マッチョテイスト

マッチョガールという生き方

マッチョテイスト 小池一夫 中村真理子
たか
たか

最近ネットを見てたら偶然、このマッチョテイストの主人公・灯が描かれた 「私はマッチョさ!! 女のくさったみてえなてめえらなんかよりず〜〜っと男らしい女 マッチョガールさッ!!」 というコマを見かけて「なんだこのかっこいい女は…!?」となりソッコーで古本を購入しました。 読んでみると初っ端からわからない昔の言葉やスラングの連続で笑ってしまったのですが、このレトロでアウトローな空気が最高…! ギャグとシリアスの境目を行き来するような言動ばかりで、全部書ききれないほど名言が多かったです。 物語は「洗濯船」という名前の船の形をした女性専用アパートが舞台。そこにはファッションや恋愛を楽しむ普通の女性たちが住んでいるのですが、ある日、マッチョを自称する主人公・室戸灯が越してきたことで、彼女に鼓舞された住人たちもまた『マッチョテイスト(男らしい感覚)』を得ていく。 灯はマジで普通じゃない女で、アパートの庭で上裸でダンベル上げたり、いけ好かないプレイボーイの前でこれまた上半身裸になったり、ボディビルの大会でトップレスになったりする。 トレーニングを始めた女性たちが周囲からの反応を期待してウキウキしていると、「虚栄心を捨てるのさッ!! 他人に見せるとか見られるとか思っちゃァダメなんだッ」と一蹴する。 住人たちが不景気で金がないとぼやけば、「何でも欲しがるガキ(干し柿)だから、金がなくなると苦しいんだ」と一喝し、全員の食費やら何やらを徴収したあと「10日間、テレビも新聞も見るな。風呂に入るな、歯も磨くな。食費がなくなったら朝トレーニングして糞して寝ろ」と言う。 精神・肉体ともに普通の女性ではない。 まさにマッチョ。 作中ではレイプとかナンパとか結婚とか貧乏とか、いろんな試練が訪れるんだけれど、そのたびに灯による「マッチョの心得」が説かれ、それに叱咤されてみんなはなんとか壁を乗り越えていく。 先にも書いたとおり、この漫画はギャグとシリアスぎりぎりのお話……というか、四捨五入するとギャグなんですよね。ウェディングドレスでバイクに乗ったり、セックスの代わりに「街のダニ」に喧嘩を売ったりパンチの効いたエピソードが多い。 けどそんな面白エピソード以前に、そもそもこの時代(そして今も)「いい年こいた女が化粧もせず結婚もせず、ただひたすらに自分の体と精神を鍛えている」っていうこと自体がもう、そもそも世間から見たらギャグなわけですよね。「なにこの女ヤバ笑」っていう。 灯のことを普通の女性ではないと書いたけど、よくある言い方をすれば「女を捨ててる」。 けど、ただ女を捨てて終わりではなく、代わりに彼女は努力して「マッチョ」という新しい人間になったんですよね。 女じゃないので世間の「なにこの女ヤバ笑 女捨ててる笑」とか関係ないしダメージを受けたりしない。マッチョなので。 そしてふと、現代にはマッチョじゃないけどこのダメージと無縁な女性がいるな〜と思い出しました。 腐女子のつづ井さんです。 https://note.com/happyhappylove/n/n28f73ff5cdce 女性が1人でそのまんまありのままで超元気に生きてる物語が『裸一貫! つづ井さん』だとして、女性が男らしい感覚を手に入れてハツラツと生きるこの『マッチョテイスト』は、そのカウンターにあたるの物語なのかもしれない。 もう古本でしか手に入らないのですがぜひたくさんの人に読んでほしいですね。電子書籍化してくれ〜!!

