人間を含む全ての生物は、生きるために他の命を奪い、食べる。
食べなければ死ぬ、生きられない。
だが人間のなかには、殺生を忌み嫌い、いけないこととして
肉類は食べないという菜食主義の人間もいる。
また、肉製品を製造する過程(屠殺・精肉)などの工程を
知らなかったり、意識しない立場で肉類を食べる人達もいる。
そしてまた、命を奪うことを原罪として意識しながら、
謝罪と感謝の心を抱きつつ食べる人達もいる。
食べなきゃ生きられないんだから、と。
それらは、生殺与奪の権利を有し行使する側の
立場のものとしての意見や論理だ。
人間が食物連鎖の頂点であるという考え、
世の中は弱肉強食であるという考え、
あるいはその逆に、動物は愛すべき守るべきものであるという考え、
いずれにしろ、肉を食うのも食わないのも選択できる立場での考え方だ。
だが現実には、食物連鎖の頂点は、陸上ではヒグマだ。
ヒグマと対峙したとき人間は無力だ。
食べるか食べないかなどの選択は人間にはない、出来ない。
食べられながら死ぬか、死んでから食べられるか、しかない。
そしてヒグマは、人を殺し食うことを良いとか悪いとか思わない。
人間への愛も興味もない。論理も感情もない。通じない。
人間が多少の武器を持っていようが、
動物への愛や、大自然への敬意の念を持っていようが、
ヒグマは人をなぎ倒し、喰らいつき、殺す。そして食う。
人間の体力も知力も、事情も愛情も関係ない。
生きるということは食べること。
死ぬということは食べられるということ。
そして人間は、食べる側にいると決まってはいないこと。
自然を愛し守る側であり、その力があると
思っていることの何かが違うこと。
人間が命を守ろうとすることも、奪おうとすることも、
己の命と引き換えに他の命を救おうとすることさえも、
ヒグマからしたら小賢しくて無意味。
「シャトゥーン~ヒグマの森~」は、それを描いている。
だがしかしというか、さらにというか、
この漫画は、大自然が人間を凌駕するという
ことだけを描いてはいない。
なんせ原作は「第5回このミステリーが凄い!大賞」
の優秀賞を受賞しているのだから。
ネイチャー・ロマンにしてパニック・ミステリーの秀作、
とでも言わせていただきたい。