将太の寿司 全国大会編

将太≒ガンジー説

将太の寿司 全国大会編 寺沢大介
野愛
野愛

物語として素晴らしい。 装備ゼロの勇者が敵を倒し故郷を救う物語でもあり 闘いの果てに愛と友情で世界を照らす物語でもあり ひとりの少年が父を超えるイニシエーションの物語でもある。 関口将太くんが立派な寿司職人になるまでの成長物語、というワンセンテンスで片付けてはいけない。 関口将太が寿司を通じて人間力を高め、その清らかな心で病める人々を救う物語なのだ。 第一話から将太くんは間違いなくいい子であるが、困難に立ち向かい寿司の技術を身につけていき、人類がおよそ到達できないような高みにまでのぼりつめている。 ガンジーはピストルで襲撃され命を落とすその瞬間に、あなたを許すという意味のジェスチャーをしたと言われている。 関口将太自身を、関口将太の家族を苦しめ続けた笹寿司に対して何を見せたのか 人の心を失い修羅のように寿司を握った敵に対して何を見せたのか その答えは、ガンジーが死の淵まで提示し続けた許しの心に匹敵するものではないか。 寿司を握るという行為を通じて、ひとりの少年が神の域にたどり着くまでをわたしたちは見届けることができるのだ。 将太の寿司は創世記である。 将太の寿司は神話である。 将太の寿司は…寿司がめちゃめちゃ美味しそうである。芽ねぎ食べたい!マグロステーキ食べたい!お寿司食べたい!!! 煩悩を刺激する神話ってすごくないですか? 地球に将太の寿司が産み落とされたという事実、それがもはや神の御加護なのでは…!? 将太くんが神なのか寺沢先生が神なのかはたまた寿司が神なのかもうわからないけれども、とにかく将太の寿司は全人類に読んでいただきたい漫画であること間違いなし。 全ての人類が将太くんのように常に誰かを思えば世界は変わるのではないか。 隣人を愛せよ、隣人に寿司を握れよ。こんなご時世だからこそ愛を忘れずに生きていきたい。 ちなみにわたしが好きなお寿司屋さんは回らないかっぱ寿司です。新幹線すこ。 というわけでワールドステージ読んできます。

懐かしファミコン物語

思い出が主役ってやつ

懐かしファミコン物語 高梨みどり 魚乃目三太 桑佳あさ 加納康雄 ハナムラ 浅野りん 田中顕 治島カロ フジヤマヒロノブ 斉藤ふみ 福丸やすこ あさいもとゆき しゅりんぷ小林 なかむらみつのり
ひさぴよ
ひさぴよ

まず、この作品はレトロゲームを紹介することを主題とした漫画ではありません。 ファミコンで遊んでいた時代の、懐かしい思い出を描いた漫画です。 元は、コンビニコミック「僕らのファミコン日誌 ―80's,熱中時代」(2014年少年画報社)の掲載作品がベースになっており、総勢16名ほどの漫画家が各エピソードを漫画化したアンソロジー本です。 魚乃目三太、浅野りん、福丸やすこ先生などの、コンビニコミックでよく見かける漫画家さんたちが揃っています。 男の子のエピソードは男性作家が担当し、女の子のエピソードは女性作家が担当しているという印象を受けました。 ゲームで遊んだ思い出と言われても、ゲームそれ自体に熱中していると、記憶に残らなかったりしますが、友達のウチで遊んだ思い出などは、意外と覚えているものです。 ファミコンは家で遊ぶものですから、なにかとヨソの家族と遊ぶことも今より多かった気がします。 各エピソードにて、いろんな家族・家庭が登場しますので、それを見ているだけでとても懐かしい気持ちになれますよ。