ピーチガール 新装版

ガングロギャルとか

ピーチガール 新装版 上田美和
ゆゆゆ
ゆゆゆ

元水泳部でこんがり焼けた肌、塩素で赤くなった髪の毛と、一見遊んでいそうな見た目、吊り目で強気そうな顔立ちの、内面は純粋で真面目なもも。 そして、もものオトモダチとして仲良くする、なんでも欲しがる、分かりやすく悪役の(なので見ていてイラッとしてくる)さえ。 ももが好きな同じ中学校出身のとーじ。 とーじを奪われまいと適当に指さしてしまった、学年一のモテ男の岡安。 彼女たち4人による、ドキドキハラハラ恋愛漫画「ピーチガール」。 帰省して、ふと思い出したこの漫画。 たしかガングロと呼ばれたお肌こんがりファッションが若者の間で流行っていた頃に本誌で読んでいた漫画だ。 あの頃テレビでは、ヤマンバのような髪型をしたチョコレート色の顔のギャルが「黒人みたいになりたーい」と言って、日焼けサロンに通う姿を特集していたのを覚えている。 今だと、プールで日焼けして、色素が抜けているくらいでどうして主人公は勘違いされてるの?となるかもしれないけど、当時はそう見られ得る時代だった。 漫画では読むにつれて、読者側としてはその容姿はだんだん気にならなくなり、(ももは日焼けした肌を嫌がっていたが)他のキャラクターも強いて気にしておらず、普通の恋愛漫画と変わらなくなったように思う。 ガングロギャルの時代はおわり、美白の時代へ移り変わっていったせいもあるかもしれない。 読み直してみたら、さえはお友達にみえるときもあるけど、やっぱりムカつくなあと思ってしまった。

サバキスタン

ロシア人が描く独裁否定の寓話 #1巻応援

サバキスタン ビタリー・テルレツキー 鈴木佑也 カティア
兎来栄寿
兎来栄寿

ロシアによりウクライナ侵攻が開始されて1年半。現在もなお毎日さまざまな情報が飛び込んできます。 そんな今であるからこそ読まれるべき作品がロシア人の手によって描かれ、そして邦訳されました。本作は、架空の独裁国家サバキスタンを舞台にフルカラーで描かれる寓話です。 ロシアマンガを読んだことがある人は非常に少ないかと思いますが、翻訳も良いですし日本のマンガを読み慣れている方であれば苦もなく読める上手さを感じます。 物語は、サバキスタンを訪れるジャーナリストであったり、国内で忠誠を誓って働く人であったり、また独裁者本人であったり、さまざまな視点から多角的に描かれて進行していきます。その中で描かれる国家としてのさまざまな矛盾や差別、不条理は現実の写鏡のよう。キャラクターが動物の擬人化として描かれているからこそ、逆にありありと現実を思い起こさせます。それらは、日本で生まれ育っていると想像しにくい現実です。 何より帯文にも引用されている ″なぜ、不幸の中の自由は幸福の中の不自由よりも良いと、お前たちは考えるのだ?″ という、同志相棒ことサバキスタンの長であるドゥルジョーク・トレザロヴィチ・シャリチェスク=ライコフスキーのセリフが、この作品に強靭な骨格を与えています。 かつて、『銀河英雄伝説』でヤン・ウェンリーは「私は最悪の民主政治でも最良の専制政治に勝る思っている」と言いました。一方で、本作では「清廉でも公正でもなくとも君主独裁政治の方が、不幸の中にある自由たる民主共和政治よりも幸せではないか?」と独裁者が主張してくるわけです。 この論理に外側から反駁することはできるでしょう。しかし、当人の中では絶対的で揺るがない正当性を持って断行しているわけです。独裁を否定する物語でありながら、非常に強固な行動原理を持つ独裁者が据えられている。彼の言動もまた作中を飛び越え、資本主義社会に生きる私たちも射程に入れて脅かしてきます。そこを否定する論理の帰結が、果たしてどのように描かれるのか。 3ヶ月連続刊行予定ということですが、この物語がどんな形で結ばれるのかは今を生きる者として見届けねばならないと感じます。