ロマンティック・キラー

フルカラー少女マンガメタコメディという新たなジャンル

ロマンティック・キラー 百世渡
sogor25
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Q.ある日突然妖精のような魔法使いが現れて「あなたにイケメンとのラブ展開を与えるので少女マンガのような生活を送ってください、その代わり恋愛の妨げになるのであなたの好きなものは没収します」と言われたら? 主人公・杏子(ゲーム・チョコ・猫好き枯れ女子)の答え:「好きなもの没収されるならイケメンいらない!」 それを受けた魔法使いの回答:「うるせェ!ゲームもチョコも猫も全部ボッシュート!ついでに両親もボッシュート(アメリカに転勤)!」 ということで、強制的に一人暮らしが始まった杏子が好きなものを取り返すために妖精(が作り出したしたイケメンとの少女マンガ展開)と戦っていくという凄まじい設定のコメディ。 杏子も恋愛に全く興味がないという感じではないんだけど(まぁ乙女ゲーやってるし)、三大欲求(ゲーム・チョコ・猫)と比べたら重要度は段違い。一方の魔法使いも郵便局員の父親を海外転勤させるなど容赦なく魔法を使って包囲網を敷いてくる。 果たして杏子は三大欲求を取り戻すことができるのか?それともイケメンとの恋に落ちてしまうのか!? …と、冷静になるとどっちに転んでも杏子は幸せになれそうな気がしないでもないんだけど、「少女マンガ展開に必死に抵抗する」という設定が斬新で、杏子に感情移入しながら、でもつい笑ってしまいながら読み進めてしまう。 大枠で言うとラブコメになるのは間違いないんだけど、個人的にはどうしても"少女マンガ"自体をメタネタにしたコメディを狙って作ってるように見えるんだよなぁ。だって1話のサブタイトル「魔法設定なのに漢字が多いんだよっ」ですよ? 1巻まで読了
青のフラッグ

性別と感情のグラデーションの間で生まれる歪み

青のフラッグ KAITO
sogor25
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「男女の友情は成立するか?」令和に入った現在でも未だに時折見かける話題である。この話題、肯定派も否定派も、大抵が"男女の仲が深まった時に恋愛関係に変わるかどうか"という論点に持ってくんだけど、そのたびに私なんかは『なぜこの人たちは"同性だと恋愛に発展しない"って前提で話をしてるんだろう』と思ってしまう。この辺りはマンガ読みの方々なら割と同意頂けるのではないかと思う。 この作品は、人間関係の中で相手のアイデンティティにどれだけ"性"を内包させて捉えるか、ということを描いている作品なのではないかと思う。 現実世界での潮流もあり、セクシャルマイノリティの人々を描く作品は近年増えてきている。ただ、多くの場合は同性間の"恋愛"のみにスポットライトが当たり、もしくは恋愛感情と友情等その他の感情との"違い"をピックアップして描かれているような気がする。でも、性的指向が白か黒かではなくグラデーションが存在すると言われるようになってきた、それど同じように、恋愛か友情かというような感情の間にも濃淡があるものなんじゃない?と、この作品を読んで感じるようになった。 最初の問いに戻るが、「男女の友情は成立するかしないか」という問いは「相手に対する好意が、中身が全く同じであっても相手の"性別"という基準だけで”恋愛感情”に認識が変わるかどうか」という表現に言い換えることができるかもしれない。つまり、相手のアイデンティティの中にどれだけ"性"を含めて認識をするか。今作で言えば、性別によって間違いなく変わると思っているのが増尾、その辺りを特に意識せずに生きてきたのが太一や二葉、同じく無意識だけど実質的に性に囚われず恋愛感情を認識しているのが桃真や真澄、そして半ば自覚的に”性”という基準の占める割合は相手によってグラデーションがあると認識しているのがマミや仁井村、だと思っている。そして性的指向がそうであるように、この価値観もそれ自体を否定することはできないし、されるべきではない。マミや仁井村のスタンスが正しいように見えるけど、増尾の考え方だって悪ではないし、そもそも増尾の価値観の方がきっと現実世界では多数派なのではないかとも思える。 しかし、この作品ではこの価値観の違いが少しずつ関係性にひずみを生み、物語が進むにつれて次第にそのひずみが大きくなっていく。価値観の違う人間に直面した時にどうするか、特にそれが親しい関係の相手だった場合にどうするか、それがこの作品の肝なのではないかと思う。 作中では桃真と増尾の価値観の違いを発端に無関係の人を巻き込んだ大きな騒動になりつつあるが、実は規模の大小はあるにせよ同様のすれ違いは日常でも普遍的に起こりうる、というか起こっている、と私は思っている。例えば、告白した相手に「異性として見られない」と言って振られたり、異性の友達と食事に行っただけで恋人に浮気だと窘められたり。個々の事象しか見えないから意識することはほとんどないけど実は人はみんなそれぞれの感情のグラデーションの歪みの中に生きていて、今作はそれを「同性を好きになった」という、より大きな歪みでかつマンガの読者層に受け入れられやすい形で表現しているように思う。 作品の主題として見せられるとすごく特別なことのように感じるけれど、実は私たちの身の回りにもありふれた価値観の歪み。それを太一たちの10代の高校生の物語として誰の目にもはっきり認識できる形で描いているからこそ、多くの人の共感を得る作品となっているのではないだろうか。 7巻まで読了