修羅の門

最強が決まるまでの興奮

修羅の門 川原正敏
名無し

最強の男は誰か? 最強の格闘技は何か? 格闘技をする者がなりたいと思い、 見る者が見たいと思う、 「世界最強」 だが、現役格闘家は別として、 果たして、マニアが見たいのは本当に 最強の男、格闘技が決まる瞬間だろうか。 成績とか結果とか結論を知る瞬間だろうか。 そうでは無いと思う。 その結論に至るまでの過程が重要なのだ。 それが決まるまでの経過を、ドラマを見たいのだ。 極端に言えば、最強の戦士・格闘技が決定して、 勝者の手がレフリーに掴み挙げられる瞬間より、 最強候補がリングにあがって対峙してゴングがなる瞬間、 試合が決着するまでにいたる攻防、 それらを見て興奮して味わいたいのだ。 「修羅の門」はそれが判っている。 だから、神武館のオープントーナメントや ボクシングの統一戦、ブラジルでのバーリトゥード、 それらの開催に至るまでの過程や、 各試合が始まるまでのストーリーも入念に描いているし、 その話がとても面白い。 そしてそれゆえに本番の試合がまた盛り上がる。 「最強」を決定するのに必要なのは 虚飾を排除したリアルな展開かもしれないが、 それをしすぎて単なるデータの抽出提示の過程に なってしまったのでは 「世界最強」という男のロマンが無味で色あせてしまう。 だから主人公の陸奥九十九は 無謀な連戦もしたりする。 互いに万全な体調で戦いましょう、 公正明大にどちらが強いか確認しましょう、 とか必ずしもそうではない。 だから神武館のトーナメント戦でも キックボクシング、シュートボクシング、プロレス、古武道、 それぞれの最強戦士とあえて戦う立場を自ら選ぶ。 そして大会主催者も相手の選手もそれを了承する。 その流れはリアリティに徹するならありえない流れだが、 格闘リアリティと格闘ロマンの両方を損なわず増幅させてくれた。 このシーンが描かれたとき、 「あ、この漫画、絶対に面白くなる」 と思った。

コンビニお嬢さま

題名は「コンビニ大和撫子」のほうが良かったのでは?

コンビニお嬢さま 松本明澄
名無し

主人公・兎月翠緑は自他共に認める良家のお嬢様。 しかし彼女はコンビニ・フードに心を奪われている。 しかし周りにも家族にも、それを知られるわけにはいかない。 なぜなら自分は伝統ある良家のお嬢様だから。 なので彼女は人知れぬ・知られてはならぬ苦労をしながら コンビニに通い、さらに手に入れたものを 自分流にアレンジして口福を味わうのであった・・ お嬢様なのにコンビニを愛してやまない女子高生の コンビニ商品のアレンジ・グルメ漫画・・ ・・・・・第一巻しか読んでいないが、 とりあえず読んで感じた印象は、そんな感じだった。 面白いし、凄く美味しそうな料理も出てくる。 あんかけ肉マンとか。 だけれども・・・ 色々とスベッテイルなあ、ともアチコチに感じた。 「コンビニお嬢さま」と言われても、 イマドキお嬢様って、そんなのいるの、という思いとか、 いたとしてもコンビニにお嬢様がいたからどうなのよ、 という疑問とか、 高貴な方?のカン違いコントなら、お笑いコンビの 「髭男爵」さんのほうが判り易いし面白い、などとも感じて、 いまいち素直に楽しめなかった、というか。 むしろ、こういう設定にするならば、いっそ、 「私のような高貴な人間が、コンビニのような  下賎の民の使う店に行っているとか  世間にバレるわけには行きませんのことですのよ!」 みたいに突き抜けてくれればもっと素直に笑えるのだが、 お嬢様を高貴だとする程度も、 コンビニを下賎だと決め付ける程度も、 ともになんか中途半端な感じで笑いきれないなあ、とか。 最初に読んだときはそう感じたりもした。 で、改めて読み直して気がついた。 あれ、そういう漫画ではなかったのかも、と。 主人公はお嬢様という設定なんだけれど、それは 金持ちブルジョア贅沢三昧に育てられたなお嬢様、 という設定じゃないみたい。 どうやら 質素倹約こそ日本の美、 コンビニなんて軽佻浮薄な存在に心惹かれるとは何事! という家で粗食で育ったお嬢様が、 という設定だったみたい。 そうだというなら、全然、話の見方・感じ方は変わる。 お嬢様、コンビニ、それぞれをリスペクトした、 そういうスタンスっていいな、と感じて 素直に楽しめる漫画だったのかも、と。 けして正統派和風お嬢様を皮肉るわけでもなく、 けしてコンビニを無理に下賎な存在とするわけでもなく、 質素を美徳とする正統派お嬢様が、 たかがチェーン店と思われがちなコンビニの中に 正しく価値を見出し、魅力を更に増幅する、 という両方向にハッピーな漫画、と感じられるなあ、と。 だから思う、 お嬢様って題名ではなく、大和撫子(なでしこ)とかに しておいたら、読者にはわかりやすくて 受け入れられたんじゃないかな、と。 ああだからこそ、いざ料理となれば わざわざ和服に着替えてタスキ掛けをするんだ、 まさに正統派大和撫子じゃないか、と合点がいく。 それなのにこの漫画、主人公が質素倹約系のお嬢様だということが アピール不足で読者には伝わりきれていないのでは、 と思った。自分は最初にそう感じたから。 まあ万札はたいて交通費をかけてコンビニを周るとか、 質素倹約とは反する部分もあったりしましたが(笑)。 自分がカン違いしているとか過大評価しているとか、 ちゃんと読者の大半には伝わっているよ、とか、 そうなのかもしれないが、 そうでないなら凄くモッタイナイな、と思った。