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さんさん録

春のような気持ちになれる本

さんさん録 こうの史代
名無し

春のような気持ちになれる本は、冬に読むものである。春になったらあんなことをしよう、こんなんことをしようと読みつつ考えている間に、いつのまにか春になってしまい、そうなるとすっかり何を考えていたのか忘れてしまう(そして、なにもしない)。 今年は珍しく、冬の間に読んでいた『さんさん録』のことを春になっても覚えていた。大体、なぜ冬に『さんさん録』を読んだのかと言えば、“だるい”“寒い”“何もしたくない”と、心身ともに省エネ(だから体重は増える)になってしまった自分を少しでも前向きな気持ちにしたかったからだ。『さんさん録』には憧れの春が描かれているのだ。 『さんさん録』の主人公・奥田参平は爺とよばれる年代の男だ。長年連れ添った妻が突然亡くなり、何もする気がなくなっていたところを息子夫婦に呼ばれ、彼らと同居することになる。 勝手のわからない家で、まだ少しだけ距離のある息子夫婦と一緒で、長い一日を持て余してしまっている参平は、亡き妻・鶴子=おつうが書いた家族の記録ノートを見つける。生活の知恵から料理のレシピ、それに家族のあれこれが書かれたノートの中には、参平が気付かなかったおつうと、家族たちがいることに参平は気づく。そして参平は、ノートに書かれたおつうと二人で、少しずつ歩んでいくのだ。 ノートに書かれたとおりに、ボタン付をし、肉じゃがやおかゆを作っていると、おつうがどんな気持ちで家族といたのかを、参平は考え始める。自分が気づいていなかったおつうの姿を参平は改めて知っていく。それは、もっとゆっくりとするはずだったふたりのお別れを、参平はひとりでしていくということだ。 そして、四季の移り変わりをみながら、少し変わった孫の乃菜の成長をみながら、参平はゆっくりと自分が変わっていくことに気づき、やがておつうのノートからも離れ、新しい人生を歩んでいく。 『さんさん録』は、とてもゆったりとした時間の流れる物語だ。大きな出来事もないけれど、日常モノと呼ばれる作品のように、楽しい時間で止まってしまっているわけでもない。少しずつだけど前に進む。 長い冬を越え、自分を変える春を迎えるのに必要なのは、熱く燃えるようななにかではなく、優しい思い出と和やかな日常だということを『さんさん録』は教えてくれる。だから私の冬には『さんさん録』は不可欠なのだ。

魔界転生

聞いて驚け、読んで奮え、これ日本漫画界随一の傑作、連載じゃない、綺麗に完結、描き下ろし

魔界転生
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

ジェロニモとの戦闘開始をラストに置く打ち切り漫画染みた構成だがこの『魔界転生』はレビューのタイトル通り単行本描き下ろしでの発表だったので連載の過程でここに着地した訳じゃなく二人の決着が分からない結末としてあえて描かれている事に注目すべきかと思う。 実際、物語の中で魔界衆と十兵衛との闘いの決着はついている様なもの。剣の為に生きる余り魔道に堕落したかつての憧れ宮本武蔵を喝破し死者も聖者も兼ね備える大天使として復活し弔いの旅を続ける十兵衛に比べれば己の力のみを欲して悪魔に身を売る魔界衆も矮小に過ぎない。詰り、他の人も言っていたと思うがジェロニモと十兵衛との闘いは(少なくとも人格の上では)決着がついている。 然し、その勝負は描かれず終結する。それはなぜか? 蓋し、幾ら人格的には十兵衛に及ばないと言えども能力、武力が底知れない事にならないとそれはそれで楽しくないからじゃないか?それに、十兵衛が尊いのは常に戦い続けるからで、常に挑戦を続けるにはやっぱり敵が天井知らずに強いに限る。この漫画のラストはそういうワクワクと予定調和的な精神性の両立としてやっぱり優れていると思う。 石川賢は大変アクション描写にすぐれた漫画家だが、彼の常に動き続けるアクションの思考はこういう形で物語にも表れており、裏打ちされてるからより魅力的なんじゃないかなと思った次第です。

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