ある男子高校生の少し不思議な成長の記録
ある日、トイレで吐いた吐瀉物はむくむくと好きな人の形へと変化し、それ以来部屋では彼女と、思ったことを思ったように好き放題行っていた。 思春期に、自分勝手で利己的であった自分から、他人との境界線を感じ、思うようにできるものとできないものを理解し、ひとつ殻を破るまでのお話。 人はある時期まで、万能感に包まれなんでも出来る気がするし、他人は自分の望むことは何でもしてくれるものだと思ってしまうフシが誰しもある。 それは、母性由来の影響だと僕は思っていて、子の望むことに対して極力親は叶えてあげたいもので、それが「願い事は基本的に叶う」という万能感につながる。 無理なものは無理で、他人や他人の心を自分の好きなように動かすことなんて基本的にはできないし、無理やり好きなように行動させられたとしてもそこに心はないといつかは悟るはずだ。 そこのややこしいところを、思春期に日常の対人関係の中で一歩踏み込んだ人ととの対話で自然と学んでいく。 それは部活であったり友人であったり恋人であったり。 その通過儀礼を若い時期に果たせなかった人たちがたまにいるヤバイ大人やクレーマーへと化けるのだ。 他人は「お母さん」ではない。 なので、ある意味、この主人公は自分のお母さんとセックスしまくっていたことになる、と考えたらまさに「吐き気」が止まらない。 少し不思議で手痛い授業料だったが、これで一つ大人になった。 主人公がこの体験を客観的に言語化してキチンと自覚できるようになるのはまだ先かもしれないが、感覚で分かっているはずだ。 他人を思う通りにしようなどおこがましい。 好きな人は、モノを扱うように好きにできるものではなく、一人の人格を持った者だ。 "だからこそ"面白いし、恋焦がれる。 甘く切ないひと夏のいい想い出。 この経験を糧に、これから主人公は本当の意味で恋をしていくのだろう。 あー、考え様によっては人生は面白くなっていくように作られているんじゃないだろうか。 最高かよ、人生。