ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~

昭和まんが史を刻む快作

ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~ 吉本浩二
六文銭
六文銭

双葉社「漫画アクション」の初代編集長の話。 いわゆる、漫画家漫画の派生、漫画関係者漫画ともいえるジャンル。 編集者とか出版業界系を扱ったこの手のジャンル、自分好きなんですよね。 非効率でアナログな時代に、それでも何かを表現したくてたまらない人間たちの情熱とか、それを見抜くセンスとか読んでいて熱くなるのです。 本作も、そんな内容。 モンキー・パンチをみて何かを感じ、後に漫画アクションをつくり、はては双葉社の社長にまでなる男の話。 双葉社。控えめにいっても、大手ではない中堅出版社ですが、だからこそ飛び道具といいますが、王道ではないところで勝負にでて、結果を出していく様は、読んでいて痛快でした。 自分の価値観やセンスを信じるしかない。 これは、別に編集者だけではないと思います。 仕事も全て、最後は、自分の価値観、センス、いわゆる自分の中にある美学的なもので腹をくくるシーンが必ずでてくると思います。 特に、サラリーマンでも中堅を超えてくると決断を迫られるシーンが多々あるので。 そうした意思決定のプロセスも垣間見える作品で、読んでいてグッとくるものがありました。 自分の価値観を信じて動くって、実はとても怖いことなんですけどね。 だからこそ、最後は大きくはっていくしかないんでしょうね。 情熱を武器に、仲間を集め、自分の信じる道を行く。 昭和の激動のなか、小さくもアツい男たちの生き様に感動しました。

監禁嬢

過去と向き合うという地獄

監禁嬢 河野那歩也
野愛
野愛

あなたは今までどれだけの人を傷つけましたか? と問われて、正確な数字を答えられる人はきっといないはず。 傷つけたことすら気づいてないことも、忘れてしまったこともたくさんあるはず。 そんな過去が今の自分をぶち壊しにきたら、どうする? 愛する妻と子どもと暮らす、平凡な高校教師・岩野。 ある日突然、カコと名乗る女に監禁され日常が奪われていく。 カコの正体と目的を突き止めるべく、岩野は自らの過去と向き合っていく。 過去に交際していた女性達と会うたびに、蓋をしていた記憶が開いていく。 人は誰しも思い出したくない過去はある。 傷つけたり傷ついたりした記憶ほど忘れたいものないので、その傷をひとつひとつ突きつけられるなんて拷問だよ…と岩野に同情してしまうほど。 黒歴史と笑い飛ばせない過去くらい、人にはあるものでしょう。それによって現在進行形で傷ついている人がいたとしたら、どう生きていけばいいのでしょうか。 カコの正体と目的を知り、岩野が出した答えが妥当な気がした。正解ではない気がするけど、人は生きてかないといけないし。 すっきりしないくらいがちょうどいい。過去は消えないものだから。

まんがかぞく

激レア設定(ノンフィクション)家族のリアルな愛惜

まんがかぞく 大島永遠
名無し

父母姉妹全員が漫画家。 父・大島やすいち、母・川島れいこ、 長女(本作の作者)大島永遠、次女・三島弥生。 その長女が描く実録家族漫画。 もしかしたら世界中でもこの一家だけかもしれない 家族全員が漫画家の一家という漫画家家族(ややこしいな) という激レア設定。 しかもノンフィクション。 私は大島やすいち先生といえば「おやこ刑事」の先生、という イメージはありました。すみませんが他の先生の作品は 読んだことがありませんでした。 けれどあの大島先生の家族がそろって漫画家になっていて、 その実態を漫画化していると聞いて、凄く興味をもって読みました。 読む前の推測では、漫画家って忙しくて人気商売で とにかく大変だろうな、 その家族って、まさに修羅の家みたいな普通じゃない家族生活を 過ごしてきたりしたんだろうな、と思いながら読みました。 その推測はあたってもいたけれど、それ以上に予想外の世界でした。 確かに父が多忙で母子と普通のコミュニケーションが とれていなかったとか、 修羅なエピソードもありましたけれど、それよりも 母が仕事を手伝う娘(小五)に乳首の描き方を指定するとか、 予想外の修羅な家族エピソードに意識を成層圏まで飛ばされました。 それでいて、家族ができる前の大島先生と川島先生の 馴れ初めなんて、いかにも漫画家カップルの出会い成立の なにそれその面白展開、という話にちょっと萌えたり(笑)。 結局、普通の家族の話ではないんですよね。 確かに世界に一つあるかないかの 家族全員漫画家というレアケースの話。 なので、普通の家庭の話と比較してもしょうがない話で うわ、こんな家族でも成立するんだ、と驚くしかないのですが、 それでいて垣間見える家族愛が、 そんな状況でも存在し成立するということで より深いものなのかもと考えさせられました。 漫画を絆にして成立するという、 一般的ではない家族なのだけれども だからこそ、いい家族なのが判るというか。 それでもやっぱり特殊な例、あくまでも特殊な成功例だとは 思いますけれど。 普通は、大島永遠先生、グレちゃうと思いますね。 こういう家庭環境だったら。 そこでグレずにそれぞれ成功し家族も維持し、 漫画でもヒット作を生む、というのが 漫画家サラブレッドとしての才能なのかもしれません。 よくわからんけれど。 特殊でレアなケースで、参考にはしようがないのだけれども、 これも一つの良いファミリー実録漫画なんでしょうね。

