名無し1年以上前チャンピオンRED2019年12月号に載ってた「太陽と星とニギリメシ」は凄かった! 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で、日系人部隊の悲惨な戦争を描いた超力作。 一人でプライベートライアンを作っているかのようなエネルギーを感じた。 https://twitter.com/nass_na/status/1183094676040978432 自由広場2019年の読切マンガどれが良かった?2わかる
名無し1年以上前長いこと活躍されている先生というイメージです。 昔に確かヤングジャンプで連載していた画家漫画が 当時としては結構斬新な内容だった印象があります。 自由広場埋もれてしまった、とか、もっと評価されてもいい、とか思う漫画家16わかる
(とりあえず)名無し1年以上前かわぐちかいじは、上手い漫画家である…と、こんな当たり前のことを書くのもどうかと思うのだが、本当に上手いのだから仕方ない。 もちろん現在では、『沈黙の艦隊』や最近の『空母いぶき』のような大柄な世界観設定をもった「戦艦」物で知られているのだろうが、なにせキャリアが長く、売れるまでの「下積み」も長い人である。 『風狂えれじい』やら竹中労と組んだ『黒旗水滸伝』まで遡る必要はないが、出世作『アクター』以降(いや、本当の出世作は麻雀漫画の意味を変えてしまった『プロ』だろうが)、狩撫麻礼とのセッション『ハード&ルーズ』、絶品の青春ヤクザ物『獣のように』他、それぞれの時代で忘れがたい佳品を描き続けてきている。(個人的にはモーニング連載以降なら短命に終わった『アララギ特急』を偏愛しています) そのどれを読んでも、とにかく漫画が上手い。 構成・コマ割り・コマ内のキャラの置き方・ネームの処理、どれをとっても天下一品のなめらかさ。 下積み時代に練り上げ獲得した「漫画を見せる術」については、他の追随を許さないと思う。 この短篇集『愛物語』は、そうした漫画の巧みさをほぼ完璧な形で発揮させた、まさに「教科書」たり得る一冊だ。 例えばアーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』のような、手練れの小説家の短篇集に匹敵する肌触りがある。 良質なエンターテインメントとして、ジャンルは違うが、ヒッチコック劇場みたいだ…と言っても言い過ぎではないのではないか。 正直なところ、ちょっと鼻につくぐらい「上手い」です。 しかし、『力道山がやって来た はるき悦巳短編全集』とか、あだち充の『ショートプログラム』とか、『1 or W 高橋留美子短編集』とか、このあたりの名前のある漫画家は、本当に短篇が上手い。 最近、こういう手堅く風通しが良いのに個性豊かな短篇が、あんまり読めなくなっている気がして、さみしいですね。愛物語短篇漫画の教科書14わかる
影絵が趣味1年以上前漫画というのは二次元+一次元(コマの挿入による時間の推移)で出来ています。しかし、私たちの日常生活は四次元として展開されていますから、漫画もそれに即していかなければ、リアリティのある物語を描くことができません。そこで漫画の本来の領分であるところの二次元に補助として光学を採用する、すなわちデッサンです。これにより漫画は、平面上にかりそめながら立体を再現することが出来たということになります。 はい、何を当たり前のことを言っているんだろう、という感じですが、諸星大二郎に限っては、この当たり前が当たり前ではなくなってしまう。何しろ、タクシーのなかでさえデッサンが寸分も狂わなかったと言われる手塚治虫、大友克洋が出てきたとき「あんな絵は僕にも描けるんです」と豪語した手塚治虫が「諸星くんの絵だけは真似できない」と言っているのですから。 つまり、諸星大二郎は他の漫画家のように二次元+光学の補助という絵の描き方をしていないんですね。『栞と紙魚子シリーズ』はそれがもっとも顕著なんですけども、彼女たちの暮らす胃の頭町(いのあたまちょう)はなんかよくわからないけど異界に通じているらしい。その異界の異界ぶりをもっともよく表しているのがクトル―ちゃんのお母さんですよね。あの顔の目茶苦茶でかいお母さん、あれはどう考えてもデッサンでは描けない。あの顔で、いったいどうやって段先生のボロ屋に収まっているのやら。もしあれをデッサンで描こうものなら、それこそ二次元でも三次元でもない空間の捻じ曲がった異界が爆誕してしまう。というか、この爆誕してしまった異界こそが諸星大二郎の絵なんです。 とくに栞と紙魚子が姿のみえない首輪だけのペットを散歩させる回は秀逸でした。ペットに引っ張られて段々と異界に迷い込んでゆくわけですけど、その行く先のエステサロンにクトル―ちゃんのお母さんがいる。お母さんは「あら~、こんなところでお目にかかるなんて珍しいですわね」とか何とか言って、エステのマシーンから引き伸ばされたうどんみたいな姿で出てくるんです。もう、何がなんだかわからないでしょう。でも、これを大真面目に描いてしまうのが諸星大二郎なんです。栞と紙魚子シリーズ二次元でも三次元でもなく、ど次元!!6わかる
