さらば、佳き日

富山・逃避の果・仮初の安息

さらば、佳き日 茜田千
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

不倫にしろ逃亡犯にしろ、逃避行と〈北〉はよく似合う。後ろめたさを抱える身には、人目のない北の冬はうってつけ、という事だろうか。 『さらば、佳き日』の兄妹は、二人で共に在る事を選び、住み慣れた故郷を捨て、親と友を捨て、雪の降る北陸へと向かう。 故郷が湘南地域であることは、6巻ではっきりする(江ノ島タワーが描かれている等)。きらきら明るい海沿いの道の描写は1巻から印象的だが、同じ様に美しい海が、北陸に来てからの描写にも出てくる。 5巻に出てくる「天晴」は絵から恐らく、雨晴(あまはらし)海岸。富山県高岡市にある、岩の景観が印象的な海岸。他にも古い日本家屋や庄川の花火大会などから、ここは富山県だと分かる。 意外と穏やかで明るい雨晴海岸にて、妹の晃は、自分と不可分な海を想う。まるで隣の兄・桂一の事を想うように。 ここでは冬の厳しい富山を、暗く扱うことはない。光ある穏やかな地で、優しい人々に受け入れられる「夫婦」は幸せそうだ……受け入れられる筈もない二人の秘密を、どこまでも抱えたまま。 (6巻の書誌情報で「富山」とはっきり書かれているので、間違い無いと思います。4巻で桂一が「福井……だったかな」と言うのは、彼のいい加減さのエピソードになっていますね)

氷属性男子とクールな同僚女子

これもう好き同士でしょ(憤慨)

氷属性男子とクールな同僚女子 殿ヶ谷美由記
六文銭
六文銭

と、言いたくなるような話でした。 雪女の末裔の氷室くんとクールな同僚冬月さんのオフィスいちゃラブコメ的な内容です。 当人同士はそんな風に思っていないかもだが、ハタからみるとそうとしか思えない、いや、絶対そうだ!と断言できる内容です。 ここまでイチャつくやりとりしていて、なんで付き合っていないのかが、逆に不思議になる感じ。 また、雪女の末裔・・・ということで、緊張したり、嬉しくなったりすると周辺が吹雪いたり、雪だるまが出たりするという、なんともわかりやすい感じなのだが、それでも氷室くんの気持ちに冬月さんは気づきません・・・え、どんだけ鈍感なの?というツッコミは、まぁ野暮として、暑いと小さくなる「ちび氷室くん」は可愛いので、この設定にもいささかの妙味があります。 また、小さくなると、急におねショタ要素も出てくるので一粒で2つ美味しい感じが良い。 (しかし、まだ1回しか出ていないので、もっと出て欲しいっ!と願ってやみません) 他にも「妖狐」や「フェニックス」の末裔など徐々に出てきて、物語を愉快にしてくれます。 ただ、その設定よりも、一体どういう職場なんだ?という疑問が強くなってきますが…そういう人が集まりやすい職場なのだろうか? 3巻まで刊行されていますが、付き合うどころか告白もしておりません! もうGOALはみえているというか、むしろGOALはガラ空きな状況なので、ここまでくると、どうやってオチつくのか逆に気になってきました。

レズ風俗アンソロジー

えっちだなぁ……(ニッコリ)

レズ風俗アンソロジー 大沢やよい コダマナオコ 片倉アコ ななつ藤 一迅社アンソロジー 岩見樹代子 蓮城はに ましまる 焔すばる
yrsk
yrsk

某レポ漫画で一躍有名になった「レズ風俗」、そこで働く女の子や客として来る女の子たちの話です。 基本的にほかの百合アンソロジーよりも肌色率高め、女体の触れ合いが大好きな方は絶対買いましょう。男性向けエロ漫画のレズものほどの生々しさはなく、しかしプレイ内容はしっかりと描かれているので非常にえっち、とても良いです。 レズ風俗アンソロジー2冊目(リピーター)(このタイトルつけた人、天才)につながる話もあり、あわせて購入することをおすすめします。 ななつ藤先生「いちばんのひと」※1冊目収録 ナンバーワンのリカコと、傷心を忘れさせてほしくてレズ風俗を利用するアキナの話。1冊目の中では行為をしっかり描いていてと~ってもえっちでした! 二人がベッドの上で激しく快楽を求める様、最高です。 ちなみに2冊目での「にばんめのひと」ではさらにえっちさが増しています あとがきの岩見樹代子先生の「こんなタイトルの本買う人がエロいの求めてない訳ないだろ」、まさにそのとおりです。ありがとうございました。

ヤサシイワタシ

悲劇でも負けていない!!

