顔面の圧で押し切る!
山田芳裕の作家性ついては、幻にして伝説の未完作品『度胸星』のたったひとつだけで信用に足る漫画家だということが分かります。およそ漫画にかかわらず、ありとあらゆる作品と呼ばれうるもので、いくつもの世代を超えて読まれ続けているものには不思議と未完作品が多い。なぜ未完なのか、ということについては、作者の死と、それ以外の理由とにわけることができると思いますが、どちらにしても、あまりにも無謀で途方もない挑戦をしたがために完成が無限に遠ざかっていったということが言えると思います。その意味で『度胸星』は、ほんの一瞬でもその途方のない遥か遠方を垣間見させてくれたというだけで素晴らしい作品であることはまちがいない。しかも、山田芳裕はその果敢な挑戦を気合ひとつでやってのけたのです。 そう、山田芳裕のマンガはとにかく気合の入り方がちがう。問題の有無や大小にかかわらず、とにかく気合が入っている。なんだ気合か、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これが実はなかなか容易ではない。どうしても、ひとというのは、何らかの効果を狙った手段を投じることで、問題を問題解決に導こうとする習性があるように思われます。つまり、どうしても語りが二義的で説明的になってしまう。それにつき山田芳裕のマンガにはまず気合の入った顔面がある。「目は口ほどにものを言う」という言葉がありますが、何よりもあの顔面がすべてを物語ってしまっているんですね。何かの効果のある手段といった副次的な語りを追い越して何よりもまず、あの顔面が最前線ですべてを物語っている。 『へうげもの』に話をうつせば、私たちは安土桃山時代の数寄者ではないのですから茶のことはよくわからない。それでもとにかく古田織部の毎度のこと驚愕する顔面をみれば、何かヤバイことが起きているとすぐに察知することができるのです。そして何より、稀代の怪人、千利休を顔面として描き切ったことの素晴らしさよ。けっきょくのところ、何を考え、何を為したひとなのかがよくわからない千利休、何なら楳図かずおの『イアラ』のように何千年も生き続けていると言われたほうがしっくりくるあの千利休をありのままの顔面として描き切ったことは『度胸星』の挑戦にも並ぶチャレンジだったのではないでしょうか。
ひょうげものの1巻が出た頃はちょうど大学生で、流行っているからと読んでみたのですが、焼き物はよくわからないし日本史は苦手だしオジサンしか出てこないし全く楽しめませんでした。
が、今になって読むと武人と趣味人の間をグラグラしてる人間味溢れる主人公・左介が愛おしくてしょうがない…!
(自ら手をかけそうになった妻を抱きしめながら)俺はもう全身武人だ…名物に目がくらんだなど過去のこと
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大名物「荒木高麗」を見て膝から崩れ落ち敵を見逃がす代わりに手に入れる
いや手のひらクルックルで草。まだ1話も経ってないぞ!!!
左介の焼き物への造詣の深さ、良いものを見ると思わずテンションが上がってしまうところ、より深い知識を持つ人への敬意。そして自分なりの審美眼。
初めて読んだ大学生の頃から10年以上たち、会社員として働く傍ら趣味人(※アニメ・漫画オタク)として知識もコレクションもどんどんと深みを増している今、左介には共感しかありません。友人の結婚式と推しの誕生日が被ったときは左介みたいに口をキュッとさせながら出席しました。
そしてなにより、左介の食レポならぬ「美術レポ」がうますぎて、骨董品なんて集めてないのに城一つ買えるバチクソ高い茶碗が欲しくなってくる。YouTubeで美術チャンネルやって欲しい。
日本史の中でも戦国〜安土桃山時代が一番苦手なのですが、美術品という「趣味」を切り口に描かれるため、名前は聞いたことある有名なおじさんたちのプライベートが垣間見えて、親近感が持てて読んでいてすごく楽しい!
再読ってしてみるものだなとしみじみ思いました。