たっくんに恋してる! 番外編 プチデザ

子供ってやっぱり可愛いなぁ

たっくんに恋してる! 番外編 プチデザ 森尾理奈
名無し

妹大好きな小学3年生のたっくんと、おしゃまさんの3歳になる妹、たまちゃん。野球の試合ではドジをばかりして活躍できないし、怖くて泳ぎもできないたっくんですが、たまちゃんを守るために水泳教室に通うという大決心をします。ドジなお兄ちゃんにがっかりしっぱなしだったたまちゃんも、それを見てやっとお兄ちゃんの優しさに気づいてくれてホントに良かった‼︎ 上がお兄ちゃん、下が妹という兄妹は、たいていお兄ちゃんが穏やかで優しい性格、妹ちゃんが男勝りでサッパリした性格、という組み合わせが多いのですが、こちらの作品でもそのパターン。それが故にコメディタッチのギャグ漫画的な作品の中にもリアリティが感じられて、たっくんとたまちゃんが生き生きとした存在として目に写ります。たっくんの天然さ、ドジ加減、優しさ、たまちゃんのおてんばぶり、3歳にしてすでにクールな観察力、お兄ちゃんに近づく女の子へのジェラシー、それらのすべてが微笑ましくて、愛らしくて、子供ってやっぱり可愛いなぁとほっこり、温かい気持ちになります。たっくんと同じく少し天然なママと、愛情豊かなパパも仲が良いのも、とても羨ましい‼︎ 子ども好きな人や、ほんわり温かい気持ちになりたい人にオススメの作品です。

クワトロバッテリー

2組のバッテリー、4通りの可能性 #1巻応援

クワトロバッテリー 高嶋栄充
sogor25
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野球マンガにおいて、投手と捕手の一組・"バッテリー"は絶対のパートナーとして描かれることが多い。野球というスポーツの特性上、攻撃は全員参加なのに対し守備は投手の占める比重が異常に高く、投手及びサインを出して投球をコントロールする捕手は、個々の能力以上に2人の間に強い信頼関係がないと成り立たないからだ。では、そのバッテリーが1チームに"2組"いるとしたら、果たしてどうなるのか。 幼馴染で中学からバッテリーを組む投手の夏速一汰と捕手の虹村優多郎、そして2人とは別の中学で天才バッテリーとして名を馳せる投手の天宮地大と捕手の氷波蓮。この4人が同じ高校に進む所から物語が始まる。当然中学時代は個々のバッテリーしか知らなかった4人は、高校でそれぞれの人間性や才能に触れるうちに徐々に心境が変化していく。 夏速はコントロール度外視で誰よりも速い球を投げることに全てを懸けていて、それに幼い頃から付き合ってくれていた虹村に全面の信頼を置いている。 虹村は夏速に対して絶対の友情を感じてはいるが、抜群のコントロールを持つ天宮の球を受け、"配球"という捕手としての醍醐味を初めて感じる。 天宮は自分への絶対的な自信から中学の頃から氷波と対立していたが、氷波の能力を最大限に認めていて、自分と組むのは彼しかいないと思っている。 氷波も同じ思いではいたが、ノーコンの夏速の投球を自身の指導で劇的に改善させられたことから、夏速を教育して成長させることの楽しさを感じ始めている。 というように、元々が別々の2組のバッテリーだった4人が同じチームになることにより、いつのまにか一方通行の4人片思いのような状態となってしまっている。しかも、それぞれの気持ちのベクトルの原点が元々の信頼関係や選手としての能力、もしくは自己実現の楽しさのような感情であったりと様々。 この"一方通行の四角関係"が、本来投手も捕手も1人しか試合に出られない高校野球という舞台においてどういう化学反応を引き起こすのか、これまでの野球マンガでは見られなかったものが見られそうでとても楽しみな作品。 1巻まで読了。

