ルポルタージュ‐追悼記事‐

ルポルタージュを通して描かれる様々な"愛"の物語

ルポルタージュ‐追悼記事‐ 売野機子
sogor25
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今作は元々、今はなき幻冬舎「コミックバーズ」で連載されており、そちらで打ち切りの憂き目に遭った後、現在の講談社「モーニング・ツー」に移籍して連載を再開したという少し特殊な経緯を持っています。幻冬舎版は「ルポルタージュ」というタイトルで全3巻、講談社は「ルポルタージュ‐追悼記事‐」というタイトルで現在も連載中で、物語自体は連続していますが、講談社版から読んでも問題ない作りにはなっています。 幻冬舎版から一貫しているのは、恋愛すること自体が時代遅れという価値観の世界とその中で発生したテロの被害者たちの人生を描くというテーマ。これらをルポルタージュ作成のための取材という形で炙り出し、恋愛はもちろん、家族愛や友愛など、広い意味での人の愛を描く物語になっています。 この一貫したテーマ自体が毎回読ませる内容で面白いのですが、幻冬舎版から読み続けていると、逆に幻冬舎から講談社に移籍して変わった部分も見えてきます。 まず1点、幻冬舎版は1話5~60ページ、講談社版は1話3~40ページで構成されており、その結果、幻冬舎版では1つ1つのエピソードが重厚に、講談社版は物語の展開がよりドラマチックに動くようになっているように感じます。その辺りの雰囲気の違いを読み比べてみても面白いかも知れません。 そしてもう1点。幻冬舎版は新聞記者の1人、絵野沢(幻冬舎版2巻の表紙の人物)の視点が中心となって展開していきます。非・恋愛系の両親を持ち、その価値観に多く触れてきた彼女の物語は、物語の設定に沿って"恋愛"というものにフォーカスして展開、彼女のモノローグもかなり私的に寄っている印象があります。 その物語が、打ち切りの影響もあるのか幻冬舎版で一旦の結末を見せ、その後の講談社版ではもう1人の新聞記者・青枝聖(同1巻表紙)と、その恋人・國村葉を中心として展開していきます。2人の物語は、世界観に反して"恋愛"をしているという観点から語られる部分もありますが、それにとどまらず、テロの被害者のエピソードも内包したもっと大きな愛の物語へと拡大しているように感じてなりません。言わば、幻冬舎版の3冊の物語を土台に、より包括的な、懐の深い物語になろうとしているのではないかと思うのです。 一度は打ち切られた作品ではありますが、皮肉にも次巻で「MAMA」の巻数に追いつき、作者最長の作品になりつつあります。それに適う作品であることは保証しますので、興味を持って頂けた方は、是非土台となる幻冬舎版「ルポルタージュ」から手に取ってみてください。 2巻まで読了

愛がなくても喰ってゆけます。

食道楽「YながFみ先生」の日常!

愛がなくても喰ってゆけます。 よしながふみ
たか
たか

 よしながふみ先生の描く漫画は、念入りに食事・調理シーンが描写されていることが多い。  西洋骨董洋菓子店、きのう何食べた?は料理をメインテーマにしているから、描写が細かいのはもちろんのこと、法律がメインテーマの1限めはやる気の民法でも藤堂が田宮のために朝食を作ったり、しっぽりした居酒屋で誕生日を祝うなど表現が際立っていて、「ああ、この人は本当に好きで食事シーンを描いているんだな〜」と、こだわりぶりに感心していた。  だからこそ、よしながふみの描く食事をテーマにした「半エッセイ的漫画」があると知った瞬間、Amazonで即注文…!(※紙しか出てない)  「こんな細かい食事描写を描く人は、いったいどんな食生活を送っているのか」。その理由を知ることができるとワクワクしながら読んだ。  読んでみると、よしなが先生はご自分で料理もされるし、お付き合いする相手については、「食事についてアレコレ感想を共有できる。美味しい食事をするためにわざわざ足を伸ばすことができる相手じゃなきゃ無理」というエピソードがあり、「ああ、やっぱりね。食へのこだわりの強い人なんだ…!」と、バッチリ腑に落ちた。 (回らないお寿司屋さんでの注文の仕方は、ぜひ真似しようと思います!)  主人公は「YながFみ先生」であり、「よしながふみ先生」ではない非実在漫画家と理解しつつも、いち読者としてはいったいどこまでが本当の話なのか興味が尽きない作品。

