その主人公、鎌倉西高校の四ノ宮がまさしく小賢しくも賢明なピッチャーとして描かれています。彼もまた高校生レベルの打者では外角低めの攻略は難しいとの理由からアウトローの練習に励みます。そして、やはり、『砂の栄冠』にもアウトローの系譜は受け継がれている。ノックマンに率いられた下五島高校の下手投げエースの本多がまさしくそれでしょう。 けっして素材そのものには恵まれなくても、小賢しさと賢明さをもってどうにか立ち回ることができるのが高校野球という舞台、こうした選手たちが才能溢れる屈強な選手たちの足元を掬うことができるからこそ、高校野球は面白い。イチローが引退会見で語っていた「メジャーは頭を使わなくなってきている、日本は日本の野球を貫いてほしい」という言葉が今更ながら身に染みてきます。
『砂の栄冠』をもう一周してしまったのですが、終始泣き腫らしもいいところ、とくに夏の甲子園からエンディングにかけては目が充血しすぎてコマを追うこともできやしません。
しかし、どちらかといえば三田紀房という漫画家は『ドラゴン桜』に代表されるように、どこかケチで現実主義的な物語を得意とするひとでしょう。夢と希望の対極にあるといいますか、ひたすら合理的で実践的な行為を選択するといいますか、こんなものに感動していいんですかと思わなくもない。
それで今回また最後まで読んで気づいたんですけども、作中人物が実践する合理性とは別に意外と演出がクサいんですね、大袈裟ともいえるかもしれません。試合でもいきなりワケのわからない毒蜘蛛がでてきたり、バイクにまたがった不良がでてきたり、神がでてきたり、ガーソが拘縛された地蔵としてでてきたり、登場人物たちは合理的で小賢しいんですけど、なんかとにかく演出に気合いが入っている。冷静に読んでみるとバカバカしいと思われても仕方ないと思えるぐらい気合いが入っているんですね。
そして極めつけには、エンディングで、亡くなったはずのトクさんがいつものベンチに座っている。そのトクさんに七嶋が言葉を発する。もうここで涙腺は崩壊、甲子園の魔者のごとく誰の手にも負えません。なにせあの合理的で実践的な七嶋がそこにはいるはずのないトクさんに声をかけるのですから。