ヤサシイワタシ ひぐちアサ
影絵が趣味
影絵が趣味

ひぐちアサの『おおきく振りかぶって』という大仕事に取り掛かる以前の貴重なラインナップその2であります。 その1の『家族のそれから』もそうでしたけれども、死がひとつのモチーフになっている。『家族のそれから』は母親が亡くなることをきっかけに物語が始まっていますが、『ヤサシイキモチ』は主人公とその恋人になるヒロインがいて、終盤でヒロインが亡くなるという悲劇のかたちが明確にとられています。でも、ひぐちアサに悲劇はちょっと似合わないというか、らしくないような感じがしますよね。 やっぱり、そうなんです。形としては古典的な悲劇を踏襲していながら、なんか、どうも負けていないような感じがあるんです。『おお振り』の野球部たちのように、ひたむき且つ賢明な「転んでもタダでは起き上がらない」精神がここにも確かに息づいている。 このことは何べんも書いているような気がしますけど、大事なことだと思うのでもう一度。ひぐちアサは、生があって死がある、というような描き方をしないんです。プラスがあってマイナスがあるんじゃないんです。プラスをマイナスが帳消しにするように、生を死がなかったことにするなんてことはあり得ないんです。 不安で不安で仕方ななくて、いっそ風船に針を刺したい、高い所から手を離したい。そういう気持ちはあるかもしれないし、じっさいに針を刺してしまう人も、手を離してしまう人もいるかもしれない。でも、どんなことだって、それは良いことでも悪いことでも、それがあった起こったということは途方もない事実として消えることがないと思うんです。確かに今はそれはないかもしれない、でも、そんなことがあったという事実そのものはいつまでもそこに残り続けると思うんです。 最後の最後に、あのすっとこどっこいで、がむしゃらで、嫌なところもあるんだけど愛おしくもあるヒロインの弥恵さんの笑顔がコマのなかに現前としたとき、生は死なんかによって帳消しできるもんじゃないと確信せざるを得ないのです。しかも、弥恵さんはとある高校球児として生まれ変わる。そう、三橋くんとして。そして主人公の芹生くんもその後を追う。弥恵さんの、そして三橋くんの手を握って安心させてあげたいのは、芹生くんであり阿部くんなのだから。

僕はまた、君にさよならの数を見る

もしも好きな人の死ぬ日が視えたなら。

僕はまた、君にさよならの数を見る 永椎晃平 霧友正規
兎来栄寿
兎来栄寿

霧友正規さん原作のライトノベルのコミカライズです。作画を担当するのは『星野、目をつぶって。』の永椎晃平さん。 様々な物語を見てきている人であれば、この作品の根幹となる「他社の寿命が数字として頭の上に見える」という設定に既視感は覚えるでしょう。 『デスノート』ではまさに同様の設定がありましたが、最近でも『プランダラ』や『ドクザクラ』など寿命でなくとも何らかの情報を示す数字が人間の上に浮かぶ演出がなされる作品というのは数多く存在します。 また、キャラクター造形も脇役に至るまでよく言えば卒がなく、悪く言えば没個性という感じで突き抜けた魅力というのは感じ難いかもしれません(永椎晃平さんの絵の美麗さによってヴィジュアル的にはとても魅力的です)。 『100日後に死ぬワニ』の大ブレイクにインスパイアされた数多くの作品によって、「限られた命や時間をいかに生きるか」という命題にやや食傷気味の人が多いのも逆風かもしれません。 しかしながら、こうした珍しくない素材を使ってはいてもその調理方法は非常に丁寧であるという印象を受ける作品です。ライトノベルというジャンルが基であるならば、むしろこれがあるべき姿と言ってもいいでしょう。多くの人が安心して楽しめる、笑って泣ける恋愛+αの物語がここにあります。恐らく、中学生の時に全然物語に触れずにこの作品に出会っていたなら、大きく感銘を受けた気がします。誰かにとってのそういった体験になり得る作品です。 個人的には、特に創作という行為がひとつ物語において重要な意味を持っているところが好みでした。 全2巻で綺麗に完結しているので、ストレートで感動的な恋愛エンターテインメントを摂取したい方にお薦めします。

売野機子短篇劇場

売野機子のエッセンスが凝縮された短篇集

売野機子短篇劇場 売野機子
兎来栄寿
兎来栄寿

売野機子さんは長編ももちろん面白いのですが、改めてこの短篇集に収録されたエッジの利いた短篇たちを読んで、やはり格別だなぁとしみじみ思いました。 最初と最後こそ、連載したかったものの企画をどこにも受け入れられなかったことでコミティアで本にすることとなったという外連味溢れるSF「ロボットシティ・オーフェンズ」でスカッと楽しいです。しかし、その間に挟まれた作品、とりわけ「痴者の街で」や「成人式」などはビターな味わいで、順風満帆でない環境で躓いてしまった人にこそ刺さるであろう作品です。 物語を楽しむ必要がないほど現実が充実している人は幸せです。そのまま、世界に笑顔を増やしていって欲しいと思います。しかし、そうでない、笑えなくなってしまった人。そういう人に寄り添うのがこうした作品であり、その意義だと感じます。 売野さんには、人生や社会の理不尽に翻弄されて傷を抱えた少女を、その少女が傷を歯を食いしばって堪えたり痛みに喘いだり、克服したり圧倒されたりしながら生きていく時の生々しい息衝きをこれからも作品に宿して欲しいです。 なお、後書きで「〜しか勝たん」という表現を売野さんが使うようになっていたところもまたエモさを感じたところです。