兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
南木義隆さんが2022年に上梓した小説を、『病月』や『北の女に試されたい』の箕田海道さんがコミカライズした作品です。 赤の広場で演説するレーニンを主人公が暗殺しようとするところから始まる百合物語はなかなかないでしょう。 第1話は丸々カットバックとして使われます。恐らく1920年5月に行われた赤の広場でのレーニン演説の際。すべてを奪われた主人公キーラがその怒りを刃に込めながらも、それをどこに振り下ろすべきか迷いながらレーニンを標的にし、しかし秘密警察に防がれて未遂に終わり捕えられる寸前までが描かれます。1話では、まだキーラの名前も出ないのが特徴的です。まるで、歴史という大海の暗く深い部分で藻屑として消えていったことを象徴しているかのようです。 そして、第2話から舞台は1905年の7月、ウクライナ南部のオデーサ(元々は「オデッサ」と呼ばれていましたが、2022年3月31日から外務省によりウクライナ支援及び連帯を示すためロシア語ではなくウクライナ語に基づく読み方にするという方針で「キエフ」を「キーウ」、「チェルノブイリ」を「チョルノービリ」と呼ぶのと同様に「オデーサ」と呼ぶことに決められました)に場所を移して、本格的に物語が始まります。 美貌と輝かしい未来がありながら暗澹たる過去を抱えるお嬢様のエレナ。エレナの屋敷に仕える、捨て子で故郷も血縁者も持たない16歳のキーラ。世の不条理によって奪われ欠落した部分を互いに埋め合うように、情愛を交わし合う間柄のふたり。その破滅的で危うく、しかし艶やかな営みが狂おしく胸を焦がします。 16歳のころは誰かを憎んだり復讐の炎を燃やしたりといった感情もなかったキーラですが、やがて反ユダヤの機運が高まる中で横行したポグロムという悲劇が彼女を襲います。運命の皮肉と言うべきか、レーニンも実はユダヤ系の血を引く人間でしたが存命中はひた隠しにされていたという事実はキーラも知りえなかったでしょう。 きっと、そこに刃を突き立てられていたとしても本質は何も変わることはない。それでも、突き立てようとせずにはいられない。その身から血と共に溢れる衝動を止めることはでき得ない。人はみな大河の一滴であったとしても、その大きな流れに抗う。その切実な在り方に、強く引き付けられます。 この物語によくぞ箕田さんを抜擢したなと。この黯さと、それだけに止まらない情感の表現をするならば理想的だと感じました。あとがきを読んでも、非常に真摯にディティールにもこだわって描いていることが伝わってきますし、神は細部に宿っています。 今の情勢下であるからこそ、『戦争は女の顔をしていない』や『同志少女よ敵を撃て』などと併せて読んでおくべき作品であると感じます。
兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
『星子画報』の凹沢みなみさんによる新作です。目に見えて画力が上がり、とても読みやすく魅力的な絵になってきています。 「東工大の彼氏を尊敬していたが、東京工業大学だと思っていたら東京工芸大学(偏差値37)で100年の恋も醒めた」という笑い話も漏れ聞きますが、実際に『純猥談』などでも語られていた通り高学歴の男性に欲情する女性は存在するようです。ただ、それは生存戦略的には実に真っ当なことで、高学歴であるということは現代社会においてはイコール経済力の高さに非常に結び付きやすい要素。昔でいえば、大きなマンモスを狩る能力に匹敵するわけで、それは遺伝子レベルで惹かれることも不自然ではありません。 しかし、この日本の最高位とされる進学校にはひとつ問題があります。それは、中高一貫の男子校であるということ。何なら、開成だけではなく他の御三家である麻布と武蔵も、関西の雄である灘も、全部男子校です。世界には、男と女が半々でいるにも関わらず、思春期の6年間の長い時間を男性のみがいる場所で過ごす。そして見事に東大に進学し、突如普通に女性がたくさんいる環境に置かれたときに何が起こるかは火を見るよりも明らかです。 個人的には、割とこれは根深く重大な問題だと思っています。日本最高の頭脳である東大理Ⅲの男性が、異性とのコミュニケーション能力に乏しかったり免疫がなかったりする状態は大変によろしくないのではないか。 そういう意味では、この作品の主人公・大沢正直(おおさわまさなお)のように、少々痛々しく見えてもいろいろな経験を若いうちにしておくのは大事なことだと思います。 本作は、コメディ成分が多く見た目以上に男性でも楽しく読めるであろう進学校男子のラブコメ。 「使われてる…! 他人の青春のダシに使われてる…!」 というフレーズで開幕し、他校の男女から動物園の見世物的な扱いを受けつつも、偏差値や将来性などで心の中でマウントを取りながら何とか精神の安寧を保っている普通の賢い男子高生たち。そんな彼らが慣れない女の子たちとの関わりを通して味わい深さをもたらしてくれます。 この作品の特徴は、何といっても凹沢みなみさんの卓抜したセンス。 ・「青春陳列剤」 ・「トロミをつけてクラフトビール飲むサブカルジジイ」 ・青臭いことを語ったり距離が縮まりがちな「放課後ファミレス」の言い換え→「アオハル阿片窟」 ・「目クソ鼻クソ世界王者決定戦」 ・「公立…内申点という邪教を拝する異教徒!!」 などなど、語彙力が天才的でパワーフレーズが大連発されます。架空のマンション広告のキャッチコピー「都心、開闢」などさり気ないところにも好きポイントがたくさんあります。 性格の悪いシグマ、実家が太く聖人な樹太郎らいつも3人組でつるんでいる同級生や、昂ると薩摩武士のような表情になり誤解を招くヒロインのちほねなどサブキャラクターたちも漏れなく魅力的です。 ギャグは冴えに冴えわたっているのですが、恋愛の部分や人間ドラマ的な部分もギャップで見せてくれるところが多々あります。 巻末には、外山薫さんによる外伝小説付き。サブキャラの魅力を補強する1篇となっています。 普段、少女マンガを読まない男性にもお薦めします。進学校あるあるが楽しめる方はより楽しめることでしょう。