やっちまったよ一戸建て!!

家を建てるという自虐プレイ

やっちまったよ一戸建て!! 伊藤理佐
名無し

世界に一つの自分の家を建てるのが昔からの夢だったの、 その夢をついに実現させる時が来たの、 という話かと思ったら 実は、今がおトク!の言葉にフラッときて、 気が付いたら1年半以内に家を 「建てなければならない」 という立場になってしまった話だった。 大慌てで自分に合った家を考えるはめになり、 それは自分はどういう人間か、を考えることになり、 結果、徐々に具体化していく家の設計図はなぜか 「一人用三階建て一軒家」 アレこういう家でいいのか、という思いは そんな自分でいいのか、という思いにつながり、 家が出来ていくにつれて自分の心が傷ついていくような、 まさに「やっちまったよ!」な、 ノンフィクション・エッセイ漫画。 成功した人ってよく「御殿みたいな家を建てた」とかの 話を聞きます。 漫画家でも小林まこと先生とか西原理恵子先生とかが ナントカ御殿を建てた、みたいに言われていたし。 伊藤理佐先生もヒット作を生み出しているし 売れっ子漫画家と言っていいと思います。 だから30歳バツイチ独身という立場であろうとも なんだかんだ苦労しつつも新築一戸建てを建てる財力もあり、 けして自分を卑下する必要はないし 自分は成功者だ、と胸を張って豪邸を建てもいいと思います。 それにこうして漫画ネタになったのだし。 まあ少しくらいは「どう転んでも漫画ネタになるし」 という目論見も最初にあっての家造りだったかも、 とも(それで数千万円かけるか?とも)思いますが・・ 一方で、これは読後に知ったのですが、 家を作り始めた時には 「30歳バツイチ独身女子」だった伊藤先生ですが、 この漫画を描いて数年後に同業の漫画家の 「吉田戦車先生」と結婚したそうです。 この漫画の伊藤先生と、あの吉田先生がご結婚って、 さぞかし楽しい幸せな家庭を築いているでしょう。 私は伊藤先生と知り合いでもなんでもないけれども 「人生いろいろあったみたいだけれど、  良かったねえ、伊藤先生。」 と誠に勝手ながらではありますが思ってしまいました。

ふらら一人でできませんっ

ふららちゃんかわいい、だけでいいものかどうか

ふらら一人でできませんっ 渡邉ポポ
野愛
野愛

ふららちゃんは女子高生ですが何にもできません。自販機でジュースを買えないし美容室にも歯医者にも学校にも1人で行けないしパンツも履けません。 大抵のことはお母さんと幼なじみの錦ちゃんが全部やってくれます。 というように1人でできない具合がとんでもないです。どうして何もできないのか特に語られる様子もありません。最初から最後までほのぼの可愛いコメディのノリでふららちゃんは何もできないままです。 ふららちゃん何もできなくて可愛い!錦ちゃん不憫で可愛い! っていう受け止め方で合ってるんですかね…?それだけ受け止めればいいんですよね…? と不安になるレベルでふららちゃんは何もできないのです。 弱いものは守りたくなるし、可愛い子のわがままに振り回されるのは楽しくもあるし、この人はわたしがいないと何もできないと思うのは割と気持ちいいものだったりします。 ふららちゃんは高校に進学し、普通の可愛い女の子のビジュアルを保ち、ゲームをしたり映画を見たりするような知性と常識はあるはずなので、できないのではなくやりたくない気持ちが強いのだと個人的には感じました。 ということはお母さんや錦ちゃんが保護しすぎたせいでこうなってしまったのか、世話する喜び、振り回される喜びがあるのか…などと考えを膨らませてしまいます。 ふららちゃんかわいいねえ、で読み方は合ってると思うんだけどなんだか倫理観を問われているような気がしないでもないのです。 ふららちゃんはさておき、ふららちゃんのお母さんがかわいい。