ガウちゃんといっしょ

好きだったのに終わってしまった作品

ガウちゃんといっしょ 河上大志郎 河上だいしろう
六文銭
六文銭

同著者『シガレット&チェリー』と同時期くらいに連載開始していたが、こっは先に終わってしまった作品。 どっちも好きだっただけに・・・正直いえば、こちらのほうが好きだっただけにちょっと残念な作品。 内容は、ガウチョ侍というガウチョズボンをはいた侍(もうマンマ)のようなキモカワな生物ガウちゃんと過ごす日常系漫画。 ガウちゃんは、宇宙からやってきたとか、主人公にしか見えないとかそういう特別な生物ではなく、漫画内では犬猫のようにごく当たり前に生息している設定。 主人公以外も、飼っている人がいて、またガウチョ侍の種類も手が長いとか姫タイプとか色んな種類がいる感じ。 これが、妙にかわいいんです。 外見はちっちゃいおっさん風味なんで、ちょっとイラッとするところもありますが、それも含めて不思議と愛嬌があって、みていて飽きないんです。 また、生態系が微妙に謎なので、何しでかすかわからない危うさもありますが、まぁ人類を滅ぼすとかそんな大層なこともなく、ゆるゆると日常を過ごす感じは癒やし系ともいえます。 好きだったのに4巻で終了。 さくっと読めるので、ガウちゃんに会いたくなって、たまに読み返してます。 あと『シガレット&チェリー』のキャラが巻末のおまけに登場するなど、同時連載ならでは試みもありますので『シガレット&チェリー』が好きな方はこちらも必見かもです。

部長と2LDK

上司と部下のドタバタ二人生活! #1巻応援

部長と2LDK おりはらさちこ
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

女性二人の同居を描く本作ですが、この二人の関係は、職場の「上司と部下」。しかも立場にかなり隔たりがあります。 ●三十代にして部長を任される、頼れるけれど真面目で堅い東(あずま)さん ●新入社員の明るくゆるふわな西さん どう見ても性格が正反対の二人が、たまたま同居する事に。険悪にならないの?と心配になりますが、実はこの二人、共通点があります。それは…… 生活力が、無い。 驚く程何もできない二人が一緒に住むと、0からじゃなくてマイナスからのスタートになるんですね。最初は結構、酷い日々。 でもそこから、協力しながら生活を共にし、上司の東さんが引っ張るようでいて部下の西さんがいろいろ教えたり、そのうち二人には連帯感が生まれ……。失敗ばかりの日々も、冒険じみていて楽しそう! 西さんのキャラクターが本当に素敵です。普通「部長」に、あんなにフレンドリーに出来ませんよ……「ぶちょー♡」って甘える女子新しいな……。その明るさで、ちょっとぼっちを拗らせ気味の東さんは救われている。 笑いも温かさも沢山の、二人のドタバタ生活は始まったばかり!

極道めし

美味しいとこだけ見えないから美味しい漫画

極道めし 土山しげる 大西祥平
野愛
野愛

今まで食べた中で一番うまい飯の話を語り、思わず唾を飲みこんだ人が多ければ多いほど勝ち。 今そこに飯があるわけじゃないからこそ面白い、それを漫画でやるのがこれまた面白い。 落語とか怪談とか民話とか、語りの良さってやっぱり語りにあると思うんです。語られてる事象や世界はそこに存在しなくて、でも語り口であったり表情だったりがその世界に引き入れてくれる。想像の余地があるからこそ面白い。 漫画は絵と文字だからある意味想像の余地がない…美味しそうな料理も、それを食べたときの表情も、見た瞬間にわかる。 でも、味は想像するしかないんですよねえ…。 想像の余地がないって言ったけど、いっちばん知りたくて知りたくて仕方ないところだけ想像するしかないっていうのがたまらなく面白い。 さらに、語りにおいて重要な声も聞くことができない。唾を飲みこむ音ももちろん聞こえない。 凄いなあ。漫画的面白さ詰め込んでるなあ。 料理における味、語りにおける音、この2つがわからないから余計に面白いんだなあ…。 なんてことを考えてもう一周読んだら面白かったです。漫画って面白いですね。

西岸良平名作集

世良田波波さんの漫画がついに世界に羽ばたいた!!

