マイダスの薔薇 黄金のギャンブラー

伝説のギャンブラー「マイダス」が活躍する痛快ギャンブルアクション

マイダスの薔薇 黄金のギャンブラー 金井たつお 宮﨑信ニ
マウナケア
マウナケア

薔薇の名前であり、伝説の王様の名前でもあるコードネームを冠したチームが活躍するギャンブルアクション。美女に金、そしてケレン味もたっぷりの王道路線であり、ゲームのルールに疎くても素直に読めます。前半はキャラ紹介的なストーリー。登場人物の設定にはなかなか味があって、主人公・通称ボーイは驚異的な動体視力と暗算能力の持ち主。アンクルことバロンは指先に第三の眼をもつ男。レディことスカーレットはルーレットで赤が出ることを予知することができ、実はもうひとつの秘密も。そして博徒風のグランパこと銀蔵。彼らがその技術を駆使して悪徳同元を退治し、それが後半の世界一ギャンブラー決定戦への布石となる構成です。前半は必殺仕事人的な流れだっただけに、この後半への場面展開はちょっと意外。ですがそれぞれの通り名から連想されるファミリー要素をふんだんに盛り込んで、最後はうまくまとめてくれてます。ま、私にとってうれしいのはイカサマの手口などをきちんと説明してくれているところなんですがね。麻雀でこっそりとか、宴会で使えないものかなあ、なんて…。

空拳乙女

空手少女ではなく「空拳乙女」

空拳乙女 湯浅ヒトシ
名無し

入学した女子高に空手部がなかった。 なら自分で立ち上げようと頑張る少女。 仲の良くなった級友がなんだかワケアリ風で・・ 初回がそんな話だったので、漫画では良くある話だな、 廻し蹴りでのパンチラ・シーンとか交えながら 仲間を集めて空手を真面目に頑張るという チョイエロ交じりの青春ストーリーか、と思っていた。 ところが、まだ第一巻しか読んでいないのだが 実際に廻し蹴りパンチラは登場してきたが、 なんだかんだであっというまに コスプレ美人女子高生による地下格闘技的大会に 参戦することになるという 意外に派手な展開に。 イマドキは美女が主人公のバトル物は珍しくない。 それどころか美少女で達人ぐらいではありきたりで 爆乳半裸美女戦士が色々と揺らしまくったりしながら 戦う漫画やアニメは世の中にゴロゴロしている。 とはいえ現実を考えると、 爆乳半裸美女戦士が登場するストーリー展開、 いわゆるエロゲー的な展開は、やはり 非現実的なありえないものがほとんどだ。 爆乳半裸美女戦士とかコスプレ格闘家とかが登場した時点で、 漫画としては格闘漫画というよりはエロ漫画と 評価せざるを得ない内容になるものがほとんどだ。 「空拳乙女」はわりとそのへんがしっかりしていて 急展開で予想外ではあるが、コスプレ格闘技大会に 参戦することになるまでの過程は、それなりに 納得のいくストーリーになっている。 そりゃ漫画的な都合の良い展開は多々あるが あきれるような無茶な展開とまでいうほどではない。 「エロいにこしたことはないでしょ」 という考えはあっただろうが、 エロ重視でストーリー軽視、という漫画ではない。 考えすぎかもしれないが題名が空手少女ではなく 「空拳乙女」になっているのもそういう意味合いかと思った。 空手少女、だったら話にコスプレ格闘技を介入させるのは 無理が有りすぎる。 だが空拳というのが「徒手空拳」を意味し、 「己の力で素手で困難に立ち向かう」という意味を強調 するための題名なのだとすれば、わからないでもない。 主人公が体をはって部の設立、練習場の確保、 その過程での仲間作りとか空手やコスプレ格闘の世界に 「徒手空拳」でチャレンジしていくことを表している、 みたいで。 それと、良くも悪くも湯浅先生の描く 「パンチラ」や「コスプレ」はそれほどエロくない。 色々と揺らしまくったりはほとんどしない。 そういう意味ではエロ要素ありの格闘技漫画ではあるが、 エロ嗜好より本格格闘技嗜好の漫画ファンのほうが 楽しめる漫画だと思う。 そういうこの漫画が、漫画ファンのニーズに 爆乳半裸美女戦士が登場する漫画よりも あっていたかどうかは不明。 私はこの漫画も爆乳半裸美女戦士が登場する 漫画も好みだが。

