片喰と黄金

この歴史マンガが今熱い。

片喰と黄金 北野詠一
兎来栄寿
兎来栄寿

毎月行われている #新刊を語る会 という集まりで、先月の新刊として今日最も多く集まったのはこの作品でした。 現代日本に暮らす私たちの多くは毎日ご飯をお腹いっぱいに食べられることを当たり前だと思っていますが、それがどれだけ人類史的に見て稀有で貴重な状況かということを改めて考えさせられます。 舞台は19世紀。余りにも極まった貧困故に日々の食べる物にも苦労している主人公がアイルランドからゴールドラッシュに沸くアメリカへ渡って一攫千金を狙う物語。 まず、絵が良いです。すっきりと読み易く、それでいていざという時の表情や迫力も十分。マンガとして純粋にレベルが高く、引きつける力が備わっています。 今は読者の目が厳しく少しでも考証的におかしい所は突っ込まれる時代ですし、当時実際にあった事件や差別の描き方にも細心の注意を払わねばならないので昔にくらべて歴史マンガもやり難い時代かと思います。そんな時代にあって、帯で野田サトルさんが語るようにこうした骨太で面白い歴史マンガを送り出して下さる心意気に感謝です。 歴史マンガでありながら、ゴールデンカムイのように歴史に詳しくなくとも楽しめるので誰にでもお薦めできます。

プレイボール

ちばあきお漫画を動揺させる御馳走という存在

プレイボール ちばあきお
影絵が趣味
影絵が趣味

夏の甲子園の県予選がはじまっているので、性懲りもなく『プレイボール』を読み返している。 語弊を恐れずにいえば、ちばあきお漫画の魅力は味気のなさにあると思う。野球に熱心すぎるあまり、ひたむきすぎるあまり、本気で打ち込むあまりの味気のなさである。「勝利の味をしめる」という言葉があるが、『キャプテン』にしても『プレイボール』にしても、負け試合はもちろんのこと勝ち試合においてもどこか苦い雰囲気が拭えないのである。『キャプテン』のイガラシ時代の夏の決勝戦、西の強豪・和合中との雨の決戦はどうだったか、全国制覇を成し遂げたというのに不思議なまでのあの味気のなさは。 ところが、そんな試合に勝ってまで味気のないちばあきお漫画において、奇妙に味気のある数コマがおよそ一巻に一度ぐらい落とし穴のように潜んでいる。それすなわち御馳走の時間である。 田所先輩の代こそは元々が弛んでいるので、まだ御馳走はみられないが、まさしく田所先輩たちが引退して谷口が次のキャプテンに指名される日から落とし穴のような御馳走がひっそりと潜んでいる。薄汚い部室にテーブルを囲い、それぞれの席には簡易的ながら紙のナプキンが敷かれて、その上に可愛らしくお菓子やフルーツやジュースの瓶が乗っている。野球一筋のこのマンガにおいて、なんと奇妙で戦慄さえ憶えかねない一コマであることだろう、淡々とただひたすら野球に打ち込むばかりのコマの連なりのなかで不意に挿入されるこの紙ナプキンの上の御馳走たちはスリリングとさえいえないか。 この送別会の御馳走を先がけに、新入生の歓迎会ではふたたび囲んだテーブルに紙ナプキンが敷かれて、出前の兄ちゃんが蓋付きのカツ丼を運んでくる。大会の谷の日には田所さんが激励にアイスクリームを紙袋にたくさん詰めてもってくるし、鰻丼かと思いきやカツ丼の上を御馳走してくれるし、熱戦の翌日の休養日には丸井が谷口家を訪ねるさいのお土産として鯛焼きを持参して、しかもそれらは丁寧に紙の上にあけられる。そして極みつけにはOB会の発足パーティー、またしても薄汚い部室にてテーブルを囲み、もはや簡易的な紙ナプキンではなくテーブルクロスが敷かれ、御馳走に加えて瓶ビールまでが用意され、スリリングはさらに加速する。ここで注目したいのはこれらが単なる食事ではなく、それ以上に丁寧に格式張っているということにある。ちばあきお的マンガ世界において、彼ら野球少年たちは基本的には野球という社会のなかに閉じた存在である。その閉じた世界に不意に出現するイロモノめいた別の社会(すなわち御馳走という格式)はあまりに滑稽であり、その場を動揺させずにはいられない。しかも、その御馳走が部活の聖地ともいうべき部室にひろげられたさいには事尚更である。 味気のないちばあきおマンガが不意に彩りをみせるとき、その場は途端にスリリングに動揺しはじめ、物語に緩急と躍動とをもたらしているらしい。

