バガボンド

不器用な生き方しかできない人に読んでほしい侍漫画

バガボンド 吉川英治 井上雄彦
TKD@マンガの虫
TKD@マンガの虫

「ジブン不器用ですから」 日本人ならば誰もが一度は聞いたことのあるであろうこの台詞は1980年代放送された日本生命のCMで故・高倉健さんが放ったものだ。 僕はこのCMを一度も見たことがないし、実際に高倉健さんがこのセリフを言っているところを見たこともないが、自分を含めた多くの日本人男性の気質を言い当てた見事なセリフだと感じるのと同時にこの台詞が残り続けてしまうところに日本人男性の生来の生き辛さと悩みが集約されているように思う。 そして、そんな不器用な日本男性の頂上決戦漫画がこの『バガボンド』なのかもしれない。 なにせ、登場する侍達がみな周囲から誤解されながらも実直に己の剣を磨き続けることしか出来ない不器用な男達ばかりなのだから。 おそらく、多くの人はこの漫画を主人公宮本武蔵が『ドラゴンボール』の孫悟空よろしく「強ぇやつ戦いてぇ」と様々なライバル達と死闘を繰り広げるチャンバラ漫画だと思っているであろう。 確かにその認識は全く間違っていないし、大まかに理解するとそう言った作品だと思う。 しかし、今回初めて読んだ僕が最も心震えたのはかっこいい剣劇シーンではなかった。むしろかっこいいとは正反対とさえ言える不器用な生き方しかできない男達の姿に心が震えたのだ。 僕自身もそうであるように多くの日本人男性は陽気ではないし、無口であることが多い、それ故に誤解されやすくそのことを気にしていないふりをしながらもやはり心の奥底では寂しさを抱えている そんな男達の理解されないことの苦しさと その救済を真正面から描いているのがこの作品だと私は思う。 天下無双を目指す主人公宮本武蔵は両親からの愛情を受けることができなかったという生い立ちから自分の感情を表に出すことができないキャラクターだ。 だからこそ彼は相手を打ち負かすための斬り合いという方法でしか自分の内面を表に出すことができない。 自分の経験や考えというものを言葉ではなく剣でしか伝えることができないのだ。 そんな武蔵の剣と相対する敵キャラクター達も彼に負けず劣らず不器用な人たちばかり、そんな剣でしか自分の気持ちを面に出すことができない男達が「斬り合い」というコミュニケーションという言葉からは大きくかけ離れた場所でお互いの気持ちを探り合うのがこの漫画の本質のように不器用なまま20年以上生きてきた僕なんかは感じてしまう。 ネタバレになってしまうから明言はしないが、武蔵のライバルとして有名な佐々木小次郎もそこに本質があるからこそあのアレンジがされているのであろう。 こうして生まれた豊かな交流とつながりも自らが相手を斬ることで断たなければならないという残酷な結末を迎えたとき その言葉を介さない濃密で一瞬の交流に最上級のロマンを感じ僕は震えた 「あぁ!この繋がりをこの豊かで濃密な時間を相手を斬り自ら断ち切らなければならないのか武蔵は!こんな不器用な生き方があるだろうか!?いや!ない!」 とこんな具合に脳内で熱い実況解説をしながら読んでしまい、しばらく『バガボンド』の世界から帰ってこれなくなってしまった。 いい年した男の脳内をこんな風に真っ赤に燃え上がらせるというところに この漫画に込められた熱量を察してもらえれば幸いだが この熱量はどこから生まれているのだろうか? おそらく、それは作者の井上雄彦先生自身の性格からだと私は思う 以前、井上先生のドキュメンタリー見たことがあるが 「なんだか不器用な人だな」というのが全体を通しての感想だった。 おそらく先生自身も武蔵の剣よろしく漫画でしか自身を表現することができない人なのであろう。 その不器用さ故に書かれた漫画は読者を作者と感性をぶつけ合わせる「真剣勝負」の場に誘い、その末に読者は井上先生の実直な漫画に感銘を受けてしまうのであろう。 だからこそ、この作品は20年以上多くの読者を魅了し続けられたのだろう。 不器用もここまで来ればあっぱれとしか言いようがなく、僕自身井上先生や武蔵のように磨き上げた何かで人に衝撃を与えてみたいと一瞬思ってしまった。 まだ、完結はしていない今作だが、井上先生にはどうかこのスタイルのまま本作を描き切ってほしいと勝手ながら願うばかりである。

