トナリはなにを食う人ぞ ほろよい

香川男子×長野女子の同棲、割と幸せ進行

トナリはなにを食う人ぞ ほろよい ふじつか雪
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

前作『トナリはなにを食う人ぞ』で、見事恋を成就した元ズボラ女子・稲葉さん。社会人になり、料理男子の瀬戸君と同棲を始める本作、なかなか甘々です。 前作と比べ、お酒をがっつり飲んだり、エッチな攻防が繰り広げられたりと、オトナな内容多め。レシピも酒のつまみが増えつつ、作り置き・弁当・副菜等豊か。 何がいいって、稲葉さん一人頑張るわけじゃないところ。瀬戸君も自分の細かい性格を自覚して直し、お互いに生活をすり合わせ、感謝しあったりして、共に楽しく生活する。そんな二人を、素直に見習いたくなります。 一番盛り上がるイベントは、お互いの実家への帰省。食を含め互いの基盤を知ったり、親に認めてもらおうと頑張ったり。特に瀬戸君の実家・香川回は、地域の食、実家の家業や家族構成など、瀬戸君の背景が見えて人物像に深みが。私も長男だから、分かるよ〜。 安定している二人だけれど、実は物凄い偶然のご縁だと知っているから、こちらがこの二人にどえらく感情移入してしまう。おはようからおやすみまで生活を覗きながら、二人の奇跡の続きをいつまでも眺めていたい、そんな作品です。

ラブ・ミー・ぽんぽこ!

読まなきゃ損する超ハイテンション狸婚活コメディ!!

ラブ・ミー・ぽんぽこ! 赤瓦もどむ
天沢聖司
天沢聖司

初めてこの作品に出会ったときから、表紙の上手さを見て「あーこれ絶対面白いだろうな」と思っていたけど、読んでみたら想像を軽々超える面白さだった!読むと無茶苦茶元気が出る…!! https://youtu.be/U9Io0ExsVj8 主人公は一族の生き残りをかけて、人間の男と結婚するため学園に通うメスタヌキのぽんこ。人間の女の子に化けた姿はなかなか可愛いけど、いかんせん本性がタヌキなのでオツムはかなりアホ…だがそこがいい…!! この動物らしい単純な思考にキュンキュンしてしまう。自分は哺乳類飼ったことないのですが、おそらく犬を飼っている人はこういうキュンを毎日味わっているんだろうな〜と、読んでいてホッコリします。 この動物っぽいアホっぽさがいい味を出しているという点で、千年狐にかなり近いものがありますが、根底がシリアスな向こうの話と比べるとこちらはバリバリの学園コメディなので心の底から安心して笑って楽しめます。動画工房にアニメ化して欲しさ2000%。 さらにコメディとして最高だなと思うのが、この作品のイケメンヒーローである二ノ宮兄弟もガッツリボケてギャグに参加して畳み掛けてくれるところ! ただクール気取ってないところが好感度高いし、イケメン2人による勢いのあるボケと鋭いツッコミが面白さを加速させててたまりません。 https://twitter.com/modomutu/status/1184788511276158976?s=20 もうホントにとにかく絵が上手くて…マジで眼福です…かわいい…ニチアサになってほしい…かわいい…🥺 人間の姿も可愛いんですけど、タヌキ姿のときもまるで人間のようなポーズをとったりして全身表情豊かで超可愛いんですよ…! これは絵がうまくなきゃ描けないよなぁと、毎回しみじみ思います。 ぽんこと二ノ宮兄弟の、ラブに発展する気配の全くない飼い主とおバカなペットのようなほのぼのしたプラトニック関係が最高な一方で、動物園のペンギンのぎん(♂)と飼育員のぎんじろー(男性)の2人の“““愛”””に満ちた関係にはトキメキで胸がねじ切れそうになります。 現実でもたまにいて話題になりますよね、飼育員さんに求愛するペンギンって。こうやってマンガで描かれちゃうと、ものすごい健気さで見てるこっちがおかしくなりそう。破壊力すごい。 ペンギン姿でも充分すぎるくらいキュンキュンしてたのに、ぽんこの力で人間に化けるとかも〜〜〜ね。動物マジやば…最高…。 4巻では男装のボクっ娘(イタチ)まで登場してもう全方位敵なしだな…という感想。この優しくておかしい世界をいつまでも見ていたい。 未読の方はいま1巻無料なので読んで笑顔になってください!!

