寄宿生活をしている少年たちは、皆儚げで、心に闇を持ちながら生活している。 こんなに繊細で生きていけるのか、心配になる。 物語のはじめから、トーマが・・・。 そして、人生は2度死ぬ。 まず、自己の死 そしてのち、友人に忘れ去られることの死 芸能人が亡くなったときに聞いたことのあるフレーズ。 もしや、ここから?
導入の、母のひとコマ、父のひとコマ、娘のひとコマ、それから、それら三人に息子を加えた朝の忙しないリビングを俯瞰で描いた大コマ、もうたったのこれだけで十二分に素晴らしい。 「サトル、ニンジン食べて!」という母に、 「ボク、サトルって名前 キライだ」とかえす息子。これで一頁。 なかなか衝撃的なセリフではあるけれど、テンポがいいのか、なんなのか、あまり悲壮感のようなものはなく、むしろ恩寵にあふれている。 父は日常の忙しなさから逃れるために山へ行こうとする。ところが道行く先々でひとに捕まってしまい、なかなか山へ辿り着けない。けっきょく今日も忙しくなってしまい、泣く泣く山は諦めることに。でも、山へ行けなくても、このマンガの端々に恩寵がひっそりと息づいていることは山をみるより明らかである。
※ネタバレを含むクチコミです。
実は米澤穂信の「古典部」シリーズのヒロインがコスプレしていることでも有名な?作品。内容は王道を行くSFもの。この時代にこのテーマ、この画力はやはり素晴らしかったんだろうな。
表題作を含めて不思議な話が多い。ただ、共通して言えるのはどれも「人」の深い深い奥底にある、なにかを汲み上げて創られているということだ。 それは劣等感かもしれないし、憎悪かもしれない。寂寥感かもしれないし、愛情なのかもしれない。どれとはハッキリとせず、混ざりあっている曖昧模糊としたものに響く。「半神」は静かな部屋の中、ひとりきりで読みたい。
トーマの心臓、ポーの一族と傑作を輩出している萩尾望都先生。 この作品はトーマの心臓で取りあげたかったテーマ「暴力からの再生」「愛とは何か」を深く掘り下げたものではないかと思う。 が、萩尾望都さんも年齢を重ねるとともに、トーマのような(おそらくページ数も限られた条件の中での制作)カタルシスのあるメルヘンなエンディングにはおちつかなかったようだ。 私的にはラストはまだモヤモヤする。 続編が読みたいなあ。
昔のやつよりアランが可愛いです。 新連載も始まったのでそちらも楽しみですね!
この、たかだか十数ページの短編マンガに、いったいどれだけのものが詰まっていることだろう。 これは単なる痛々しげな物語や寓話のたぐいではけっしてない、そうと呼ぶにはあまりに多くの、わたしたちの身に毎日のように降りかかっている事態が描かれすぎている。そう、わたしたちは誰も彼も半神である、それ故にもう半神を探し求めて人生をあてどもなく彷徨する。そして、半神ではない何者かのことを古代の哲学者は神と名付けたのである。
寄宿生活をしている少年たちは、皆儚げで、心に闇を持ちながら生活している。 こんなに繊細で生きていけるのか、心配になる。 物語のはじめから、トーマが・・・。 そして、人生は2度死ぬ。 まず、自己の死 そしてのち、友人に忘れ去られることの死 芸能人が亡くなったときに聞いたことのあるフレーズ。 もしや、ここから?