HaHa

やっぱり母は偉大だった

HaHa 押切蓮介
六文銭
六文銭

『猫背を伸ばして』『ピコピコ少年』などで著者の作品にちょいちょい出てくる作者のお母様のお話。 パンチパーマ姿で口うるさく、破天荒ながらも、 時折真理をついてくる金言の数々に胸うたれ、 「押切蓮介の母」ファンも多かったと思います。 実は、 私もその一人です。 本作の内容は、母の若かりし頃のお話。 意外にも母は、父親は警察署長、母親は老舗旅館の女将の娘という、 みるからに良いところの家育ち。 躾に厳しく、それが息子である著者にも口うるさくなっている部分だったのかと納得しました。 母親の母、著者にとっては祖母にあたる方から、連綿と続く人生哲学ともいえる価値観は純粋に良いなぁと思いました。 そうやって、行動指針、習慣は受け継がれていくんだなとシミジミ思いました。 ネタバレになるので詳細は控えさせていただきますが、 家庭環境など、なかなかの波乱万丈な人生で、結果として何事にも動じない、ほろ苦い「人生の味」を滲み出すようになったのかと納得できます。 最後の母の手紙(おそらく直筆)は、 その人生の過程を想像し涙を誘います。 なにはともわれ、母(母の母も)は偉大だと痛感しました。

ワールド イズ ダンシング

芸能の本質をつく#1巻応援

ワールド イズ ダンシング 三原和人
六文銭
六文銭

逃げ上手の若君同様、個人的に室町時代がアツイのですが、 さらに世阿弥の作品まで出て、いよいよ出版社も本気になってきたな! と、ホクホクしております。 世阿弥といえば、「風姿花伝」の著者で、それを秘伝書として後世まで残したのが有名ですよね。 「序破急」という言葉でご存知の方も多いハズ(主にエヴァ経由かもですが) 中でも、「年来稽古条々」は、今でも唸る部分が多いです。 年齢ごとにやるべきことをまとめたその一節は、端的に言えば、以下のような内容。 若い頃は、勢いや華やかさが最も美しい時期のため、実力とは違う点で評価されてしまうことがある。しかし、この時期で一生涯が決まるわけではないため慢心しないように注意が必要。 そして、年とともに、進歩に停滞がみられる時期がくるが、それでも絶望せずジッと耐えて実力を磨く必要性を説く。 そして、30後半から40才までには全てが決まってしまうので、この年代を、これまでを振り返って、これからどうすべきかを考える時期とし、40過ぎたら体力の衰えも重なるため、多くのことはせず得意なことに集中し、後任の育成をすべき・・・という流れ。 大分端折った要約ですが、これが600年以上前に書かれたってスゴイなと思います。 芸能の世界はもちろんですが、ビジネスシーンでもおっしゃるとおりだなと思うフシが多々ありますよね。 若い時代はあっという間なので、若さに奢らず、如何に自分を高められるかが重要だってことです。 本作は、そんな世阿弥の物語。 上記のような何百年も通じる芸の本質をついた本を書いただけに、 芸という、一瞬とらえどころのない世界を、体系的に、ロジカルに分別し考える感じが、純粋に「っぽい」なぁと感じました。 実際、こういう人物だったんだろうという現実味があります。 父・観阿弥との、父と子の関係も良いです。 2代に渡って技術だけでなく、思いが継承されていく感じ、好きなんですよね。 まだ1巻ですが、今、室町がアツイので、色んな意味で今後が楽しみです。