無類の夏好きとしては、日に日に日没が早くなり、重々しいほどの陽射しと蝉時雨が軽やかに感じられるようになる、この晩夏という季節には、言うに謂われぬ気持ちが沸き起こってくるのですが、そんなときは秋の楽しみを言い連ねて心を落ち着かせています。 秋の夜長、秋晴れの高い空、お月見の秋、紅葉の秋、食欲の秋、芸術の秋、そして、読書の秋。むかしの人は、夏が終わるというのに、今度は秋のなかに次々と醍醐味を見出していて、何て前向きなんだろうと感心してしまいます。 さて、「夏草や 兵どもが 夢の跡」とは、芭蕉が平泉の古戦場(源義経が追い詰められて討ち死にした場所)を目にして詠んだ俳句ですが、夏の終わりが来ると、この句のことを自然と思い浮かべます。兵どもを熱かった夏の思い出に置き換えているんだと思います。兵ども、それは今年も涙した高校球児たちのことかもしれませんし、狂ったように鳴き続けるセミたちのことかもしれません。過ぎていった夏の数々の記憶に、芭蕉の句がふしぎと寄り添うんです。 そうはいっても、時も季節も前にしか進んでいきませんから、せっかくの秋の夜長なら、その時間を読書に費やしてみる。そうだ、長編を読もう。久しぶりに横山光輝の『三国志』を読み返してみよう。 読み始めて驚いてしまう。なんと、桃園の誓いを先駆けに、そこには熱かった夏の記憶のような熱戦や駆け引きが繰り広げられているんです。兵どもが頁のそこかしこで腕を奮っているんです。蜀の面々だけで言えば、劉備、関羽、張飛の三人が出合い、趙雲が仲間に加わり、関羽の右腕として元山賊の周倉、養子として関平が加わり、劉備の養子として劉邦が加わり、そして諸葛亮孔明に三顧の礼をつくし、さらには孔明についで龐統までが加わり、黄忠・厳顔の老将コンビが加わり、馬超一族が加わり、ここに関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超からなる五虎大将軍が生まれます。まさに夏の絶頂。 しかしながら、いつの世だって季節のというものは過ぎてゆきます。関羽、関平、周倉、劉邦の相次ぐ死を皮切りに、五虎大将軍たちがあっけなく逝ってしまいます。季節というものは驚くほど正確に時を刻んでゆくのです。 新世代の台頭として期待された張苞・関興の義兄弟コンビもあっけなく逝ってしまい、泣いて馬謖を斬り、姜維との新たな出会いや馬超一族から馬岱の献身的な活躍などがありながら、蜀の戦力はしだいに痩せ衰えてゆき、ついに孔明が逝き、後を継いだ姜維が孤軍奮闘しているさなかに首都成都を襲われた蜀は簡単に降参してしまう。なんというあっけない最期。 そして、また芭蕉の句が頭によぎるのです。 夏草や 兵どもが 夢の跡
学校の図書館であった数少ないマンガ「三国志」(あと、「はだしのゲン」) 小さい頃、夢中になって読んだ記憶がありますが、今あらためて読み直してもやっぱ面白いなぁと思う。 三国志関連のマンガは後にも沢山でてくるけど、この横山三国志は原点であり至高だと思います。 思い出補正とかではない、確かな魅力があります。 後続に比べて蛋白なキャラ絵なのですが(ともすれば見分けがつかない笑)、それでもしっかり理解できるのは、きちんと「人間」を描いているからだと感じます。 セリフだったり、表現だったりで、登場人物の人となりを描ききっているから、記憶にも残るのだと。 三国志のコマがよくネタにもなるくらいなので。 リアルな絵だから良いというわけではないのだと痛感します。 ちばてつや先生もそうなのですが、昔のマンガにはよくある傾向だなぁと最近よく思う。 本質に迫るからか、風化されない面白さがあります。 なんにせよ、横山三国志はやっぱり面白い!それに尽きます。 たまに読み返したくなります。
横山光輝さんの数多の作品の中でも、『鉄人28号』、「魔法使いサリー』、『三国志』などと並び代表作として有名なのが『バビル2世』です。 週刊少年チャンピオンが創刊されたのは1968年。『バビル2世』は1971〜1973年まで連載され、チャンピオンの初期を支えました。そして、数年後にチャンピオンは200万部を突破し黄金期を迎えます。 遥か昔、地球に不時着したバビルの子孫である浩一がその力を受け継ぎ、世界征服を目論む超能力者・ヨミの目論見を防ぐべく闘いを繰り広げる物語です。 ユリゲラーが初来日して超能力の大ブームが巻き起こったのが1974年ですが、その3年前から超能力ブームの礎を築き上げたのがこの作品。テレパシーやサイコキネシスという単語を本作で覚えた少年は非常に多いでしょう。