勝てない、逃げられない、喰われて死ぬしかないにコメントする
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名無し
1年以上前
人間を含む全ての生物は、生きるために他の命を奪い、食べる。 食べなければ死ぬ、生きられない。 だが人間のなかには、殺生を忌み嫌い、いけないこととして 肉類は食べないという菜食主義の人間もいる。 また、肉製品を製造する過程(屠殺・精肉)などの工程を 知らなかったり、意識しない立場で肉類を食べる人達もいる。 そしてまた、命を奪うことを原罪として意識しながら、 謝罪と感謝の心を抱きつつ食べる人達もいる。 食べなきゃ生きられないんだから、と。 それらは、生殺与奪の権利を有し行使する側の 立場のものとしての意見や論理だ。 人間が食物連鎖の頂点であるという考え、 世の中は弱肉強食であるという考え、 あるいはその逆に、動物は愛すべき守るべきものであるという考え、 いずれにしろ、肉を食うのも食わないのも選択できる立場での考え方だ。 だが現実には、食物連鎖の頂点は、陸上ではヒグマだ。 ヒグマと対峙したとき人間は無力だ。 食べるか食べないかなどの選択は人間にはない、出来ない。 食べられながら死ぬか、死んでから食べられるか、しかない。 そしてヒグマは、人を殺し食うことを良いとか悪いとか思わない。 人間への愛も興味もない。論理も感情もない。通じない。 人間が多少の武器を持っていようが、 動物への愛や、大自然への敬意の念を持っていようが、 ヒグマは人をなぎ倒し、喰らいつき、殺す。そして食う。 人間の体力も知力も、事情も愛情も関係ない。 生きるということは食べること。 死ぬということは食べられるということ。 そして人間は、食べる側にいると決まってはいないこと。 自然を愛し守る側であり、その力があると 思っていることの何かが違うこと。 人間が命を守ろうとすることも、奪おうとすることも、 己の命と引き換えに他の命を救おうとすることさえも、 ヒグマからしたら小賢しくて無意味。 「シャトゥーン~ヒグマの森~」は、それを描いている。 だがしかしというか、さらにというか、 この漫画は、大自然が人間を凌駕するという ことだけを描いてはいない。 なんせ原作は「第5回このミステリーが凄い!大賞」 の優秀賞を受賞しているのだから。 ネイチャー・ロマンにしてパニック・ミステリーの秀作、 とでも言わせていただきたい。
人間を含む全ての生物は、生きるために他の命を奪い、食べる。
食べなければ死ぬ、生きられない。...

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名無し
1年以上前
人間を含む全ての生物は、生きるために他の命を奪い、食べる。 食べなければ死ぬ、生きられない。 だが人間のなかには、殺生を忌み嫌い、いけないこととして 肉類は食べないという菜食主義の人間もいる。 また、肉製品を製造する過程(屠殺・精肉)などの工程を 知らなかったり、意識しない立場で肉類を食べる人達もいる。 そしてまた、命を奪うことを原罪として意識しながら、 謝罪と感謝の心を抱きつつ食べる人達もいる。 食べなきゃ生きられないんだから、と。 それらは、生殺与奪の権利を有し行使する側の 立場のものとしての意見や論理だ。 人間が食物連鎖の頂点であるという考え、 世の中は弱肉強食であるという考え、 あるいはその逆に、動物は愛すべき守るべきものであるという考え、 いずれにしろ、肉を食うのも食わないのも選択できる立場での考え方だ。 だが現実には、食物連鎖の頂点は、陸上ではヒグマだ。 ヒグマと対峙したとき人間は無力だ。 食べるか食べないかなどの選択は人間にはない、出来ない。 食べられながら死ぬか、死んでから食べられるか、しかない。 そしてヒグマは、人を殺し食うことを良いとか悪いとか思わない。 人間への愛も興味もない。論理も感情もない。通じない。 人間が多少の武器を持っていようが、 動物への愛や、大自然への敬意の念を持っていようが、 ヒグマは人をなぎ倒し、喰らいつき、殺す。そして食う。 人間の体力も知力も、事情も愛情も関係ない。 生きるということは食べること。 死ぬということは食べられるということ。 そして人間は、食べる側にいると決まってはいないこと。 自然を愛し守る側であり、その力があると 思っていることの何かが違うこと。 人間が命を守ろうとすることも、奪おうとすることも、 己の命と引き換えに他の命を救おうとすることさえも、 ヒグマからしたら小賢しくて無意味。 「シャトゥーン~ヒグマの森~」は、それを描いている。 だがしかしというか、さらにというか、 この漫画は、大自然が人間を凌駕するという ことだけを描いてはいない。 なんせ原作は「第5回このミステリーが凄い!大賞」 の優秀賞を受賞しているのだから。 ネイチャー・ロマンにしてパニック・ミステリーの秀作、 とでも言わせていただきたい。
人間を含む全ての生物は、生きるために他の命を奪い、食べる。
食べなければ死ぬ、生きられない。...
野球で話せ