フライングガール

満身創痍すぎるピュアラブストーリー

フライングガール 笠辺哲
nyae
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読めば誰でも、ピュアでまっすぐな(頭がおかしい、とも言えますが)キャラクターたちの虜になり、終わってくれるなと祈るほどになります。正直二巻で終わってしまったのが惜しすぎる。 主人公の山田が磯貝さん(表紙の女性)に恋をすることで、普通の人間であれば一発で命を落とすようなアクシデントに巻き込まれ、包帯まみれがデフォルトとなってしまうのですが、人間離れした純粋な心と鈍感さを持っている山田は、何があっても怒らない、逃げない、辞めない。磯貝さん大好き。狂ったように好き。 この本で描くのは磯貝さんと山田のラブストーリーだけではなく、 人間と山羊、生首とヤクザ、ヤクザと生き別れ森で一人生き抜いた息子との再会など、様々な垣根を超えて人間関係が交錯します。 個人的には、ヒロインの体臭が野生の熊と同じくらい臭いというのがツボでした。 試し読みをしてもらえばわかりますが、コマ割りとタッチが独特です。 時に、笑わせようとしているのか、真剣なのかどっち?と考えてしまいますが、何も考えずに読むのがいいです。 どのカテゴリーにも含まれない、読んだことのない漫画を読みたい!という人にオススメします。

終末のハーレム ファンタジア セミカラー版

本家より上品でまとまった仕上がりだが、終末……?

終末のハーレム ファンタジア セミカラー版 LINK SAVAN
mampuku
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 Web連載の人気お色気SF作品「終末のハーレム」のスピンオフ、というか今のところ(2巻現在)どの辺が終末なのか…… 普通のファンタジー作品にしか見えませんw ただ、さすが紙で連載してるだけあって絵やストーリーは上質です。  本家のほうは作画が女性ということもあり、ディテールに凝っていてキラキラ(むしろギラギラ)している印象の絵柄ですが、「ファンタジア」の方はもう少し落ち着いていて、デッサンがしっかりしているのでとても読みやすいです。(ざっくり乱暴な言い方をすれば男性的な絵。)  本家のほうはそれこそ成人向け業界仕込みの筆力でこれでもかとエロティシズムをぶっこんで来ますが、いかんせん全年齢向けとしてリリースしている以上、いくら細かく描きこんだところで画竜点睛を欠くというか、実用性においても中途半端であることは否めません。逆にファンタジアくらい身体の骨格や筋肉がちゃんと描写できているほうが、全年齢では強い気がします。「ToLOVEるダークネス」や「なんでここに先生が」もそうですし、エロに限らず主要な少年誌で連載されてるラブコメってみんな人体上手いですよね。  一応内容にも触れておくと、個人的に騎士のセリーヌが好みで、普通であれば主人公の幼馴染であるアウレリアに主人公を持っていかれるであろう「負けヒロイン」のオーラが濃い彼女ですが、タイトルからして「ハーレムエンド」が約束されているのでそこはひとまず安心か……