大食い甲子園

大食いで人は感動させられる

大食い甲子園 土山しげる
名無し

「最近全然たべれなくなってさー 3杯しか食べられないよ」と嬉しそうに大量の飯をかきこむ友人がいます。これは明らかに、『本調子であればもっと食べれるが、調子が悪いので君たちの3倍しか食べれないんだよ』という、謙遜を装った示威行為なのです。野生動物でも、誰が一番えらいのかの順位付けは重要です。  人間の男性集団ではしばしば、大食いが偉さを図る尺度となるのです。大食いはマッチョなんですよ!  そんな“大食い”を漫画に取り入れたのは、なんといっても土山しげる先生です。代表作『喰いしん坊!』では、フードファイターとよばれる大食い人間たちが、プライドをかけて戦うという、あまりにも斬新な設定で、食が細くなった中年男性の胸を焼けさせました。今回紹介する『大食い甲子園』は、このフードファイターの世界観をさらに追及した作品です。読んで時のごとく、大食いの甲子園を目指す高校生たちの物語なのです。  舞台は岡山の桃太郎高校大食い部。15年前に全国優勝したものの、いまでは弱小校になってしまい、廃部の危機を迎えています。ここに、将来を嘱望されながらも賭け大食いがばれて“大食い界”から姿を消した盛山空太郎が監督としてやってくるところから物語がはじまります。  それまでは、ただガムシャラに食べることしかしてこなかった桃太郎高校大食い部の面々に、盛山は理論的かつ実践的な方法を教え、大食い部は一丸となって甲子園を目指していくのです。  物語全体は、さわやかな青春スポーツ漫画のノリです。「乱食いはじめ」の声とともにはじまる練習シーンも素敵です。部員がただひたすらにむしゃむしゃご飯を食べるこの乱食いは、おそらく柔道の乱取りをイメージした言葉なのでしょう。一週間かけて精神と胃を鍛える合宿でひたむきに努力する姿もとても美しい。ただ、その打ち込むものが“大食い”ということで、なんともいえない雰囲気になるのです。  大きな“胃力”があり、才能あふれる早味はいいます。「大食いなんてただ食ってりゃいいんだと思っていた…他のスポーツと同じように作戦があるなんてこれっぽっちも思ってなかった…そして…大食いで人を感動させられる事も…」そ、そうなのか?と、思わず突っ込みたくなります。  この、さわやか青春マンガのノリと、抑えがたいツッコミへの欲求があわさると、なんとも言えない高揚感が生まれ、気づくと次へ次へとページをめくってしまうのが『大食い甲子園』の魅力。  もう食が細くなってしまい、大食いでアピールできなくなってしまった僕は、読み終わるとやっぱり胸が焼けてしまうのです。

どうらく息子

名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語

どうらく息子 尾瀬あきら
名無し

趣味ってのはなんでもそうだと思いますが、身近に先達がいないとなかなか身につきません。誰かが順序よく教えてくれないと、途中でイヤになってしまうのですね。それ以前に、どこから入っていいかわからず手を出せなくなってしまったり…。私が今、手を出そうか躊躇しているのは、Jazz、競輪、そして落語です。  『どうらく息子』は落語家の漫画です。落語を題材とした漫画といえば私の中では『寄席芸人伝』(古谷三敏)が永遠の金字塔であります。『寄席芸人伝』には名人と呼ばれた落語家達の、人間模様が描かれていました。彼ら名人は皆、自分だけの道を探しだし、その道を歩んでいきます。『どうらく息子』で描かれるのは、名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語です。  主人公・翔太は親戚の幼稚園でバイトする青年です。どうしたら子どもたちは笑ってくれるだろうか、どうしたら自分の話に引き込めるかを考えていた翔太は、人に進められるまま入った寄席で惜春亭銅楽の「時そば」を観ることに。まるでそこにそばがあるような銅楽の芸にのめり込んだ翔太は、銅楽の弟子になろうと、強く思い始めます…。  やがて、銅楽の弟子になり、銅ら壱という名前をもらった翔太の、金ない、ひまない前座の生活がはじまります。先輩方の生き方を見ながら、少しずつ銅ら壱は落語家としての道を歩んでいくのです。  『どうらく息子』は落語のシーンも魅力的です。落語のシーンは作中作として、登場人物が熊さんや与太郎として登場します。3巻の「牛ほめ」のちょっと抜けた与太郎は、まだまだ駆け出しの銅ら壱が登場しますが、その時の銅ら壱の状況とあわさって、なるほどなあと感じます。  私が特に心に残っているのは10巻で描かれる『紺屋高尾』。とても美しい話です。紆余曲折がありながら、二ツ目に昇進が決まった銅ら壱は、『紺屋高尾』という廓噺をものにしようとします。花魁と紺屋の職人の身分違いの恋の話ですが、花魁の了見がわからず苦戦します。しかし、時間をかけ、自身の恋愛も交えていくうちにだんだんと形を出来てきます。そして初見世。熱演する銅ら壱を象徴するように、シリアスに描かれる『紺屋高尾」の物語。そして、美しいクライマックスの後、舞台のシーンが一瞬交錯しそのままラストに…。  読み終わったあともしばらく余韻が残ります。

