更生を手伝う保護司の物語にコメントする
※ご自身のコメントに返信しようとしていますが、よろしいですか?最近、自作自演行為に関する報告が増えておりますため、訂正や補足コメントを除き、そのような行為はお控えいただくようお願いしております。
※コミュニティ運営およびシステム負荷の制限のため、1日の投稿数を制限しております。ご理解とご協力をお願いいたします。また、複数の環境からの制限以上の投稿も禁止しており、確認次第ブロック対応を行いますので、ご了承ください。
前科者

良い意味でよく題材にしたなと思える作品

前科者 香川まさひと 月島冬二
六文銭
六文銭

過去に犯罪を犯した人間と、彼らが社会更生するためのお手伝いをする保護司との関係を描いた作品。 私、この作品を読むまで、保護司という職があること存じてませんでした。 しかも無給のボランティアという待遇(一定経費でるようですが)にもかかわらず、日本では約4.8万人が従事されていることにも驚きでした。 給料がでなくてもやることもそうですが、何より犯罪を犯した人間と関わる勇気というか、怖くないのかな?と思ってしまった。 本作を読むと、そして主人公の阿川佳代の考えや行動を目の当たりにすると、自分が上記の考えになっていたことが何とも恥ずかしい気持ちになりました。 親のネグレクトのせいで満足に食事を与えらなかった受刑者に対して 「(親から愛されなかった)寂しい思いは記憶としてずっと残る」 とか 「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか?」のよくあるドラッグのメッセージに対して 「覚醒剤やっても、人間はやめられない」 とか、犯罪にばかり目がいくのではなく、人間讃歌とも言える、犯罪に手を染めなくてはならなくなった人間に対する優しい思いが溢れていて、読んでいて本当に考えさせられます。 もちろん現実は、もっとどうしょうもない人もいるのでしょうが、そればっかりではないことを突きつけてきます。 テレビやネットのニュースでも、犯罪者の逮捕と犯罪の内容のみで、その後どうなったかまでは伝えることがない中で、よく題材にしてくれたなと感動しました。

創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊

なぜ人は物語を綴るんだろう?

創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊
toyoneko
toyoneko

「今年読んでよかったマンガリスト」を作ったときに、今年読んだ読み切りで何が良かったかな…と思いだす中で、真っ先に思い出したのが本作だったんですよね というか、「ゼロ災でいこうっ」のシーンが思い浮かんだ(添付) 衝撃的なシーンでした 大人になっていく中で、飛行機事故を契機に、自分の「核」が創作ではなくなっていたということ(又は、自分の「核」は最初からそんなところにはなかったということ)、そして、現実を前に情熱は失われてしまっていたこと、そのことを自覚する物語 それが、本作に対する私の印象でした …が、読み返してみると、実はそうではなかった だって、主人公は、そのことを自覚しながら、それでも、創作をやめられないから 「他の選択肢がない」という理由で、やはり創作を辞めることができない 別の人生を歩めるなら歩みたいと泣くのに、それでも辞めることができない それどころか、キャロット通信は解散し、仲間もいなくなり、 誰も読んでくれない、読者すらいないのに、辞めることができない 「にもかかわらず…私は…懲りもせず」 「また繰り返す…どうして?」 「なぜ??」 たぶん、このセリフこそが、この作品の核心なのでしょう 主人公にとって、創作は、苦痛なのでしょう でも、主人公の救いは、もはや創作しかない だから、主人公は、創作に向き合い続ける 「赤羽」に登場するペイティさんが、 「やはり創らないと気が狂いそうだから創るってコトですね…」 と言ってました(増補改訂版4巻、ボーナストラック9話)、 「創作」というのは、もともと、そういうものなのかもしれないです あ、ところで、そんなふうに「創作」をやめることのできない綿本おふとん先生ですが、トーチwebで新連載とのこと!みんなで応援しようね! https://x.com/offton_w/status/1873197901478019149

本棚に追加
本棚から外す
読みたい
積読
読んでる
読んだ
フォローする
メモを登録
メモ(非公開)
保存する
お気に入り度を登録
また読みたい
※本棚・フォローなどの各アクションメニューはこちらへ移動しました(またはフローティングメニューをご利用ください)