pennzou
pennzou
1年以上前
単行本タイトルはシリーズ名であり、このシリーズは1987年に週刊マーガレットにて掲載された。シリーズはそれぞれ「金魚草のこころ」、「紫陽花の陰に猫はいる」、「カルミア」というサブタイトルが充てられた3話から成る。単行本には短編「月夜のつばめ」(1988年発表)も収録されている。ここでは「五番街を歩こう」シリーズについてのみ記す。 岩館作品を熱心に読めていないため見当違いかもしれないが、シリーズ3話全てに結婚という概念が登場するのが本作の特徴だ。結婚する・しない、結婚後の行き違い、別れた後が物語の要素になっている。それは直接的にあるいは形を変えて登場人物の心に陰を落としているが、物語の最後には解決をみる。この解決は風が通ったような心地よさをもたらし、どこか楽になれた気がしてくる。また、登場人物の悩む内容には読者にとってもわかりポイント(現時点でそう思っているでもよいし、もし登場人物と同じ立場だったら確かにそう思うだろうなーでも構わない)があり、それも心地よさに作用している。 五番街という地名はおそらくニューヨークの五番街(Fifth Avenue)からとったネーミング。ネタ元の街並み通り、作中の街も当時の都会的なビル街となっているが、たまに出てくる庶民的なアイテム(ちくわとか……)やあんまりかわいくない猫にくすりとさせられたりもする。これらの要素は突き詰めると矛盾しているように思えるが、あまり世界設定にはこだわるなということだろう。こだわらない分、物語に集中できる効果もあるかもしれない。 岩館作品に共通しているあまりにも繊細で美しい絵も大きな魅力だが、たまにあるコメディチックな表情付けや演技もほっと一息つけて良い。 前述の通り、本シリーズは結婚という概念の存在感が大きい。つまり、所謂大人の世界を描いている。それが週刊マーガレットに掲載されていたと考えると驚いてしまうが、「五番街を歩こう」~「月夜のつばめ」以降は週マでの作品掲載がないことから、岩館先生の描きたいものが変化していっていると捉えることもでき (作品世界と混同するのは良くないが、3話の終盤の台詞にそのニュアンスを感じる)、そういった意味では過渡期の作品であるかもしれない。前後の作品を読み、その変遷について考えるのもいいだろう。自分はそうしてみようと思います。
アファームドB
アファームドB
1年以上前
設定だけを簡単に言えば「嘘を聞き分ける」超能力少女、鹿乃子のお話。 が、もちろんこの能力一本だけでは特別珍しい設定でも何でもないわけで。 『嘘解きレトリック』ではこの超能力少女が、洞察力鋭い貧乏探偵、左右馬の助手というのが話の肝になります。 超能力物というと、どうしても能力の有利な側面ばかりに目が行きがちですが、この「嘘を聞き分ける」という能力、決して万能なものではなく、実際鹿乃子は左右馬と出会うまで、周りから疎まれ、孤独に暮らしてきました。 能力のせいで不幸になり、能力と上手に向き合うことができないのが、お話冒頭での状態です。 左右馬の洞察力、能力の理解、能力の生かし方が揃って、初めて鹿乃子の力が発揮されます。 左右馬による能力の検証は、賭け事で大儲けできないかとか、小銭稼ぎのイカサマだったりで、ともすれば深刻になりがちな内容のことを、こんな風にコミカルにできるのが素敵ですよね。 鹿乃子にとって能力はなんてものはトラウマでしかないわけで。 左右馬の能力に対する接し方、向き合い方は、真剣でいて、それでいて深刻になりすぎないようにするという、ね。 この記事を書くに当たって作者の都戸利津先生の今までの作品を全部読みましたけど、先に『嘘解きレトリック』読んでからみると、都戸先生の嘘というものに対するスタンスというか考え方まで気になってしまいますね。 鹿乃子が「人を悪者にするようなそんな嘘はついちゃダメ!!」って言ったり。 鹿乃子が自分の口から出るウソまでウソとわかってしまったり。 本当にこの辺りの作りは巧いですね。 そもそも表紙買いしたので絵に関しても触れておきましょう。 作者コメントに 「眼鏡、おかっぱ、着物、昭和初期、探偵、洋館、猫、食べ物…描きたい物を描けるだけ描いていこうと思っています。」 とあるだけあって、時々物凄く細かい描き込みがありますね。 鹿乃子の表情の描き分けと、 ウソを左右馬に教える合図の仕草なんかもまた非常にかわいらしくていいですね。 別におかっぱ属性なんてなかったんだけどなあ…… 日常超能力物が好きな方、ライトなミステリー物が好きな方、恋愛物が好きな方、伏線好きな方、おかっぱ好きな方(笑)、一読いかがでしょうか。