(とりあえず)名無し1年以上前『東周英雄伝』の鄭問(チェン・ウェン)の訃報は、一昨年のことだったか。 とんでもない「絵」を持った漫画家だった。 今さらだが、心から哀悼の意を捧げたい。 80年代後半から90年代前半、講談社のモーニングは、かなり精力的に海外の漫画を掲載していて、その野心的な試みは、今もバンドデシネ(フランスの漫画)のフィールド等では結構伝説的に語られることがあるのだが、そうした中で、もっとも衝撃的だった才能こそ、鄭問だった。 「こんなに絵の上手い漫画家が、台湾にはいるのか!?」と圧倒されたのを鮮烈に覚えている。 西洋画の奥行きを自家薬籠中のものにしながら、東洋の伝統的な水墨画のテイストを自在に操るその驚異の筆使いは、日本の漫画読者の芯を直撃しつつ、激しく揺さぶってくる。 本当に惚れ惚れする。 その作風からすれば、かなり手堅い印象の企画である『東周英雄伝』の好評を受けて始まった本作『深く美しいアジア』は、オリジナルのファンタジーだ。 世界設定は大陸的な伝奇物テイストでかなりブッ飛んでいるし、ナンセンスな味わいもあって、一筋縄ではいかないこの漫画家の器の大きさが感じられ、とても楽しい。 すごい漫画家が、世界にはいっぱいいるんだなあ。深く美しきアジア深く美しき未知4わかる
(とりあえず)名無し1年以上前『ガケップチ・カッフェー』は2巻まで出ていた…とずっと記憶していたのだが、どうも違うようだ。 1巻を愛読し、週刊モーニングでの連載再開以降も追っていたので、それで2巻を読んだ気になっていたのだろうか。 でもなあ、「2巻のカバーは、1巻よりずっと良いなあ」と思った記憶があるんだよなあ。2巻を買った夢でも見たのかなあ。 本作は、大前田りんという才能が生んだ、宝石ような佳品である。 難しいところがなにもないのに、とても微妙で壊れやすい男女の関係を繊細かつ絶妙に描き出して、いつまでも心の柔らかいところを刺激しつづける、絶品のラヴ・ストーリーだ。 日本でなぜかやたらと人気の高いドイツ映画『バグダッド・カフェ』の影響があるというのは、物語的にはあまり重要ではない。 だが、まさに映画の主題歌、ジェヴェッタ・スティールが歌う「コーリング・ユー」のような、メロウでウェルメイドなミディアム・ポップ・ソングを聴いている時に感じる「あのムズムズする気持ちよさ」を、読んでいる間ずっと感じられる、そんな漫画なのである。 (ちなみに、映画本編に比べて、この曲は本当に世界中で人気で、呆れるほど多くのミュージシャンがカバーしてます。興味がある人は、英語版のWikiの"Calling You"をチェックしてください) しかし、未完なのだ。 著者の精神的不調から連載が休止し、そのままに終わった…と、どこかで聞いた気がするが、本当のところは分からない。 未完に終わった漫画はそれこそ数え切れないくらい存在するし、この作品も既に四半世紀が経過してしまった。今さら、著者に続きを描いて欲しいとは、もう思わない。未完に終わったことは、誰よりも著者が無念だろうし。 とりあえず古本で良いので、1巻を読んでください。 すごく「ムズムズして気持ちいい」から。 「1巻だけでも充分だ、この作品を描いてくれてありがとう」と思うから。 でもね、やっぱり心の奥で、少し恨んでいるのです。 「こんなに俺を夢中にさせといて」…って。ガケップチ・カッフェー宝もの。22わかる
名無し1年以上前えっ?何この神のようなスレッド?は ありがとうございます!いい薬です! 前作SAND STORM SLUGGERが大好きすぎて 新連載に入り込めなかったらどうしよう?と懸念していた自分の鎖骨をグーでぶっ叩きたいですね 新連載も相変わらず面白いし今から続きが気になりすぎて無限にソワソワしてます。 主人公の「とにかく速い球を投げる」ことしか考えていないような 一本気なところが好感持てます。クワトロバッテリー最新話感想を語りましょう4わかる