ひゃくえむ。

人はなぜスポーツをするのか?(あるいはなぜ生きるのか?)

ひゃくえむ。 魚豊
いさお
いさお

人はなぜスポーツをするのか? 簡単に見えるこの問いだが、全てのスポーツに通ずるような、真理となる答えを見つけるのは難しい。 人に注目されたいから? その答えは、マイナースポーツに対しては通じない。 ともに戦うことで他人と交流ができるから? その答えは、シングルスのスポーツに対しては通じない。 楽しいから? その答えは、確かに存在する、苦しいのにスポーツを続けている者らに対しては通じない。 冒頭の問いに対して、全てのスポーツに通ずる答えを求めるにあたって手がかりとなるのが、「100m走」であろう。 100mを走る。 道具は使わない。チームメイトもいない。速さを求めないなら、ほぼ誰にでもできる。あまりに単純で孤独に見えるスポーツ、それが100m走である。そんなスポーツで、日々最速の地位を求めて努力する選手がいる。 100m走に、彼らは何を求めるのだろうか?この極めてシンプルな、全てのスポーツの原型とも言うべきスポーツに通ずる答えであれば、それはきっと根源的で、真理に近いものであるだろう。 そしてその答えの真理性は、スポーツという枠組みを超えて、人生にまで通ずるものになるかもしれない。 すなわち、わたしたちは100m走を通じて冒頭の問いに思いをはせることで、こんな問いにも、少しだけ答えを垣間見ることができるかもしれない。 人はいずれ死ぬのに、なぜ生きるのか? という問いに。 主人公のトガシは小学生のころから足が速く、そのおかげで人気者でした。 しかし上に行くにつれて、日本トップレベルの速さまで手が届いたとしても、自分よりも速い人も現れるでしょう。 「一番足が速い人」という価値の維持のために人生の全てを捧げてきたのに、その価値が失われていくとしたら、その後、トガシの人生に残るものは何なのでしょうか? スポーツ漫画であり、哲学読本のような作品です。 ぜひ、その真理に触れてみてください。

ブラック・エンジェルズ

古き良きバイオレンスアクションの痛快作

ブラック・エンジェルズ 平松伸二
マウナケア
マウナケア

一般的に「現代版仕置き人」という認識の本作。第一部にあたるパートはまさにそうで、ヤクザにチンピラ、汚職刑事に悪徳政治家、金持ちのバカ息子に結婚サギ野郎と、わかりやすい悪党を黒き天使たちが打ち倒す、という日本人が大好きな勧善懲悪ストーリー。法で裁けぬ悪に天誅をくらわす、しかもその手段が暗殺、という昨今の少年漫画ではまず見られない内容です。またこの悪党が、まるで改心のかけらも見せない”ド外道”なんですよね。なので死んで当然と割り切ってしまえる痛快さがこのころにはあります。この第一部の印象が強くて以降のストーリーは忘れられがちですが、この後、革命をもくろむ竜牙会との死闘を経て大震災後の日本へと舞台は移り内容は一変。少年ジャンプの王道パターンともいえる力のインフレ化を起こし、やがては超能力バトルにまで発展してしまいます。ここまで無茶苦茶しなくてもとも思いますが、やはり漫画の本質はよくできたウソですものね。延々と暗殺を繰り返す内容でも、ちゃんと虚構とわかって読まれていた、良い時代に存在した奇跡的な名作だと思っています。