同時期に萩尾望都さんらによる少女マンガSFの台頭があり、『精霊狩り』などエスパーを題材にした作品が出されたことも、ブームを後押ししていました。 『超人ロック』然り、物語において超能力者やエスパーというのは異端で孤独な存在とされることが多いです。多分に漏れず浩一も世間には知られないまま孤独な闘いを続ける少年として、暗い時代のマインドを反映しているかのように描かれました。71年の『仮面ライダー』や72年の『デビルマン』など、純粋な熱血タイプではない陰を背負った主人公の物語が多く出始めた時代とぴったり重なります。 なお、『ジョジョの奇妙な冒険』第三部主人公の空条承太郎も、『バビル2世』の砂漠+学ランというヴィジュアルイメージに大きく影響を受けていると荒木飛呂彦さんが語っていました。私自身はその記述を見てから興味を持ち、読みました。バトルに単純な力比べだけではなく頭脳戦的な要素が盛り込まれていたのも、人気を博した要因であり後の作品への影響を感じられるところです。ジョジョ好きには一つのルーツとしてぜひ読んでみて欲しい作品です。 余談ですが、アニメ版で主人公の浩一を演じたのは当時はまだ新人だった神谷明さん。オーディションでは既に売れっ子だった野沢雅子さんと最後まで争ったという逸話があります。
確か昔日本文芸社が出していたカスタムコミックで掲載されていた覚えがある。 あらすじは幕府は乱れに乱れた治安を回復するため、中山勘解由に役目を申しつけた。この中山勘解由が徹底的に悪人を処刑していく。全く人間らしいエピソードはなく、乱れに乱れた治安を回復するための職務を遂行することに忠実な中山勘解由にすごい好感がもてる。まじで「マーズ」の地球監視者といい横山光輝の描く自分の職務に忠実なキャラクターはどれもこれもカッコいい 確か同じ作者の横山光輝の「時の行者」にも少しだけ登場していたはずだが、まだそっちの方は人間味があったな。 あと「火盗斬風録」は雑誌掲載版とはちょっと違い、罪人の首を並べて一気に首を切る道具の描写がない
歴史の出来事として残っている服部正就と伊賀同心の確執が物語の元になっているマンガ 最初から30ページぐらいはこれ「闇の土鬼」に似ているなと思いながら読んでたけど途中から全く違う内容だった。 次々と刺客が兵馬に送り込まれては撃退を続けながら、徐々にかつての主君・正就との距離を縮めていき対決する。 このマンガの最終回は横山光輝のマンガって感じがして好きだな
横山光輝の代表的なSF作品である「バビル2世」や「鉄人28号」と比べ、この作品は海外でも通用するようなそんなクールな印象。「風の谷のナウシカ」の宮崎駿的な、少し人類を突き放した視点で物語を描いている、といえばいいでしょうか。設定も子供向けSFではありません。主人公のマーズは過去に地球を訪れた異星人が地球を爆破するためにセットしたキー。彼がロボットに命令するか、もしくは死ぬことによって爆弾が作動し、世界は破滅することになります。ただ彼は火山活動の影響で予定より100年ほど早く目覚めてしまい、地球人が危険な存在になった場合に地球を爆破させるという使命を忘れてしまっている。目覚めたマーズは人類をどうみるのか。地球を滅ぼさない選択をしたマーズと、彼の監視者である同胞との戦いの果てに待つものは…。多分に警告的なラスト。描かれた当時は米ソ冷戦時代でそれから30年以上経ちました。まだ半世紀以上余裕はありますが、現在ならマーズはまずどんな選択をするかな、と思わずにはいられない内容です。
旅人・ヘロデが大ウイグル帝国を建国するまでの話。多分実際の歴史とはかなり違うので歴史を学ぶというよりも「横山光輝が書く物語の楽しむ」のがメインの作品だと思う。 横山光輝の作品に登場する主人公にある「割り切り」「合理性」「一貫した行動理念」が溢れていてラストも含め最高だった。 ただ読む順番がよくなかったのか、同じ横山光輝の「長征」を読んだ後だったので同じようなネタを見ることになってしまったのが残念
横山光輝の作品が好きだから「これほど面白そうなところで終わった漫画も少ないんじゃない?」と思ってしまう。 時代背景は応仁あたりの戦国時代で落ち武者狩りに主人公が追われるところが始まる。琵琶湖を根城とする龍神組の頭目 幻也斉と水に潜れる亀甲船のようなものでこれから天下統一を始めようというところで終わる。最後は亀甲船で水に潜るところで終わってるせいか、成功せずに沈んで完結という見方もできてしまうがせっかく面白いので続いて欲しかった。またはリメイクとかして欲しい