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かしこ
かしこ

何を隠そう私も自分の描いた漫画を第11回青年漫画賞に応募していたのです。とはいえ私は記念受験のようなものなので箸にも棒にもかからないのですが…それでも言わせて下さい、私のライバルって中原とほるだったのかよ!!と。いや〜でもこれは完敗です。だって全編を通して「漫画を描くのが楽しい」って感じだったじゃないですか。働きながら漫画を描くのは大変です。やりたいことがあるのは幸せだけど、休みの日なんかに一人で引きこもってコツコツ描いてると「誰にも求められてないものをこんなに一生懸命やって何になる?」と虚しくなります。それよりも情けないのは描きたいから描くのではなく「漫画家になりたいから描いている」という気持ちのブレが起きてしまうことです。それでは本末転倒なのです。だからこそ作中で叔父さんが言っていた『表現を続けなさい』というセリフに胸を打たれて勇気づけられました。それは連載デビューを経験された後も医師として働きながら投稿を続けられたご自身に対しての言葉なのかもしれませんが、私もこんな風に漫画と向き合いたいと思わされる姿でした。いつか私の漫画を中原さんに読んでもらいたい。漫画で話したいです!

創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊

なぜ人は物語を綴るんだろう?

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toyoneko
toyoneko

「今年読んでよかったマンガリスト」を作ったときに、今年読んだ読み切りで何が良かったかな…と思いだす中で、真っ先に思い出したのが本作だったんですよね というか、「ゼロ災でいこうっ」のシーンが思い浮かんだ(添付) 衝撃的なシーンでした 大人になっていく中で、飛行機事故を契機に、自分の「核」が創作ではなくなっていたということ(又は、自分の「核」は最初からそんなところにはなかったということ)、そして、現実を前に情熱は失われてしまっていたこと、そのことを自覚する物語 それが、本作に対する私の印象でした …が、読み返してみると、実はそうではなかった だって、主人公は、そのことを自覚しながら、それでも、創作をやめられないから 「他の選択肢がない」という理由で、やはり創作を辞めることができない 別の人生を歩めるなら歩みたいと泣くのに、それでも辞めることができない それどころか、キャロット通信は解散し、仲間もいなくなり、 誰も読んでくれない、読者すらいないのに、辞めることができない 「にもかかわらず…私は…懲りもせず」 「また繰り返す…どうして?」 「なぜ??」 たぶん、このセリフこそが、この作品の核心なのでしょう 主人公にとって、創作は、苦痛なのでしょう でも、主人公の救いは、もはや創作しかない だから、主人公は、創作に向き合い続ける 「赤羽」に登場するペイティさんが、 「やはり創らないと気が狂いそうだから創るってコトですね…」 と言ってました(増補改訂版4巻、ボーナストラック9話)、 「創作」というのは、もともと、そういうものなのかもしれないです あ、ところで、そんなふうに「創作」をやめることのできない綿本おふとん先生ですが、トーチwebで新連載とのこと!みんなで応援しようね! https://x.com/offton_w/status/1873197901478019149

シャトゥーン~ヒグマの森~(1)
シャトゥーン~ヒグマの森~(2)
シャトゥーン~ヒグマの森~(3)
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