じゃりン子チエ【新訂版】

なぜこれがアニメ化され、国民的人気作になったのか

じゃりン子チエ【新訂版】 はるき悦巳
hysysk
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子供の頃アニメを観ていたが、決して好きではなかった。「好きじゃないなら観るなよ」というのは今だから言えることで、当時はそれほど娯楽の選択肢が多くなく、暇を潰すにはテレビを観ているのが一番だった。 父親は暴力的で賭け事大好き、母親は別居中というのが、子供の頃の自分には恐怖でしかなかった。お父さんがああなったらどうしよう、お母さんが出て行ってしまったらどうしよう…。父親がパチンコに行くことで夫婦喧嘩になった時など、不安になったものだ。 しかし大人になって読み返すと、それぞれ口は悪いがお互いに思い合っているし、保守的な価値観に対する疑問や清濁併せ呑む態度など、生きる上で大切なことがたくさん描かれている。一般的なアニメや漫画に出てくる「普通の幸せな家庭」ではないことも、近い境遇の人達には勇気になったかも知れない。 舞台は大阪の西成区周辺をモデルにしていると思われるが、それも大人になるまでは分からなかった。今なら何故当時の大人たち(アニメの監督は高畑勲)がこの作品を子供達に観せたかったのかというのがすごくよく分かる。そしてジェントリフィケーションや格差の拡大、ポリティカルコレクトネスや自己責任論が吹き荒れる今、また読まれて欲しい作品だと思う。

花に問ひたまへ

切なくも爽やかな感動を呼ぶ、リバーサイドストーリー

花に問ひたまへ さそうあきら
ひさぴよ
ひさぴよ

「ここは何もないところさ でもね 何があっても水が流してくれるのさーーー」 多摩川近郊の町を舞台に、視覚障害者の青年・一太郎と、生活に困窮する女性・ちはやの、二人の心の交流を描いた物語。 ヒロインである「ちはや」を通し、視覚障害者の現実を知ることができると同時に、ちはやが抱える生活環境の苦しさにも直面させられる。 ちはやの家は、母親が居なくなり父子家庭でアル中となった父親をちはやが世話をして、家計を支えるため、ひたすらに働けども貧しい状態から抜け出せない。心が荒みきって、他人を助ける余裕など全くない状況から物語が始まることからも、この『花に問ひたまへ』が視覚障害者側の綺麗事だけで描こうとしていないことが伺える。 1話目での一太郎と出会いは、非常に気まずいシーンとなっている。早朝、急いで仕事に向かうちはやが、鬼のような形相でエスカレーターを駆け上がって、一太郎の持つ白杖を蹴り落としてしまうのだ。罪悪感を感じながらも、何もせずに立ち去ってしまうちはや。その後、町中のコンビニで一太郎に”発見“されてしまい、彼の優しさによって、ちはやの心は徐々に変わり始める…。 私たちは、障害者の物語と言えば、助けられるのは障害者の役割だと決めつけがちだが、この物語において本質的に手を差し伸べられているのは、ヒロインのちはやの方である。視覚障害者である一太郎が、ちはやにとってのヒーローのような存在となっている事が、人は目だけでモノを見るわけではない、ということを体現しているように思う。 視覚障害者にしかわからないことも、綺麗事抜きで読者に伝わりやすいように描かれていて、リアリティを持って伝わってくる。ヒューマンドラマとしても、ラブストーリーとしても上質な作品でありながら、障害を持つ人たちの日常を考えるきっかけを与えてくれる作品でもある。 ※ちなみに、冒頭でアリの巣を覗いてるお婆さんは、さそうあきら珠玉短編集「子供の情景」に登場する人物だったりする

ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~

昭和まんが史を刻む快作

ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~ 吉本浩二
六文銭
六文銭

双葉社「漫画アクション」の初代編集長の話。 いわゆる、漫画家漫画の派生、漫画関係者漫画ともいえるジャンル。 編集者とか出版業界系を扱ったこの手のジャンル、自分好きなんですよね。 非効率でアナログな時代に、それでも何かを表現したくてたまらない人間たちの情熱とか、それを見抜くセンスとか読んでいて熱くなるのです。 本作も、そんな内容。 モンキー・パンチをみて何かを感じ、後に漫画アクションをつくり、はては双葉社の社長にまでなる男の話。 双葉社。控えめにいっても、大手ではない中堅出版社ですが、だからこそ飛び道具といいますが、王道ではないところで勝負にでて、結果を出していく様は、読んでいて痛快でした。 自分の価値観やセンスを信じるしかない。 これは、別に編集者だけではないと思います。 仕事も全て、最後は、自分の価値観、センス、いわゆる自分の中にある美学的なもので腹をくくるシーンが必ずでてくると思います。 特に、サラリーマンでも中堅を超えてくると決断を迫られるシーンが多々あるので。 そうした意思決定のプロセスも垣間見える作品で、読んでいてグッとくるものがありました。 自分の価値観を信じて動くって、実はとても怖いことなんですけどね。 だからこそ、最後は大きくはっていくしかないんでしょうね。 情熱を武器に、仲間を集め、自分の信じる道を行く。 昭和の激動のなか、小さくもアツい男たちの生き様に感動しました。