名無し1年以上前二双のバッテリーで物語を組むって少なくとも過去に自分では見たことがないので 本当に今後どうなるのか想像がつかないしめちゃくちゃ楽しみですクワトロバッテリー最新話感想を語りましょう6わかる
(とりあえず)名無し1年以上前楳図かずおの漫画について書くことなど、まったく意味がない。 ただ読めば良いのだ。 まったく独自で、比べるものがない作品、しか描いていないのだから。 少女漫画時代の怪奇物でも、少年誌の『漂流教室』や『まことちゃん』でも、青年誌に活動の舞台を移した『わたしは真悟』や『14歳』でも、なんでもいいんです。 全部、この人にしか描けない、世界にひとつだけの特別な「なにか」ですから。 とはいえ、個人的にお薦め、というなら、『神の左手悪魔の右手』でしょうねえ。 この、言葉の正しい意味での真の「鬼才」が、キャリアを経て自らの資質と感覚を完全にコントロールし、脂の乗りきった技倆を自在に操って、「手頃」な異界を描いてくれています。(でも、ホントにすんげえ怖いよ。総毛立つよ) 『漂流教室』や『わたしは真悟』は、巻数多いしあまりにも圧倒的すぎる…というかたがもしいたら、ここから入って、とんでもない深みにハマり抜けられなくなってみるというのは、いかがでしょうか?神の左手悪魔の右手孤高!13わかる
sogor251年以上前相手の言ったことを文字通りに受け取ることしか出来ない女子高生・綿谷さん。「凪のお暇」の凪が"空気を読みすぎる"人なら、彼女は"空気を読むことができない"人かもしれない。そんな彼女と、彼女を取り巻くクラスメイトとの物語。 ともすると綿谷さんは"発達障害"や"アスペルガー症候群"などの"病名"をもって語られる存在なのかもしれない。もちろんそうすることで得られる物語的な効果もあるとは思うけど、今作では特段そういう説明のしかたをせず、あくまでよくある高校での一風景として綿谷さんと周囲の日常を描いている。それによって、極端に空気を読まない綿谷さんの存在がより親身なものとして感じられ、現実感のある物語になっている。 そして、空気を読めないことが"真っ直ぐな言葉"となって周囲の人に届くことにより、分かり合えない」のすれ違いから友だちになるまでの過程が高校生活の1ページとしてキレイに可視化されている。 主人公の振る舞いが周りに影響を与えていくというのは「町田くんの世界」や「スキップとローファー」とも近いかもしれないが、興味深いのは基本的に各話の語りの中心が綿谷さんではなくその"友だち"の側にあること。それは各話サブタイトルが友だちの名前になっていることからも分かるし、後から思い返すと作品のタイトル自体も「綿谷さんの"友だち"」だったと気付かされる。そういう意味ではもしかしたら「桐島、部活やめるってよ」に近い演出なのかもしれない。ただ、他者視点が多いなかで綿谷さんの視点でも要所で描かれており、実際に読んでみるとかなり極端な存在なはずの綿谷さんに対しても感情移入できるように作られている。 綿谷さん視点でも"友だち"視点で見ても、いずれにしても作品全体の"真っ直ぐさ"が純粋に心に響く作品。 1巻まで読了。綿谷さんの友だち綿谷さんの"真っ直ぐな言葉"が心に響く8わかる
猫あるく1年以上前他人のちょっとした「おこだわり」聞かなければ決して知ることがないものなんだけど、聞いてみると誰しもが何かしらのこだわりがあって少しだけ人生を豊かにしている。自分も真似してちょっとだけ人生を楽しくしたくなってきちゃいました。清野先生の怒涛のツッコミがめちゃくちゃ面白い! その「おこだわり」、俺にもくれよ!!ここに注目するなんて、なんて目の付け所だ!9わかる
名無し1年以上前今作にも再録されている「不快な読み物」の一部「街」を読んで鮮烈な衝撃を受けたまま10年近く、そこから派生して多くのかけがえない出会いを経て 清野さん、あなたがいなければ私はどれだけつまらない人生を送っていただろう?と本気で思って生きています。 世間的には清野とおるはエッセイ漫画家としての認知が高いと思われますが、私の中では不条理創作漫画の人なので 令和の時代に氏の短編集を新刊で読める日が来るなんて感無量です。私がまあどうせいつか死んだらコミックスを棺に入れてほしいので、どうぞよろしくお願いいたします。 騙されたと思って読んでみてください。 100人読んだら99人が騙されたと、「これの何に心を動かされたの!?」ときっと思うことでしょう。そうではないひとりに、あなたがなるんですよ。そう、私のようにね いずれにしても唯一無二の感情をお約束します。 おすすめです。まあどうせいつか死ぬし ~清野とおる不条理ギャグ短編集~清野とおるは我が人生11わかる