運命が、ほんの少しでも優しければ、あの人達は堅気になり、友だちや恋人を作って、幸せに暮らしただろう…でも…そうはならなかった…ならなかったんだよ…だから、この話はここでお終いなんだ。
運命が、ほんの少しでも優しければ、あの人達は堅気になり、友だちや恋人を作って、幸せに暮らしただろう…でも…そうはならなかった…ならなかったんだよ…だから、この話はここでお終いなんだ。
ナターシャ編読み終えてふと感じたんだが最初に出てきたトランプスートの殺し屋連中の登場場面ではなにか不思議な構図になっている。そばに人がいたり対話、会話している場面なのに、どことなく虚空に、あるいは閉鎖空間にぽつんと佇んでいるかのようだ。ハナちゃんとその兄もどこか共依存じみた表現で、忍者集団の立ち姿もよく見ると互いに視線を逸らしたり、背を向けたような構図になっている。リタ先生やナタさんは○すか○されるかの世界に身を置いてるうちに自分自身しか心を許せなくなり(孤独)にさいなまれるようになった。そのことから考えて彼らも「寂しかった」のだろう。
たんぽぽ組の元詐欺師ダグ先輩(本名はダグラスとでもいうのだろう)はスラムの捨て子で幼少期は大人に助けてもらえなかったシーンがあるが実際はその100倍エグい過去だろう。彼は顔の良さから大人に悪い形で“援助”されていた可能性が高い。捨て子のダグは“援助”された事を相談する人もその傷を気にしてくれる者もいない。あの世界観では守ってくれる親がいない子供は性別関係なく下劣な餌食にされる。彼がリタ先生に惚れた事を認めないのも過去の“援助”しか恋愛経験がないために及び腰になっているのだろう。その理屈でいえば最初の2話に出てきた殺し屋2人も惚れた女を無下に殺そうと企てたことから子供の頃ダグに近い形で下劣な大人に身体的にも精神的にも傷を負わされたのだろう。
ダグ先輩やイケメン○し屋連中は幼少期ににケ○掘られた過去があったかのような物言いですね。そういう考察嫌いじゃないです。
どうせならもっとカオスにして差し上げましょう。「ルーク先輩はリタ先生に恋人がいると言っていた(すでに死んだとは知らされていない)」+「ダグ先輩もルーク先輩もイケメンで刑務所に入った過去があった」+「ダグ先輩とルーク先輩は互いに突っかかっていく描写がある(見方によってはいびつな仲の良さに煮える)」=ということは…