監禁嬢

過去と向き合うという地獄

監禁嬢 河野那歩也
野愛
野愛

あなたは今までどれだけの人を傷つけましたか? と問われて、正確な数字を答えられる人はきっといないはず。 傷つけたことすら気づいてないことも、忘れてしまったこともたくさんあるはず。 そんな過去が今の自分をぶち壊しにきたら、どうする? 愛する妻と子どもと暮らす、平凡な高校教師・岩野。 ある日突然、カコと名乗る女に監禁され日常が奪われていく。 カコの正体と目的を突き止めるべく、岩野は自らの過去と向き合っていく。 過去に交際していた女性達と会うたびに、蓋をしていた記憶が開いていく。 人は誰しも思い出したくない過去はある。 傷つけたり傷ついたりした記憶ほど忘れたいものないので、その傷をひとつひとつ突きつけられるなんて拷問だよ…と岩野に同情してしまうほど。 黒歴史と笑い飛ばせない過去くらい、人にはあるものでしょう。それによって現在進行形で傷ついている人がいたとしたら、どう生きていけばいいのでしょうか。 カコの正体と目的を知り、岩野が出した答えが妥当な気がした。正解ではない気がするけど、人は生きてかないといけないし。 すっきりしないくらいがちょうどいい。過去は消えないものだから。

まんがかぞく

激レア設定(ノンフィクション)家族のリアルな愛惜

まんがかぞく 大島永遠
名無し

父母姉妹全員が漫画家。 父・大島やすいち、母・川島れいこ、 長女(本作の作者)大島永遠、次女・三島弥生。 その長女が描く実録家族漫画。 もしかしたら世界中でもこの一家だけかもしれない 家族全員が漫画家の一家という漫画家家族(ややこしいな) という激レア設定。 しかもノンフィクション。 私は大島やすいち先生といえば「おやこ刑事」の先生、という イメージはありました。すみませんが他の先生の作品は 読んだことがありませんでした。 けれどあの大島先生の家族がそろって漫画家になっていて、 その実態を漫画化していると聞いて、凄く興味をもって読みました。 読む前の推測では、漫画家って忙しくて人気商売で とにかく大変だろうな、 その家族って、まさに修羅の家みたいな普通じゃない家族生活を 過ごしてきたりしたんだろうな、と思いながら読みました。 その推測はあたってもいたけれど、それ以上に予想外の世界でした。 確かに父が多忙で母子と普通のコミュニケーションが とれていなかったとか、 修羅なエピソードもありましたけれど、それよりも 母が仕事を手伝う娘(小五)に乳首の描き方を指定するとか、 予想外の修羅な家族エピソードに意識を成層圏まで飛ばされました。 それでいて、家族ができる前の大島先生と川島先生の 馴れ初めなんて、いかにも漫画家カップルの出会い成立の なにそれその面白展開、という話にちょっと萌えたり(笑)。 結局、普通の家族の話ではないんですよね。 確かに世界に一つあるかないかの 家族全員漫画家というレアケースの話。 なので、普通の家庭の話と比較してもしょうがない話で うわ、こんな家族でも成立するんだ、と驚くしかないのですが、 それでいて垣間見える家族愛が、 そんな状況でも存在し成立するということで より深いものなのかもと考えさせられました。 漫画を絆にして成立するという、 一般的ではない家族なのだけれども だからこそ、いい家族なのが判るというか。 それでもやっぱり特殊な例、あくまでも特殊な成功例だとは 思いますけれど。 普通は、大島永遠先生、グレちゃうと思いますね。 こういう家庭環境だったら。 そこでグレずにそれぞれ成功し家族も維持し、 漫画でもヒット作を生む、というのが 漫画家サラブレッドとしての才能なのかもしれません。 よくわからんけれど。 特殊でレアなケースで、参考にはしようがないのだけれども、 これも一つの良いファミリー実録漫画なんでしょうね。