ナベテツ
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2022/01/08
ネタバレ
池田貴というロッカーについて
映画化もされたタイトルであり、この作品を読んだ方もそれなりにはいるかとも思います。 前の2作品(文庫版が手に入りやすいのではないかと思います)は、バンドマンの主人公である「僕」(恐らくみうらじゅん自身を投影している)の焦燥を題材にした、青春を描いた作品なのですが、この作品はみうらじゅんが友人に捧げた鎮魂歌である、とも言えると思っています。 前作から登場していた、岩本という男がいます。バンドマンから転身し、タレントとして成功を収め、芸能人として「僕」の生き方を笑う- そんな嫌味なキャラなのですが、この作品で岩本は癌に冒されていることが発覚します。 タレントとして虚栄を張っていた岩本ですが、病床で「僕」に対して「歌いたい」と、本音を打ち明けます。 この岩本という男には、モデルとなった人物がいます。まだ学生だった頃ですが、その人物の闘病記を読んだことがあり、闘病中にレコーディングしたアルバムも聴きました(そのアルバムにはみうらじゅんも参加しています)。 劇中で、岩本は闘病しながらライブで歌うのですが、モデルとなった人物もまたライブで歌いました。 マンガとこの人物には相違点もあるのですが、大切な友人を亡くしたことが、この作品を描くきっかけになったのだろうと思います。 今の自分より若くして旅立ったその男性の名前は、池田貴。ほとんどの方はその名前では分からないと思います。池田貴族という芸名でも、分かる方は恐らくある程度の年齢以上にはなると思います。 彼が残した最後のアルバムへの、みうらじゅんの「貴族、歌えるのか?」というコメントがとても印象に残っているのですが、YouTubeにはそのアルバム「MiYOU」の楽曲があるので、もし良かったら聴いて貰えれば、とも思います(アルバムのタイトルは、遺していった幼い娘さんの名前です。その子が成長してアイドルになり、結婚·出産をしたと知り、年月というものを感じています)。 作品の話からは逸れている気もしますが、この作品にはそんなモデルがいた、ということを知ることでまた違う風景も見えるのではないかと思います。
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2021/12/25
彼らの青春
「賊軍土方歳三」の連載が始まった時、赤名先生がまた新撰組を描いてくれると、古いマンガ好きとして喜びました。「賊軍~」というタイトル自体なかなか刺激的だと思いますが、史実と異なる部分もあり、どのように着地するかも楽しみな作品ですが、以前に新撰組を描いていたのがこちらの「ダンダラ」になります。 物語は未完であり、1巻は新撰組にとってこれから!というところで終わっています(新撰組を描いた作品は多いですし、知ってる方はまあ分かるとも思います)。 勇午の合間ではありましたし、いつかまた続きを描いてくれたらなあと思っていましたが、「賊軍~」も大変面白いため、歴史マンガが好きな人間としては嬉しいのですが、赤名修という漫画家にはこんな作品もあったのだと記しておければと思い、口コミを投稿しました(電子書籍も発売してくれるとなお嬉しいのですが、偉い人に頑張って貰いたいもんです)。 自分は勇午から読み始めたファンなのですが、原作の無い赤名先生の作品はこのタイトルが初めてで、だからこそ続きを読みたいと願っていました(「賊軍~」の評価が高いのも一ファンとしては嬉しいところです)。 史実通りであるならば、どうしても「賊軍~」は晩年という括りにはなってしまうかと思いますが、「ダンダラ」は間違いなく彼らの青春を描いた作品だと思っています(殺伐としすぎていることは認めます)。個人的には力士相手に大立ち回りをするところが大好きでした。
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2021/12/22
コロナへの怒りを原動力に
コロナという文字を目にしない日は恐らくないのではないかと思いますが、パンデミックが世界を覆うという百年に一度の出来事を迎え、我々の日常も変わってしまいました。 クリエイターの作品にもその影響は避けられないと思いますが、このタイトルは作者の安堂先生の思いが率直に込められているのではないかと思います。 コロナに対する憤りは、言挙げする必要も無いことと思います。愛する人が命を落としても、遺体と対面することが叶わない恐ろしい病。コロナをぶっ飛ばしたい、という思いは、誰にでもあるものだと思いますし、その思いを託している作品として、広く読まれて欲しいと願っています。 コロナ禍において作品を描く、その描き方はクリエイターにとっても千差万別だと思います。ビターなテイストを持ち込んで描く方もいるかと思いますし、憂鬱な日常を快刀乱麻を断つような描き方もあるかと思います。 文字通り、ウィルスをぶん殴るというアイディアでもってアクション活劇を描く、その辺りに安堂先生のユーモアの素晴らしさを感じますし、この憂鬱な日常を生きていく糧として、コロナが終息するその先まで、作品が続いて欲しいと願っています。
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2021/12/19
とり・みき先生の「モロ」
昔読んだとり先生のエッセイに、火浦功さんの「死に急ぐ奴らの街」の解説文が収録されていて、作家の持つ「作家性」がモロに発揮された傑作である、といった旨の文章を綴っていました。その文章を読んだことがあったため、この「石神伝説」という作品を初めて読んだ時、ある意味でとり・みき先生の作家性が「モロ」に発揮されている作品なんではないのだろうかと、秘かに思った記憶があります。 日本神話をモチーフに、巨大怪獣と自衛隊員が戦う-ひどく乱暴に物語を要約してしまうとこんな雑な要約になってしまうのですが、この作品には様々なフレーバーを感じます。おそらくとり先生が多大な影響を受けてきたであろう特撮映画や様々なSF、マンガ作品(残念ながら自分はそれらの作品を言挙げ出来る程の知識はありませんが)。とり・みきというクリエイターは普段ギャグをまぶして描くことが多い題材ですが、この作品は恐らくそれらを消化して、真っ向から描いており、途半ばであっても傑作と評価されるべきだと思っています。 掲載誌が休刊して未完であることが悔しいタイトルの一つではありますが、一マンガ好きとしてはこの作品が再び描かれることを気長に待ち続けています。 そして些か蛇足になるかもしれませんが、「プリニウス」を好きな方にはこちらの作品も読んで欲しいなあなんてことも思ったりもしています(プリニウスにおけるとり先生のフレーバーというものがよく分かるんじゃないかと思ったりもしています)
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2021/04/14
ネタバレ
正に今読んで欲しい(マスターズ!)