これで初めてみんなが「横山光輝」の絵が区別がつきにくいと言っていたのがなんとなくわかった。 「三国志」「武田信玄」「武田勝頼」「伊達政宗」「項羽と劉邦」などは比較的に前提知識がある状態であり、兜/鎧/着物/髪型/髭などの複数の要因で登場人物の判別がしやすいがこの「平家物語」の内容自体よく知らないし烏帽子/着物あたりで登場人物の判別を繰り返す事になり、登場人物の判別で読解力を使い本編の内容があまり理解できなかった。 多分あと三回くらい読めば本当の面白さが理解できそう
たまたま漫画喫茶に完全版があったので読みました! 絵のデフォルメがかわいくて、キャラクターはコミカル。 サリーちゃんが人間界の風習を学んだり、パパを懐柔したり、カブをとっちめたり、ママに甘えたり…そういう一挙一動がただただ楽しい。 サリーちゃんのパパも魔術師ジョーも、キスで娘への愛情表現をするところが欧米風でとても素敵。なおパパは魔界の帝王なのにママには頭が上がらないという設定で、好きでもない人間界でお餅つきまでしちゃう、優しい…! 自分がサリーを読んで気になったのが、家族の描写です。 サリーとカブは人間で二人暮らし。よしこは両親共働きで、トンチンカンの面倒を見て家事をしている。同級生の小野さんは、お兄さんとお母さんの3人ぐらし。チェリーはアル中のパパに愛想を尽かして、お母さんが出ていってしまった。 16話の中に、多種多様で愛情深い家族が描写されていたところが印象に残りました。 横山先生自身は、「少女漫画はほとんどメロドラマばかりで、少年漫画のような『夢と空想』の漫画が少ない」ということでサリーを描いたと折返しに書いてありました。 やはり物語の土台として「家族」の描写がリアルだったからこそ、『夢と空想』がいっそう魅力的なものになったのではないかと思います。 現代まで続く少女向け漫画のエッセンスを感じることができる名作です!
無類の夏好きとしては、日に日に日没が早くなり、重々しいほどの陽射しと蝉時雨が軽やかに感じられるようになる、この晩夏という季節には、言うに謂われぬ気持ちが沸き起こってくるのですが、そんなときは秋の楽しみを言い連ねて心を落ち着かせています。 秋の夜長、秋晴れの高い空、お月見の秋、紅葉の秋、食欲の秋、芸術の秋、そして、読書の秋。むかしの人は、夏が終わるというのに、今度は秋のなかに次々と醍醐味を見出していて、何て前向きなんだろうと感心してしまいます。 さて、「夏草や 兵どもが 夢の跡」とは、芭蕉が平泉の古戦場(源義経が追い詰められて討ち死にした場所)を目にして詠んだ俳句ですが、夏の終わりが来ると、この句のことを自然と思い浮かべます。兵どもを熱かった夏の思い出に置き換えているんだと思います。兵ども、それは今年も涙した高校球児たちのことかもしれませんし、狂ったように鳴き続けるセミたちのことかもしれません。過ぎていった夏の数々の記憶に、芭蕉の句がふしぎと寄り添うんです。 そうはいっても、時も季節も前にしか進んでいきませんから、せっかくの秋の夜長なら、その時間を読書に費やしてみる。そうだ、長編を読もう。久しぶりに横山光輝の『三国志』を読み返してみよう。 読み始めて驚いてしまう。なんと、桃園の誓いを先駆けに、そこには熱かった夏の記憶のような熱戦や駆け引きが繰り広げられているんです。兵どもが頁のそこかしこで腕を奮っているんです。蜀の面々だけで言えば、劉備、関羽、張飛の三人が出合い、趙雲が仲間に加わり、関羽の右腕として元山賊の周倉、養子として関平が加わり、劉備の養子として劉邦が加わり、そして諸葛亮孔明に三顧の礼をつくし、さらには孔明についで龐統までが加わり、黄忠・厳顔の老将コンビが加わり、馬超一族が加わり、ここに関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超からなる五虎大将軍が生まれます。まさに夏の絶頂。 しかしながら、いつの世だって季節のというものは過ぎてゆきます。関羽、関平、周倉、劉邦の相次ぐ死を皮切りに、五虎大将軍たちがあっけなく逝ってしまいます。季節というものは驚くほど正確に時を刻んでゆくのです。 新世代の台頭として期待された張苞・関興の義兄弟コンビもあっけなく逝ってしまい、泣いて馬謖を斬り、姜維との新たな出会いや馬超一族から馬岱の献身的な活躍などがありながら、蜀の戦力はしだいに痩せ衰えてゆき、ついに孔明が逝き、後を継いだ姜維が孤軍奮闘しているさなかに首都成都を襲われた蜀は簡単に降参してしまう。なんというあっけない最期。 そして、また芭蕉の句が頭によぎるのです。 夏草や 兵どもが 夢の跡