トナリはなにを食う人ぞ

スパルタ料理指南から恋は生まれるか

トナリはなにを食う人ぞ ふじつか雪
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

晴れて都会の大学デビューの稲葉すずな。一人暮らしを始めるも、彼女は全く料理が出来ない!テキトーな生活で大変な事になりそうな所を、隣の部屋の瀬戸晴海に救われる。飯ウマ男子の瀬戸君に、稲葉さんは料理を教わり始めるが、彼はめっちゃスパルタで……。 ○○○○○ この作品、私はマンガParkのアプリで知りましたが、掲載誌は白泉社の『AneLaLa』。『LaLa』の増刊とのことで、大学生や社会人、そこを見据える高校生が対象なのかな? 家を出て一人暮らしって、切実ですよねぇ。高校出るまで料理なんてした事ないっていう、稲葉さんみたいな人いっぱいいると思う。そういう人にはこの作品、切実に刺さるはず。その上、私のようにいい歳まで自活を回避してきた人にも、恐々読ませてしまうものがある。 「この漫画読んで、わたし最近、料理始めました!」(あうしぃさん・40代男性) 瀬戸君はスパルタなのですが、真剣で生活を大切にする人。稲葉さんは彼を尊敬し、厳しい教えについて行くうち、少しずつ、料理は上達していきます。 稲葉さんも真剣で、今まで切り捨ててきた「生活」を、丁寧にしようという努力には好感が持てます。さらに結構食いしん坊の稲葉さん。意外と料理、上手くなるかも……?彼女の着実な成長に、ちょくちょく感動させられます。果たして瀬戸君が、彼女を認める時は来るのか? そして実は最初に「タイプじゃないから」と瀬戸君に言い渡されてしまった稲葉さん。このまま何もない、ただの隣人として……?さあ、どうでしょう?

まかない君

夢ならば醒めないで

まかない君 西川魯介
野愛
野愛

ほのぼの絵柄と美味しそうなご飯と永遠に続いてほしくなる日常感をまといながら、ハチャメチャに美化された初恋みたいな甘酸っぱいエロスを放り込んでくるとんでもない飯漫画です。 トキメキと劣情のちょうどど真ん中を刺してくるような漫画です。 なんて言うと誤解を招いてしまうでしょうが、従姉妹3人と同居っていうのがファンタジーでドリーミングなシチュエーション。 翻弄されつつも楽しい日常をおくり、いちばん歳の近い弥生ちゃんと何かが芽生えちゃいそうになる感じももう夢でしかない。カジュアルファッションででっかい眼鏡で地味そうなのに無邪気で時折セクシーさも感じさせるという弥生ちゃんもどう考えても夢です。 ピンク髪の姫騎士と同等の夢具合です。 なのに浩平ときたら、弥生ちゃんをはじめ従姉妹たちにドギマギしながらも慈愛に満ちた目で美味しそうな料理を作り続けるもんだから…浩平こそ夢じゃん!!という感情でいっぱいです。 気づいたらハーレム的な鈍感主人公じゃないのがよい。わたしも浩平の従姉妹になりたい。 100%日常にひそませた非日常と、ほのぼのに隠したほんのちょっとの色がどうにもこうにも心を捉えて離さないのです。まかない君おそるべし。 芋煮とおにぎりの組み合わせ最高です。家で食べる手作りおにぎりって特別感があってよいですよね。

甲子園の空に笑え!