高杉さん家(ち)のおべんとう

おべんとうと家族のできたことやできること

高杉さん家(ち)のおべんとう 柳原望
名無し

かなり特殊な境遇の年の差の男女が 主にお弁当を通じて互いの気持ちを確認し成長し、 家族が出来ていく物語。 高杉温巳・31歳。地理学の研究者で独身。 突然の叔母の死で、姪っ子の保護者になり共同生活をする事に。 それまで存在すらはっきり知らなかった姪っ子、 高杉久留里・12歳。中学生の美少女。 学者バカ気味な温巳と、 無口で趣味が食品スーパーの特売品ゲット、の久留里。 どちらもややコミュ症気味。 「家族なんて無理かも」と思い悩む温巳に、 久留里が初めて作って持たせてくれた弁当は・・ この漫画の面白い点の一つに、 温巳のいかにも研究者なキャラがある。 お弁当漫画だが、料理研究者ではない。 地理学の研究者。 なので久留里の気持ちに配慮しようとしたり、 お弁当のレシピを考えたりする、 その思考方法がいかにも研究者的。 だが料理ではなく地理学の研究者なので、 さらに女心にはそうとうに鈍感なので、 なんだか分析や結論が正しいような間違っているような(笑)。 ときに論理的過ぎて感情が欠けていると感じそうなその思考が、 実は純粋な家族愛から生まれているのも、なんとも独特。 そしてその家族愛もお弁当作りの日々を経て、 少しづつだが色々な成長や変化が生じてくる。 久留里は久留里で、セールとか特売とかへの執着心は ケチといわざるをえないレベルではある。 だが、それは自分への厳しさであり、それが 自分を抑える性格にならざるを得ない育ちに由来することが 徐々にわかってくる。 そして二人は少しづつ互いを理解し、家族になっていく。 家族が出来たからお弁当を作ったような、 お弁当を作ったから家族が出来たような、 ハートフルなお弁当漫画。

人間のいない国

無機質のなかに"やさしさ"が感じられる物語 #1巻応援

人間のいない国 岩飛猫
sogor25
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その国には400年の間、人間がいなかった。そこには自律式人形(ゴーレム)のみが活動しているだけ。そんな国に現れた1人の少女・シイ。彼女には昨日までの記憶がなく、なぜか三角頭のゴーレムに追われている。追われる中で駆け込んだ電車の中で、同じく電車に乗っていたゴーレム・バルブに助けてもらったことから物語が始まる。 シイの出自はほとんど謎に包まれており、物語が進むにつれて本当に少しずつ明らかになっていく。そしてその中で、賢いながらも年相応の感受性を持ち合わせているシイと会話機能すらなく心を持たないはずのバルブとが交流を深めていく様に素直に心を打たれる。表情豊かなシイと本来無機質であるはずのバルブの交流の中に不思議と"やさしさ"が感じられる。ちなみにバルブには違法改造を施されていることを示唆する描写があり、もしかしたらバルブのほうも何か秘密を抱えているのかもしれない。 また、舞台となる国は人間がいないにも関わらず荒廃しているわけではなく、多くのゴーレムたちによりあたかも社会活動が保たれてるかのような雰囲気を見せる。それは人間がいなくなった後も"人間への奉仕"という指示をゴーレムが守り続けているためで、形だけの国が保たれているからこそもしかしたら本当の意味での"ポストアポカリプス"を描いているのかもしれない。その雰囲気だけでも是非感じて頂きたい作品でもある。 1巻まで読了

魔女のマリーは魔女じゃない

史上最もコミカルな"魔女狩り"の物語 #1巻応援

魔女のマリーは魔女じゃない 小林安曇
sogor25
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時は16世紀。神聖ローマ帝国は"魔女狩り"の最盛期である。勿論処刑される者の中に魔女はほとんどおらず、本物の魔女は密かに身を隠したり上手く人間社会に溶け込みながら生き永らえていた。 主人公の魔女・マリーも森の中の小屋に1人で済みながら薬草を提供するなどして人間社会との関わりを保っていた。この作品はそんなマリーと彼女の身に迫る魔女狩りの危機の物語 …を限りなくコミカルに描いた"スラップスティック魔女ライフコメディ"である! そもそもマリーは自身のことを魔女だと思っていない。ただちょっと箒で飛べたり悪魔を召喚できたりするだけである。ちなみに彼女の言動にツッコミを入れてくれる相棒のナハトは"カラス"である。 その上でマリーは人間社会との関わりを極力保とうとする。一応身を隠すために礼拝に参列したりはするのだが、魔女の使いと言われる黒猫を助けたり箒を武器にしたりして自ら墓穴を掘っていく。 その軽いノリとキレのいいボケツッコミを繰り広げながら、魔女狩りなどのシリアスな設定はしっかりと守られていてそのギャップが楽しい不思議な雰囲気がある。果たしてマリーは魔女狩りを避けながら平穏な日常生活を守ることができるのか。乞うご期待! 1巻まで読了