あざにおしろい

SHBのぱらり先生が描く共感必至のメイク漫画!!

あざにおしろい ぱらり
たか
たか

ぱ、ぱらり先生ーーーっ!!!モーニングを開いたらぱらり先生の名前があってバチクソテンション上がりました…! 「周囲から美人だと思われている篠宮ユキは、メイクが得意で美容の専門を目指している女子高生。ユキは、顔に痣がある同級生白井梢に興味を持ち、痣を隠すメイクを施してあげるが…」というあらすじ。 あざにおしろい(前編)Dモーニング http://dm.m.eximg.jp/viewer/1440/1425/ https://twitter.com/parari000manga/status/1149995308849364992?s=20 んも〜〜!!ユキも梢というキャラクターが持つ説得力がすごい…!! SHBのときからモブにすら読み応えあるバックグラウンドを設定していたぱらり先生。今回の『あざにおしろい』でも、家庭環境・学校生活の違いを提示することで、2人がどんな人間なのかめっっちゃわかりやすく描かれています。 「そのままの自分で自信を持っていたい」 「いつもと違う自分になりたい」 この前編で梢が抱いた気持ちは、痣の有無に関わらず全てのメイクをする人に当てはまる感情じゃないでしょうか。 そして何より、ぱらり先生の描く女の子2人のやり取り…やはり良い…!女の子がメインだからか、SHBのときよりも絵がきれいになっているように感じました。 梢ちゃんのデート、男の子にガッカリされる未来しか想像できなくて辛い…。 後編でユキと梢の2人がどんな決着をつけるのか楽しみです!! >(補足)SHBとは、ぱらり先生の著書「スーパーヒロインボーイ」の略称。ひょんなことから女児アニメにハマってしまったけれど、そのことを素直に認められないヤンキー男子高校生を描いた作品。 >本編のそこかしこで息をするように自然に百合とBLが進行するためか、男性読者むけのレーベル作品でありながら、本屋さんによってはBLの棚に置かれているらしい。 (画像は前編より)

青に、ふれる。

少女マンガ好きには絶対見逃してほしくない作品

青に、ふれる。 鈴木望
名無し

見た目にコンプレックスを持つキャラクターって、マンガでは結構登場すると思うんです。でも、そういう作品を読んだ時、こんなふうに思ったことはありませんか? 「いやこの子充分可愛いやん」 マンガとして表現する以上、キャラクターを必要以上に醜く描くことは様々なハードルがあり、結果として、「美人ではないけどそこまで自ら卑下するような容姿ではない」造形になり、キャラの持つコンプレックスの部分の信憑性を下げる形となってしまうことが往々にしてあると思います。 それを「キャラの見た目を醜く描く」以外の方法で表現することで解消した作品がこの「青に、ふれる。」という作品です。 主人公の瑠璃子は生まれつき"太田母斑"という顔に大きな青いアザを持っています。彼女自身は一見普通に高校生活を送れているように見えますが、中学時代の出来事の影響もあり、アザのことが心の奥深くにコンプレックスとして根差しています。それが新任教師・神田との出会いによって大きく発露してしまうところから物語が転がっていきます。 この、誰が見ても明らかなコンプレックスを持ちながら日常生活ではそれを見せないように振る舞う瑠璃子の姿には自然と胸を打たれます。また、彼女と相対することになる神田先生にも"相貌失認"という、人の顔を判別する事ができない症状があり、「顔が判別できない=瑠璃子のアザを認識することができない」というところから、2人の関係性を深めていくというストーリーの巧みさも兼ね備えています。 何より、ともすれば重くなりすぎそうなこの設定を抱えながら、ちゃんと"少女マンガ"をしてるのが凄い!神田先生に少しずつ惹かれていく瑠璃子は、それこそ普通に先生の天然の褒め言葉に照れたりするし、先生を傷つけないよう虚勢も張るし、他の女性の影に嫉妬したりもする。"太田母斑""相貌失認"の要素は物語の中に組み込まれているけど、それに頼らない形でちゃんとキュンとさせてくれる。連載誌が青年誌である月刊アクションなのでもしかしたら少女マンガ好きが見逃してしまってるかもしれませんが、「さよならミニスカート」がりぼんの読者層を越えて話題になったように、この作品も特に少女マンガ好きにはマストで読んでもらいたい、そんな作品です。 1巻まで読了。

