世界が終わったあとの漫画家と編集者

たとえ世界が終わっても変わらないもの

世界が終わったあとの漫画家と編集者 さのさくら
nyae
nyae
おそらくなにかウイルス的なもので世の中が荒廃し、多くの人が亡くなってしまった世界で、生き残った人たちがどう生きるか。 それは意外と、いまと変わらないかもしれない? 主人公の漫画家志望の女性・真野さんと、編集者の男性・K澤さんがひたすら連載を目指して打ち合わせをしているところが描かれます。しかしネタを出すにも「もうそれはあるんだよな…」というものばかり。これ、今と対して変わらないな…?(そういう話の中に実在の作品名が出てきたりするのが笑える) ただ、ところどころになにか得体のしれない不安感は漂っていて、例えば編集のK澤さんの正体が謎なところ。漫画編集であることは間違いないようですが、意図的に顔を見せないように描かれているし、過去に何が秘密を持っていそう。そこが読んでいてずっとこわい。あとは、現在進行系でどんどん人が死んでいっているのが話の流れでわかること。 そういう世界観でありながら、ネタ出しのためにしてるふたりの会話が面白くて、感心する所も多いです。死生観について話しているところでは思わず「あ〜」という声が出た。 ページ数もあまり多くなくサクッと読めるのでおすすめしたい。
ドナー法―ある臓器移植コーディネーターの記録―

肉親の臓器で生きる他人へ向ける感情

ドナー法―ある臓器移植コーディネーターの記録― いなずまたかし
兎来栄寿
兎来栄寿
『1718』のいなずまたかしさんの新作は、医療監修が入った「臓器移植コーディネーター」という職種(日本では70人程度)を描くマンガです。 医療AIの技術が発達した近未来的な世界観で、「全国民に死亡時の臓器提供が義務付けられている」という法が制定されているという設定で描かれています。しかし、多少の違いはあれど実質的にはほぼ現代劇です。 1巻で描かれるのは ・幼い娘が脳死して受け入れられないまま臓器提供をし受給者に会う権利を行使する両親 ・70代の母親に養われる50歳になったニートの女性 ・就職で不利になる臓器移植受給者の若者 ・自分を捨てた父親から臓器提供を受けて生きながらえることになる青年 といったエピソード。どのお話も現代社会に存在する問題を端的かつ的確に切り取っており、人によっては自らに近しいテーマのお話に強く共感できることでしょう。 主人公のコーディネーター・立浪は、臓器提供という1分1秒を争う仕事を完遂するために時に非人道的に見える言動で反感を買いますが、ある意味ではそうして憎まれ役になることも死に行く者や遺族へのサポートになっている面もあるだろうなと感じます。 また、臓器提供というテーマについても改めて考えさせられました。他人の一部を体に宿して生きるということが持つ意味。提供する者、受給して生きていく者、それぞれの側面から生まれるドラマは重厚で深いです。 実写ドラマ化されても良い作品です。
埼玉の女子高生ってどう思いますか?

あの日見た山車(ダシ)の名前を僕達はまだ知らない。

埼玉の女子高生ってどう思いますか? 渡邉ポポ
六文銭
六文銭
小生、埼玉県出身である。 しかも、秩父という、ど田舎出身だ。 秩父といえば「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(通称「あの花」)の舞台となったことで、有名になってしまった秩父だ。 このブームから数年後くらいに帰郷したことがあり、 その日は秩父で、、、、否、日本でも有名な三大曳山祭「秩父夜祭」の日だった。(誰も知らないというツッコミはご容赦いただきたい) 三大曳山祭と豪語しているわりには、いつ始まったか定かではないというアバウト加減が「言ったもん勝ち」という勢いを受けなくもないが、少なくとも100年以上は続いてる歴史と伝統のある祭りで、この日ばかりは、人より猪のほうが多いと言われる秩父も「休日の新宿アルタ前くらい」に人が増える。 そんな歴史ある秩父夜祭に、数年前に久々に訪れた自分は驚いた。 全て「あの花」で埋め尽くされていたのだ。 出店はもちろん、神輿や山車のてっぺんには「あの花」のキャラ「めんま」が設備されている。 しかも、その「めんま」、なんと片手を上げて天を仰ぎ、ラオウよろしくばりのいっぺんの悔い無しポーズをしているではないか。 え?こんなシーンありましたっけ?と。 何も知らない大人たちが、文字通り「とってつけた感」をうけてゲンナリした。 長くなったが、何が言いたいかというと、埼玉とはつまるところそういう県だ。 何もないのだ。 何もないから、とりあえず流行にはのっとくし、それの前では歴史なんてどうでも良くなるのだ。 アニメの聖地が多い~なんて言われるて、スグ乗っかっちゃう。 (決っして「あの花」をディスっているわけではないので悪しからず) 本作は、そうった埼玉県民の自虐とか自虐とか自虐とかが満載で、 同郷のよしみとしては「みなまでいうな」と思いながらも、つい全部読んでしまった。 ただ、埼玉県民以外読んでも「?」になりそうなほどニッチなものがあり、読者ターゲットが大丈夫かなと心配になりますが、他県の方も、上記のようにこういう県なんだということを理解しながら読むと面白いかもです。 埼玉は東京都に隣接しているからといって決して都会ではないし、なんなら東京は埼玉県民にとって魑魅魍魎が跋扈する魔都だから恐怖の対象でしかない。 東京のベッドタウンとなり、県別のGDPでは東京、大阪、愛知、神奈川に次いで5位の埼玉。(ただし、4位の神奈川には約10兆差という超えられない壁があることはここだけの秘密。) それでも、この都会なのか田舎なのか、なんなのかわからない埼玉はこれからも変幻自在に変わっていくのでしょう。 ちなみに、田舎の友人によると、ブームが去った後は、めんま神輿はなくなったようです。 以上、現場からでした。