僕が暗い青春を過ごした90年代は、「ハーレムもの」の全盛期でした。「パッとしない男がなぜかたくさんの女の子にモテモテ」という、基本にして絶対のテーゼによって作られた作品の数々、現実でパッとしていないたくさんの僕達はみな夢中になったものでした。それが2000年代も半ばになると、男がほぼ全く登場しない作品が増えてきたではないですか。
 作品を楽しむ切っ掛けとして、共感というものはとても重要な要素だと思っています。登場人物の誰かに自分を重ねあわせるから、作品世界に入っていける…。しかし、女の子たちがキャッキャウフフと仲良くしている作品には感情移入する先が必要ありません。それは、共感して物語をたのしむのではなく、女の子たちの日常を傍観者として楽しむという新しいスタイルなのです。作品世界を見渡す神の視点…というよりはむしろ、ピーピングする虫の視点なような気がしますが…。
 『百合男子』は女の子たちがキャッキャウフフする世界を心から愛する高校生・花寺啓介が主人公。絵柄はとても可愛らしく(女の子が鼻筋が通っていて可愛い)、啓介もBL漫画のような容貌をしていますが、中身は男…いや漢!
 啓介は、百合専門誌「百合姫」を愛読しているうちに、だいぶ重症になってしまい、現実の女子たちにも百合を重ねあわせてしまっています。現実の素敵な百合を見たいがために、同級生に対して半分ストーカーしたりしています。
 そんな現実と妄想をごっちゃにする啓介にも、同志と呼べる百合男子が登場します。しかし、大きな違いよりも細かな差異のほうが気に障るのか、お互いの趣味嗜好を貶し合う結果に…。
 そんな彼らを啓介は「一人は百合のために!みんなも百合のために!!」と一喝し、百合という大道を志す同志として結束させます。啓介は百合のリーダー、「百合ーダー」として百合の荒野を邁進していくのです。
 百合という、可憐さと美しさで固められたジャンルを語る暑苦しい男たち…。何度も言いますが、絵柄はとても端正で可憐なのですが、そこで描かれている「漢」の暑苦しさは、少年漫画でも最近ちょっと見かけないレベル。語られる百合理論は押井守のように饒舌で、百合のために闘うアクションシーンは『ドラゴンボール』顔負け。この加速していくギャグシーンはかつて見たことの無いレベルです。
 『百合男子』を読んで百合にハマれるかどうかは個人差があるかもしれませんが、1つのジャンルを夢中に語る、漢たちの熱さが確かに心に伝わってくるのです。
 冒頭で啓介が叫ぶ「我思う、ゆえに百合あり。だが そこに我、必要なし」という悲しい決意が、人々との関わりでどのように変わっていくのか、最後まで読んで目撃して欲しいですね。

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