カラーレスガール

誰もが悩みを抱えながら生きている

カラーレスガール 白野ほなみ
sogor25
sogor25

主人公のアオイは傍から見れば美人の美大生、しかし実は自分に自信がなく、我が身を取り繕う皮として女装をする男性であった。女装することで自らの内面を包み隠し他人と関わることが出来ていたアオイが、美大の中で友人たちと心を通わせる内に、化粧と服装で覆った内側の自分自身と向き合っていく物語。主人公視点でいうと「着たい服がある」などが近しい作品かもしれない。 しかしながらこの作品は主人公アオイの視点だけではなく、アオイの友人、またその友人と視点主を移しながら進んでいく。そしてその誰もが何かしらの悩みを抱えていて、その悩みを他者との関わりの中で少しずつ解消していく。 登場人物の悩みはアオイのようにジェンダーに関連の深いものもあれば、純粋な将来への不安や恋愛関係など様々。ジェンダーに悩みを抱える登場人物の物語は最近増えてきているが、表現の仕方によっては作品の中の人物と"当事者"ではない読者との間に距離が生まれ、どこか別の世界の物語を見ているような感覚を覚えることがある。しかし、この作品はより読者にも身近な悩みを持つキャラクターも織り交ぜながら描くことによって、本来読者が知り得ない悩みを持つアオイのような登場人物にも親近感を持って触れることができる。 また、本来"多様性"の塊のような空間である美大を舞台にすることで、その"多様性"の中でも色々な悩みを抱えながら日々の生活を送るアオイたちに共感しやすくなっている。 先に挙げた「着たい服がある」や「コンプレックス・エイジ」、もしくは「青のフラッグ」のような群像劇の要素も含んだ物語が好きな方にはオススメしたい作品。 2巻まで読了。

ゆりでなるvえすぽわーる

二重三重に百合が楽しめる驚きの百合濃度!

ゆりでなるvえすぽわーる なおいまい
ななし
ななし

マンバの『おすすめ百合漫画教えて』で知った漫画。 https://manba.co.jp/free_spaces/16440 http://www.comic-ryu.jp/_yuridenaru/ も〜〜バチクソ最高でした…! 「私は高校卒業と同時に死んでしまう…」というセリフから始まるこの作品。 初めて読んだときは「病気の女の子が主人公が切ない系の話かな?」と思ったのですが、全然違いました。 主人公の駒鳥心は、女の子とお付き合いがしたくて頑張って名門私立に入学するものの、高3の春、誰とも付き合うことが出来ぬまま男性と結婚することが決まってしまいます。今から別れが前提にある恋はできないし、この先**男性と結ばれれば、「(心が)死んでしまう」。** そこで主人公は、街中の女性たちで百合妄想をして「スケッチブック」にまとめ心の支えとすることを思いつきます。 この作品の見所はなんと言っても「1エピソード2部構成」…! この漫画は、主人公・駒鳥が**街で見かけた女性2人組を「勝手に妄想するパート」と、その女性たちが本当はどんな関係なのかを描く「真実パート」に分かれていて、1カップルで二度楽しめる構成になっているのがすごい。 そしてさらにすごいのが、百合カップルを妄想をしている駒鳥と雨海の自身が大変素晴らしい百合だということ…! とまあ、このように『1話で二重三重に百合が楽しめる』凄まじく百合濃度の高い作品になっています。 また賛否分かれるかと思いますが、先生(男)が駒鳥と雨海の間に参入してきそうな気配もあり、百合・BL・男女問わず雑食の自分はワクワクが止まりません。 ぜひお試しあれ…です。 (画像は1話より。結婚を前にして、目が死んでしまっている駒鳥ちゃん(右)。百合妄想をするときはキラキラ輝きます)