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中学教師・山内海はある日、殺人事件のニュースを目にする。殺されたのは鈴木侑己、中学時代の同級生だった。数日後、山内の恋人で文芸書の新人編集・八木沢珠緒は、公募小説の落選作に事件と酷似した内容が描かれた作品を見つける。『ザシス』――作者名は佐伯遥人。やがて小説と同じように、旧友に同窓会の案内状が届いて…。森田まさのりが挑む初のサスペンスホラー第1巻!! ※この電子版は紙版『ザシス』1巻と同内容になります。重複購入にご注意ください。
遥人の人格の二面性(多重人格性)は、実はまったく描写されていない。小説が中学生の頃に書かれたものだとしても、いじめられっ子がいじめっ子に対して「いつか全員ぶっ殺してやる!」という強い恨みを持つのは極めて自然なことであり、それを文章に書き起こすのも普通にあり得ること。遥人が内心で和真に「偽善者め!」と罵るのも同じ。人は誰でも外面的な対人対応とは異なる本音を内面に持っているものであり、そのことを多重人格とは言わない(誰でも殺してやりたいくらい憎い奴が一人や二人はいるもの)。多重人格というのはそのような「外面と内面のギャップ」ではなく、「外面の二重性」でなくてはならない。つまり、もう一つの人格が実際に外に出てくるのでなければいけない。ところが、生前の遥人についてそういう描写はひとつもない。
一方、四人を殺したそのやり方は常軌を逸している。小説を書いた人と実行している人を重ね合わせてしまうため、つい連続的に捉えて「遥人は、元々こういう二面性のある人だったのだな」と錯覚してしまうが、苛烈な小説を書くために必要な怒りの量(これは普通の人が誰でも持ち得る量)と、実際にあのような残酷な殺人を実行するために必要な怒りの量(もはや怒りなのかどうかすらわからない)は、まったく違う。そして、この凄まじく残虐な殺人はすべて遥人が死んだと思われる出来事のあとに起きており、しかも持続的(生前の穏やかな遥人が、二度と表に出てこない)。
したがって、多重人格というよりは、ペットセメタリーのように「蘇ったあと、まったく別の人格になった(別の魂が肉体に入った、悪魔が取り憑いた、etc)」というほうが自然。
そんな感じかな。
まぁ、実際にはそれとも違いそうだし、森田先生ならきっと何か大どんでん返しをやってくれるのではないかなぁと期待している。
私が多重人格を疑うのは、むしろ山内だね。記憶がないのがどうしても引っ掛かる。あと、轢き逃げ。