西岸良平名作集 西岸良平
影絵が趣味
影絵が趣味

めでたい! なんと目出鯛ことでしょう! 世良田波波さんの漫画がついに世界に羽ばたきました! 世良田波波ってだれ? って人は、いますぐツイッターの世良田さんのアカウントまでいって『きみは、ぼくの東京だったな』という14Pの漫画を読みましょう! 読んでいただければ、どうして西岸良平の短編集に、このことを買いているのかが何となくわかっていただけるかと思います。 世良田さんは無名ながらアックスで細々と活動を続けておられて、もう7、8年になるでしょうか。寡作ながらコツコツと息の長い作家さんで、まだ単行本は出ていません。おそらく今回の件をきっかけに、まずはアックスへの仁義を立てて、青林工藝舎から過去作を集めた初の短編集がでるような気がします。そのあとは、やっぱりトーチでしょうか。まあ、筋金入りの寡作家なので、また沈黙してしまうかもしれません。でも、とにかく、こんなに目出鯛ことはありません。 久しぶりに世良田さんの漫画を読んだら、西岸良平の漫画を思い出しました。比較的最近では『岡崎に捧ぐ』の山本さほなどもそうですが、極端にデフォルメ化された人物が特徴的ですよね。そして特に世良田さんと西岸を結びつけるのは背景への眼差しだと思います。背景への優しい眼差しがあるような気がするんです。お二人とも、背景を人物と同程度に描き込む。背景と人物のタッチがまったく同じなんです。それ故に人物は背景に溶け込んで、背景はただ背景にとどまらず、パースや遠近感を捨てて、コマの平面上に殺到しようとしてくる。背景が後方に逃げていくのではなくて、コマの前面にわらわらと押し寄せてくるのです。語弊を恐れずに言えば、小学生の夏休みの宿題の絵のような気合いの入り様とでも言いますか、おもちゃ箱をひっくり返したようなゴチャゴチャした手触り感覚を平面であるところの漫画に憶えるんですね。これは凄いことだと思います。 今回、世良田さんの短編が深い共感を呼んでいるのは、この背景への優しい眼差しがあるからなのかもしれません。だって、この背景の街々は、私たちが暮らしている街でもあるんですから。あるいは西岸良平の背景に感じる郷愁もそうです。みんな、いっせいに盛り上がれ! このコマの前面に!

奈落の羊

神様は何もしてくれない

奈落の羊 きづきあきら サトウナンキ
野愛
野愛

人に見つけてもらう、気づいてもらうことの喜びで人は生きている。それが幸か不幸はわからない。 昔は人気者だった配信者しゅーじが、売春でなんとか食い繋いでいるメイと出会うところから物語が始まる。 メイを利用して過激な企画で注目を集めるしゅーじだが、ヤクザや売春組織が絡み事件に巻き込まれていく。 命の危険に晒されても、人間としての尊厳を失っても、しゅーじとメイなら見つけてもらえないよりはマシだと言うんだろうな…恐ろしい。 2人の境遇にはかなり差があるけれど、根底にある部分が似ていたから妙な絆が生まれたのかもしれない。 しゅーじは浅はかだしクズだし、メイはかわいそうではあるものの自己評価が低すぎて見ていてイライラしてしまう。共感なんかひとつもできないけれど、救われてほしいだなんて勝手に思ってしまう。しゅーじの配信にコメントする人達と同じくらいの感覚。 最終話は無理矢理感もあるけれど、まあそうだよなと納得はできた。ギリギリ救いはあったかなあ、くらい。 そう簡単に元通りとはならないし、みんながみんな更生できるわけでもないし、もどかしいけどいい方向に進めばいいねくらいが現実的。 神様みたい、という言葉が印象的だった。