攻撃のない野球 ~その涙のゆくえ~

甲子園の空に笑え! 川原泉
影絵が趣味
影絵が趣味

2018年の夏の甲子園といえば、金農旋風が世を席巻しましたが、農業高校が9人の固定メンバーで県予選から甲子園の決勝まで勝ち進んだことが、川原泉の『甲子園の空に笑え!』とまったく同じだと密かに話題になっていました。偶然って、本当におそろしいですね。まさか、川原泉も自分の描いた嘘でたらめのようなマンガの物語が現実に起ころうとは夢にも思わなかったことでしょう。決勝戦で春も制した優勝候補の大本命に負けてしまうところまで同じですからね。 さて、この季節になると、もともとが涙もろい性格なのに、それにさらに拍車がかかります。今年は春夏ともに甲子園はありませんでしたけど、それでも、地方大会や交流試合の中継をみて涙をこぼしてしまう。それだけでは済まなくて、ネットのニュース記事を読んだだけで泣けてきてしまうから困ったものです。それで、まあ、『甲子園の空に笑え!』を読んだら、これまたボロボロに泣いてしまい、今に至るというわけです。こんなに泣けてしまって、自分ってもしかして何かの病気なのかなって思い立ち、色々と調べはじめるぐらいですからね。悲しくて泣いたことっていうのは、たぶん人生で一度もなくて、何かを美しいと思ったときとか、人の懸命な頑張りの軌跡みたいなものを感じとったときにとにかく弱い。つまり、受け身で泣くということはなくて、自分がそこに何かを見出したときに涙が出るみたいなんです。じゃあ、そこに何を見出したのかといって、球児たちの美しさを見出しましたなんていまさら言えるはずもなく、仕方がないので人が泣くことについて調べてみる。 ふむふむ、近年の心理学的見地では「無力感の認知」と泣くことの関連性が言われているらしい。例えば、人が予期せぬ朗報を受け取った時に泣くのは、表向きには、起こっている事態に対して無力である、影響を与えることができないと感じるためである、と。 閑話休題。 野球というスポーツの特異点は、まず何と言っても攻撃と守備の時間が明確に分かれている点にあると思います。攻撃と守備がまったく無関係に独立している、とまでは言いませんが、ルールの上では無関係に徹している。表と裏と言いますけども、表裏一体なんて言葉もありますけども、野球にかぎっては表裏がたがいに独立している。もっといえば、表と裏をひとつの単位にした回というものも、1回から9回までそれぞれに独立しています。三者凡退の回もあれば、ビッグイニングの回もある。さらにもっといえば、各バッターの打席ごとに独立していますし、ピッチャーの投げる一球ごとに独立しています。こうしたひとつびとつのプレイには全て判定があり、名前が付けられています。ストライク/ボール、アウト/セーフ、三振/四球/死球、犠打/単打/長打/本塁打、盗塁/盗塁刺、刺殺/併殺/失策/捕逸、挙げていけばきりがないですね。もちろん記録に残らないプレイというのもあるにはあるんですけども、基本的には全てのプレイに名前があり、記録として残されます。こうしたプレイのひとつびとつが一回一回を進め、野球という時間をつくっていきます。ここらへんがサッカーやバスケといったスポーツと大きく異なる点で、野球は時間のなかで行われるのではなく、ひとつびとつのプレイが野球という時間をつくってゆく。プロ野球のナイターでは、18時に始まって、24時過ぎに終わった試合まであるそうですからね、なんと6時間! ちなみに最短は55分だそうです、短! ちょっと話が逸れましたが、野球というスポーツは、ひとつびとつのプレイ、ひとつびとつに名前があって、それぞれに独立しているプレイのひとつびとつが時間をつくってゆく、尚且つ、それらは記録として残される。良い記録も、悪い記録も、勝敗を分ける点数に結びつく記録も、結びつかない記録も、それぞれに独立していて、それら全てに名前があり、記録として残されるのです。 これは野球にかぎった話ではありませんが、よく失敗を挽回するなんてことが言われます。でも、どんなに次の機会に頑張ったとしても、失敗は失敗としてそこにあるわけで、あったことを無かったことにはできません。失敗は失敗としてあり、挽回は挽回としてあり、それらは表裏一体のような体をなしておらず、あくまでも、それぞれに無関係に独立していると思います。こういった考えは残酷と思われるかもしれませんが、あったことを無かったことにできるというのなら、その逆もまた然りというわけで、成功もまた失敗によって無かったことになってしまう。そんなことが許されますか、めっちゃ頑張っていい球を投げられるようになったのに、たった一球の失投をホームランにされて、それまでの好投は無かったことになる、そんなことが許されてたまるもんですか。でも、試合は試合ですし、相手だってこの一球を逃さないための練習を重ねてきていたからのホームランです。 コロナで春のセンバツが中止になったとき、頻りに救済案ということが言われました。結果として春夏ともに甲子園大会は中止になりましたけど、仮になにか救済案があったとして、それでもセンバツを戦えなかった選手たちの無念は残ると思うんです。救済は救済としてあるかもしれない、でも、それは選手たちの無念とは無関係にすれ違ったままだと思うんです。