武士は食いつつ高楊枝
普通は稼いで喰うために仕事をするわけです。 喰えなかったら嘘をついたり他人の世話になったり、 他者に迷惑をかけるしかないわけで。 逆に余裕で喰えるなら善も偽善もする余地が生まれるわけで。 武士は食わねど高楊枝、という例えもありますが、 高楊枝を咥えるのにも最低限の金はいるわけで。 その一方で、武士の商法という言葉もあったりして、 志だけ高くてもビジネスで成功は出来ないわけで。 ビジネスがシビアなものであるのは世間の常識では あるわけですが、かといって実利第一で マナーやルールや人情をないがしろにしたら やはりいずれどこかで恨みを買ったりして潰されるわけで。 盛者必衰の理、とでもいいましょうか。 それに加えて、普通は人間は情にもろい。 「情け」「縁」「家族」「日本人」「大和魂」 「友情」「仲間」「仁義」「筋」とかの キーワードには弱いわけです。 さすがに「非国民」なんて言葉は最近はあまり聞きませんが。 「海賊とよばれた男」は面白いし感動します。 けれども危ないキーワードが満載なんです。 下手したら冷静な判断を失うくらいに。 「それでも日本人か!」とか「君は家族だ」 とか、ある意味で無敵ワードですよ。 それを否定したら非難の嵐。今風に言えば炎上必至。 ですからこそそこで、今一度「日本人」とか「家族」とかの 言葉の意味を、少し距離を置いて見据えながら読むべき だと思います。 「日本人であるとはどういうことか」 「家族とはどういうものか」 それを考えながら読んでこそ、読んだ甲斐が生まれるような 気がします。 そこを外しちゃうと、 「令和納豆」の世界になっちゃうんじゃないかな、と。
「日本国紀」が賛否を呼んでいる百田尚樹氏のベストセラー。「日本国紀」は未読なので言及は避けますが、議論の経緯や論点はこの記事がわかりやすかったです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20181222-00108643/
「永遠の0」では太平洋戦争を、そしてこの「海賊と呼ばれた男」は戦後の復興を描いています(どちらも同じ作家さんがコミカライズを担当しています。)どちらも単純に読み物として面白いです。
主人公・鐡造のモデルは出光興産の創業者・出光佐三氏。戦争で焼けた会社を立て直し、石油をめぐり英米と渡り合いながらイランとのシーレーンを切り開いた痛快な半生の物語です。鐡造は愛国的で厳格で、同時に封建的で古臭い人物として描かれています。昨今の働き方改革の世代とはまるで違う生き物のようです。どちらが優れているとかではなく、時代がそうさせたというか、結果的に豊かな日本を築いたのは彼ら戦前生まれの人々でした。
「日本国紀」といい、学校教育や大メディアをなぞるだけでは知ることのない不可視の歴史にスポットを当てるのが好きなようですね。「これが真実か……!」と鵜呑みにさえしなければ「永遠の0」もこれも面白い本だと思います。