砂の栄冠

甲子園に受け継がれるアウトローの系譜

砂の栄冠 三田紀房
影絵が趣味
影絵が趣味

さて、春の選抜高校野球大会が今日から始まりましたが、アウトローを制するものが甲子園を制するという物言いを皆さんはご存知でしょうか。すなわち、各地区の代表が集う甲子園といえども、高校生レベルの打者では、外角の低めギリギリのコースにピシャリと決められると攻略は難しいということです。まさしくアウトローを制して甲子園を制覇した実在の人物に早稲田実業の斎藤佑樹選手がいます。いつもここぞの時にはいちばん練習を積み重ねてきて自信のあったアウトローの直球を放っていたといいます。甲子園の決勝で最後の打者でありライバルの田中将大を三振に切ったのもアウトローの直球だったとか。 そしてここ、三田紀房の高校野球マンガにもアウトローの直球を武器にする投手が登場します。そもそも三田紀房というひとは生粋のスーパースターを描くようなタイプのマンガ家ではなく『砂の栄冠』の七嶋のような選手を主人公に据えるのは稀であり、そうというよりはむしろ、あくまでも凡人の域は抜き出ないけれどスポーツなり、受験なり、ある定められたルール内の隙を突いて「人生では負けても、試合では勝利する」といった、ある意味では小賢しく、ある意味では賢明な、物語の展開を得意とするひとでしょう。 三田紀房には『砂の栄冠』の以前に『甲子園へ行こう!』という高校野球マンガがあり、その主人公、鎌倉西高校の四ノ宮がまさしく小賢しくも賢明なピッチャーとして描かれています。彼もまた高校生レベルの打者では外角低めの攻略は難しいとの理由からアウトローの練習に励みます。そして、やはり、『砂の栄冠』にもアウトローの系譜は受け継がれている。ノックマンに率いられた下五島高校の下手投げエースの本多がまさしくそれでしょう。 けっして素材そのものには恵まれなくても、小賢しさと賢明さをもってどうにか立ち回ることができるのが高校野球という舞台、こうした選手たちが才能溢れる屈強な選手たちの足元を掬うことができるからこそ、高校野球は面白い。イチローが引退会見で語っていた「メジャーは頭を使わなくなってきている、日本は日本の野球を貫いてほしい」という言葉が今更ながら身に染みてきます。

王様の仕立て屋~サルト・フィニート~

全紳士、必携必読の「大人の教科書」

王様の仕立て屋~サルト・フィニート~ 大河原遁
mampuku
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 私は仕事柄ほとんどフォーマルな格好はしないのですが、読んでいると「宝物になるような一張羅欲しい!!」という気持ちが芽生えてしまいますw  アメリカ等と同じで洋服の歴史が浅い日本では考えられないほどに、イギリスやイタリアはスーツというものにプライドを持っている国であることがわかります。それだけに大変に奥深く文化に根差していて、「粋」というものが文化圏によってこれほど異なるものかととても興味深い蘊蓄が満載でした。  そしてこの作品からはファッション蘊蓄モノとしての顔以外の、二つの表情を見出すことが出来ます。ひとつは「男の生き様論」としての側面。時に戦闘服となり時に装飾品、別のときには女性やゲストの引き立て役となる、紳士服は男の生き方の写し鏡でもあります。そしてもう一つは「フリーランス・クリエイターの仕事論」としての側面。主人公はスーツ一着に数百~数千万円という一見するとボッタクリのような価格をクライアントに提示します。しかし、彼の腕と彼が作り出す魔法にそれだけの価値を見出すことができた者だけが、その魔法を授かることができる。彼は職人の名に懸けて技術を安売りはしませんし、プライドにかけて一切の手抜きはしない。作り手としての理想像ですね。  全32冊+続編複数シリーズ続刊中とかなりの長期連載ですが、すべて読んでもまったく飽きたりネタや展開に既視感を覚えることがないのが凄い。「紳士服」というテーマの奥深さもさることながら、一話完結のそのすべてが美しい起承転結・序破急で構成されていて面白さがブレません。  これほどの傑作にもかかわらず今まで実写化などのメディアミックスが実現していないのは、やはり予算がかかりすぎるから……?

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。

これは哲学ではなく人生の指南書

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。 荒木宰 杉基イクラ 原田まりる
sogor25
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ニーチェを始め様々な哲学者が現代に現界し、ごくごく一般的な女子高生であるアリサに哲学の教えを伝授していくという、あらすじだけを書くとかなり突飛な設定の作品のように見えるかもしれません。しかしながら実際に読んでみると、聞き手を普通の女子高生にすることで説明自体もかなり噛み砕かれて解りやすく配慮されており、かつ誰もが生きてて普通に体験する人間関係や自我の悩みに対してアプローチをするので話がすんなり入ってきます。 そして様々な教えを説いた後、最終的にはその教えを押し付けるのではなく、哲学の教えをどのように人生に活かしていくか、アリサを通して読者に優しく問いかけるような構成になっています。つまり、哲学の教えはあくまで道標であり、道標があることを知った上で自らの進む道を自分自身で決めてほしい、この作品はそのように問いかけているように感じました。 読むと思考が整理されて自分の人生に対して前向きになれる、不思議な感覚を味わえる作品。きっとこの作品は単なる哲学ではなく、哲学の教えに沿った人生の指南書になってくれるはずです。 上中下、全3巻読了