数学ではマイナス1にプラス1をすれば0になりますけど、人の心はそんなふうにはできていなくて、マイナス1も、プラス1も、ともにそこに変わらずにあり続けると思うんです。 ある意味でこのことは、いっぽうからしてみれば、もういっぽうに影響を及ぼすことができない「無力感の認知」ということにもなり得ます。とくに攻撃と守備が相互に独立している野球というスポーツにおいて、この「無力感の認知」はよりいっそう顕在化されると思います。夏の甲子園の球史に深く刻まれた一試合に「日本文理の夏はまだ終わらない」でよく知られる、中京大中京vs日本文理の決勝戦があります。10-4と大差をつけられた日本文理が9回裏二死から怒涛の追い上げで1点差まで詰め寄ったところで、最後の快音が三塁手のグローブに吸い込まれて終わるのですが、負けた日本文理は負けたのに晴れやかな顔をしていて、勝った中京が悲愴な顔をしている。しかも、優勝インタビューを受けた四番でピッチャーの堂林が帽子で顔を隠して泣いているんです、ほんとうに情けなくて悔しいです、と。このことを書きながら自分もまた泣いてしまっているんですけど、この試合で堂林はホームランを含めた三安打で得点のほとんどに絡んでいるのにもかかわらず、9回裏の情けない自分を悔いて泣いているんです。しかも、10点をとられて負けた日本文理のピッチャーの伊藤、9回裏二死が続いて、なんということか偶然にも彼の打席で満塁となり、三遊間を破るヒットで走者を二人還して二点差まで詰め寄ります。このとき、二塁まで到達した伊藤のガッツポーズもまた忘れられない、さらに次の代打のヒットで伊藤はホームベースを踏んでついに一点差まで! また、このことを書きながらボロボロに泣いてしまっているんですけど。 そして、広岡監督の率いる豆の木高校は守備のチームです。というのも、赴任してきた広岡先生はドライでクールな生物の教師として、何故かやりたくもない野球部の監督を押し付けられ、そもそも汗と涙の高校野球なんてキモチワルイとすら思っている。それで、まあ、ストレス発散にノックで生徒たちをいびっていたら、いつのまにかチームの守備力が向上していたという能天気ぶりなんですけど、そんなドライでクールな広岡先生が不純な動機とは無関係にいつのまにか高校野球にのめりこんでいくんですよ。 守備だけをひたすら鍛えたチームですから、点なんかとれやしない。広岡監督は選手たちに言います「うちのとりえは守備だけなんだから、たとえこっちが0点でも、相手に一点もやらなけりゃ、少なくとも負けることはないのさ」そして、自分自身にも心の中で言うのです「そーだ、守るんだ、それしか生きる道はない」。となれば、攻撃はもはや神頼みしかない、祈ることしかできないわけです。まさに自分たちの守備に誇りを抱いて、人事を尽くして天命を待つですよ。 ところで、甲子園交流試合の鶴岡東5-3日本航空石川では、5-3の9回裏、追いかける航空石川が2アウト1・2塁と逆転のチャンスをつくって、勝利目前の鶴岡東は最後の打者を打ちとったと思ったんですが、それまで投手のピンチを何度も救ってきた遊撃手がエラーしてしまい、満塁の大ピンチを招いてしまいます。結果としては次のセカンドの好守備に助けられて鶴岡東が逃げ切ったんですけど、自分があの遊撃手なら高校最後のエラーを忘れられないと思うんです。だからといって高校最後の試合を勝利でおさめたことが消えてなくなるわけでもない。どちらとも、ともに、それぞれに無関係に独立にして、そこにあり続けると思うんです。 それはちょうど、恋人にフラれてしまっても、かつて恋人と過ごしたきらきらした日々が消えてなくなることのないように、いつか見た川のせせらぎのきらきらが消えてなくなることのないように、全てのあったことは、ネガティブなことでも、ポジティブなことでも、どちらでもないことでも、あったこととして、そこに変わらずにあり続けると思うんです。自分さえそう信じていれば。 思えば、人生なんてどんな人でも負け戦だと思います。あの清原が見事に体現してくれているように、裕福な家に生まれようが生まれまいが、才能があろうがなかろうが、努力で這い上がろうが這い上がるまいが、多かれ少なかれどんな人生もひとしく負け戦だと思います。攻撃のない野球みたいなものです。誰も彼もボコスカに打たれまくって肩で息をしているピッチャーみたいなものだと思います。攻撃のない野球ですから、どんなに上手く守ってもゼロ、最高のパフォーマンスを発揮してもゼロ、ゼロじゃあ試合には勝てません。たぶん、生きるということは大洪水の川のなかにいるのにひとしくて、流されないように辛抱するのがせいぜいで、進むことなんてできやしない。でも、それでも、と信じさえすれば、守備とは無関係のどこかできっと攻撃が繰り広げられていると思うんです。どんなに清原が落ちぶれようとも、かつて清原が打ったホームランは消えてなくならないように、かつて清原が日本シリーズで流した涙がぜったいに消えてなくならないように。 豆の木高校の豆っ子たちが点をとれなくてもあの手この手で(自分たちの手には負えないやり方で、でも、守備だけは懸命に頑張った!)決勝まで勝ち進んだように、今日もどこかで日本文理の終わらない夏が9回裏の奇跡のような猛攻をどこかで繰り広げていると思うんです、すくなくとも自分がそう信じさえすれば!!!!