小学生の自分には、ゴルフというスポーツはアニメの「プロゴルファー猿」くらいの知識しか無かったのですが、この作品と出会えたことは幸せだったんだなあと思っています。 主人公、飛田一八は冴えないプロゴルファーの父・飛田銀八のキャディーとして、日本を回る放浪暮らしを送っていました。 物語の序盤、そんな父と想像もしない別れが訪れ、一八はプロゴルファー養成所「音無島」に送られます。ゴルフ地獄の音無島を「卒業」し、プロテストに合格。国内で世界のトッププロと渡り合い、マスターズへと招待されます。 日本人がマスターズで優勝するーそれがフィクションであった頃に描かれた物語から30年。松山プロのマスターズ優勝のニュースを見て、古ぼけたマンガ読みはまずこの作品を思い出しました。 「オーメンコーナー」「ガラスのグリーン」という、世界で最も美しく、最も難しいコースを、森秀樹さんは精巧な筆致で描きます。1打に笑い、1打に泣く。グリーンジャケットを羽織った一八の姿を見てワンワンと涙を流す「彼」の表情の美しさは、無知な少年にグランドスラムの重たさを教えてくれました。 この作品は、序盤と中盤以降で大分趣が変わります。出来れば、最後まで読んで欲しい。ゴルフマンガというジャンルにおいて、傑作だと胸を張って薦められる作品なので。
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2021/01/12
ネタバレ
2021年、最初の宝物。(完)
連載終了の知らせを知った時、深い喪失感に包まれました。何故という思いとともに、緊急事態宣言下での売上の厳しさによるものだと容易に察することが出来て、コロナを憎む気持ちがまた強くなったものです(それはコロナが影響した自分の失業よりも強かったかもしれません)。 連載で読んでいた時から毎号楽しみにしていましたが、最終回も含めて宝物と呼べる作品であり、この作品を届けてくれた増村さんに感謝をしています。 この作品には、「悪人」は存在しません。悪意を感じる発言や行為はあるかもしれませんが、それは当人にとっては決して「悪」ではありませんし、恐らく自分のような凡人が日常的に感じたり発したりしていることでもあると思います。作者の増村さんのまなざしは、決してそれを責めたりはしませんし、だからこそ自分達にとって身近に感じたり、「何か」を残してくれます。そしてそれはバクちゃんにとっても一緒なのだろうと思います。 最後にもう少しだけ。バクちゃんとおじさんが一緒に遊ぶ場面も見たかったなあ。増村さんが今後それを描く機会をもたれることを、首を長くして待ちたいと思います。
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2021/01/11
究極のマンネリズム
ミニマルミュージックというジャンルがあることを知ったのはいつだったか思い出せないのですが、その概念で語り得るギャグマンガというのは恐らくいしい先生のこのタイトルなのではないかと思います。 いしいひさいちという人がギャグの世界における革命者であるというのは、愛読者にとって今更語る必要もないことですが、この作品のおかしさというのは多分古びることなく笑い続けることが出来るのではないかと思います。 一見すると、同じフォーマットで繰り返されるマンネリのネタに感じるかもしれませんし、下らないと切って捨てられるかもしれません。ただ、読み続けていくうちに、恐らく読者にはクスリという笑いから始まって最終的には爆笑がもたらされると感じています。 くどいようですが、反復することによって生じるダイナミズムというものは存在していますし、いしいひさいちという天才は、その効果を自覚的に自らの手法として取り込んでいます。 河出書房新社のいしい読本において、大友克洋さんがこのタイトルを大好きだと答えていて、いしい作品をきちんと読んだことのない人に勧めるのに良いのかも知れないと思ったりもしました。