名無し1年以上前ひまわり幼稚園のその後も不明だけれど、 三四郎に出てきた話で、三四郎2で全く触れていないことといえば 1・三四郎のオヤジの作った借金 2・オヤジさんオフクロさんのその後 3・頁二と塚原の娘のその後 とかかな。 縫い目の先生と三四郎の姉は、なんか結婚でもしたっぽい雰囲気だったが。 岩清水はチョロチョロでてきていたけれど、なんか三四郎たちとはからまなかったね。 参豪も全日本(柔道)強化コーチってことだったからオリンピックでメダルぐらいとっていそうだけれど、その辺の説明はなかったな。 1・2の三四郎21994年、三四郎が帰ってきた。1わかる
名無し1年以上前土田先生自身もストーリーの創作力は高いと思うのだが、この漫画に関しては田原先生原作で、土田先生は作画担当。 実際にはどういうふうに打ち合わせ、作品を作り上げたかはわからないけれども、田原先生の競馬観と土田先生の男っぽい画風が凄くよく組み合った漫画だと思う。競馬狂走伝 ありゃ馬こりゃ馬連載当初はコメディだったが中盤からは骨太な競馬浪漫に1わかる
名無し1年以上前原作者の田原先生がなんだかんだあったし、作画の土田先生も若くしてお亡くなりになられて微妙な存在の漫画なんだけれども、まさに世紀の一作。 田原先生が元騎手だけあって競馬の展開、駆け引きのリアルさは他の競馬漫画を2馬身は引き離している。競馬狂走伝 ありゃ馬こりゃ馬連載当初はコメディだったが中盤からは骨太な競馬浪漫に3わかる
影絵が趣味1年以上前よく天才すぎて……などと言われる堀尾省太だが、氏の天才たる最たる所以は単なる設定・ストーリーの作り込みや絵の描き込みなどではなく、それらすべて『刻々』という漫画世界から抽出されるひとつの視覚イメージを作り出せることにあると思う。それはストーリーとは関係も必要性もなく、でも、有無を言わせぬ説得力でそこに歴然と描かれている。 ここで特にその例して出しておきたいのは止界の象徴とも言うべき神ノ離忍(カヌリニ)の描かれ方、この枝分かれて伸び拡がる樹木のイメージこそ『刻々』の象徴として通底するひとつの視覚イメージであると思う。 そして、この枝分かれて伸び拡がる樹木のイメージは古今東西の数々の芸術家にも同様にみられるものでもある、それはとりわけ時という概念とくに永遠という時を志向する場合と結びついて描かれている。堀尾省太は知ってか知らでか、ある種の偉大な芸術家たちの系譜に身を並べたわけである。そして、今後もそのような芸術家は現れ続けることでしょう。 このイメージを喚起する力、これこそが佐河が志向した真理の探究に、あるいは一番近いものなのかもしれない。刻刻天才とは3わかる
名無し1年以上前白鳥の『どこのアホが乗ってんだろうな』ってセリフ、戦闘機に乗ってるのが狂四郎だとわかってる感じで好きだな。 白鳥ホントいいやつだから、最終話で無事に旅を続けている姿を見れてホッとしたよ。 狂四郎2030勧めづらいがディストピア漫画の傑作で間違いない90わかる