クレッシェンドで進め

"今"を生きてる高校3年生たちの群像劇 #1巻応援

クレッシェンドで進め 宇仁田ゆみ
nyae
nyae

受験シーズン真っ只中に行われる校内コーラス大会の練習や準備に追われる様子を賑やかに描いた1冊。途中までピンとこなかったんですが、最後のセンター試験と言っていて、あ、これまさにいま(物語の中でいうと2019年夏)を生きている高校生の話なんだと気づきました。人によっては失敗できない大変な状況だったりするんですね。 そんな忙しい中でやらなければならないコーラス練習。本来ならば適当に済ませて大事な試験勉強の方に時間を使いがちな気もしますが…なにがクラスをひとつにしたのか、そのきっかけが「優秀な成績をおさめたクラスに与えられる学校オリジナルの手ぬぐい」というところが高校生らしくて可愛らしいのです。 また、あらすじにもあるようにクラス内にいくつも発生する「片思いの連鎖」も見どころ。ほんとどこまで続くのこれ!?という感じ。 いろんなものを乗り越えて大会の本番を迎えたクラスはどんなステージを見せてくれるのか。私は鳥肌が立ちました! 1冊完結でさほど長くない話ですが、みんないい子たちなので、これからいろんな辛いことたくさんあるかもだけど頑張って生きてね…と謎の目線で読んでしまった。