兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
9月まで続いた猛暑の和らぎから一転、急速に寒さが増してきて秋が短すぎると感じる昨今。 いいとこ探しをするならば、温かいものが美味しく感じる季節になってきたというところですね。そう、たとえばおでん。皆さんはおでんの具では何が一番好きですか? 私はかつてはちくわぶ一択だったのですが、近年は大根・玉子という鉄板に加えてもち巾着も非常に好きで、なかなか選ぶのが難しいです。そんなわずかな好みの変遷も人生の一部だなあと、このおでんの向こう側に人生を見るマンガを読んでいると思い耽ってしまいます。 本作はおでんとコーヒーを提供するお店を舞台に、訪れる多種多様なお客さんたちが繰り広げる人情劇です。 お酒は置いておらず、あくまでコーヒーとおでんだけを楽しむというちょっと変わったお店。その取り合わせは未体験ですが、コーヒーも多様なのでおでんと合うコーヒーもきっとあるのでしょう。一度試してみたいです(ちなみに、作中で登場するおでんの残り汁とカレーを合わせたおでんカレーはたまに作って美味しいことは知っています。和風だしとカレーの相性はカレーうどんで証明されていますしね)。 こういった小さなお店は何より店主の存在が大きいのですが、このお店の店主は「粋」が解る人物で読んでいて安心できます。お店が人気になるのも納得です。 昔から変わらずある練り物やこんにゃくなどのベーシックな具材。ロールキャベツのような、後年にニューフェイスとして登場した具材。新旧どちらにも良さがあるおでんの具材たちですが、それは人間社会にも同様に言えることであるなど、おでんを通して人間ドラマの数々が描かれていきます。 個人的に、終盤のあるエピソードは特に共感するところが多く自分の過去を思い返しながらしみじみと読みました。 この作品の前身となる「さかえ通りO.D.N」も収録されているのですが、高田馬場のさかえ通りも少し馴染みがあるところなので親近感が湧きました。 おでんのように素朴で温かい、味の染みた作品が読みたいときにお薦めです。 なお、あとがきによると連載前にコルクの合宿で大谷翔平選手もすなるマンダラチャートをしてみんとてするなりと中央に「WEBメディアで連載する」と書いて、実際に連載を始められて、こうして本にもできたそうで驚きました。まさか、こんなところでも大谷選手のすごさを見せつけられるとは。
兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
「真面目で常識的で理性的で倫理的」 「故に平凡 凡庸」 主人公・マコトを断罪する、天才である後輩・黄泉野のセリフに身を切り裂かれる想いでした。 何者かになりたいという願望を抱き、小説というジャンルで黄泉野が意識する程の才気の片鱗は見せながらも、社会的な地位やパートナーを得て凡愚に成り下がって仮初の安寧を得ながら緩やかに魂の熱的死を迎えつつあったマコト。 私は、才能ある人を見たら素直に賞賛してしまいます。殺したいどころか、負けたくないという感情すら生まれません。そんな平凡な感性で、誰かを心の底から突き動かしたり震えさせるようなものを創ることなどできるわけがないだろうと、その温さや甘さをまざまざと突き付けられた思いでした。 「もっとちんぽを出せ」 という黄泉野の言葉は、死に体になっていた主人公を通して確かに私を貫きました。 「そちら側」の人間と、「こちら側」の人間。その間に聳え立つ壁を穿って、砕いて、崩して、乗り越えていけるのか。否か。 確実に「そちら側」に立てるであろうマコトに及ぶべくもないですが、それでも痛いほどの共感を覚えます。 結婚して、家族を持ち、家庭内に不和は皆無で世間的に見ればそれなりに幸せに暮らしている状態。でも、ある意味でそれはぬるま湯の幸せでもあります。 一方、一部の親友たちは今も日々命を削って創作しています。彼らの紡いだ作品が世界の誰かの深部に届き、人生に新たな彩りを与える。それは本当に素晴らしく喜ばしいことです。しかし、自身がそれを為せないままで今に至っていることに悔しさや歯痒さがあることは否めません。どこかで、燻る想いを抱えたままです。大企業でバリバリ働いて結果を出し、彼女もいる順風満帆だったマコトには、そういう意味でも深く共感します。人間はどこまで行っても満足することはなく、成功は次の成功を欲望させ、他者を見て相対比較しては羨望する生き物だということは痛いほどに解っていますが、それでもです。 最近話題の編集者が、物語は苦しみからの解放であると定義しました。その論は非常によく解ります。そして、こうも思います。作家の負の感情が、出力される物語を研ぎ澄まし輝かせると。幸せから生まれる物語も、もちろんあるでしょう。しかしながら、そもそも現実が幸せである人には物語はなくても生きていけるもので必要ではないのです。本当に物語を必要とするのは、現実の中で生きるのに苦しんでいる人。そういう人の怒りや嘆き、劣等感や嫉妬、喪失や諦観など諸々の負の感情が作品という形で解き放たれ、奇跡的な熱量や煌めきを生むケースが非常に多いです。極論を言えば、創作者は幸せにならない方が凄まじい作品を創れる確率は高いのでしょう(中には、自身は概ね幸せなままで凄い作品を作れる人もいますが、そういう方は感受性が飛び抜けていて他者の悲しみや苦しみを自分のこと以上に捉える力、それを出力する能力などが非常に優れているのだろうと思います)。 この作品でマコトが見せる「そちら側」に立つ資質の一片、狂気や没入力。かつて、私もそうした狂気に駆られて創作に励んだ時間はありました。しかし、ぬるま湯の温度に慣れ切った今もう一度同じようにできるか、あの狂熱を持てるかというと自信がありません。何なら、そこに憂いを持つ時点でもうダメだろうとも思います。 「編集者は作家と一緒に死んでくれませんよ?」 「最後の決定権は命懸けてる方が握ったって良いでしょ」 などの黄泉野のセリフであったり、遊園地での担当編集のリアクションであったり、心を掴まれる部分がたくさんあります。 燻る火種から大火が起きるのか。狂おしい感情に身を焦がされながらも、マコトの筆がどこまで走っていくのか目が離せない物語です。
六文銭
六文銭
1年以上前
謎の読後感のある作品。 容姿に恵まれず、不遇の高校時代を過ごした主人公。 自分がブスであるから、見向きもしないし誰からも相手にもされないと思い込む。 メイク駆使して改善しても、いわゆるカースト上位の女子たちのダシに使われるだけ。 そんな日々に嫌気がさし、大学入学と同時に整形に手をだす。 ただ、ベースが悪いせいか整形したにも関わらず、望んだ姿にはなれない。 ロクでもない男にしか相手にされない自分にひたすら苦しむ。 そこで、祖母の遺産にまで手を出し、さらなる整形を実施。 やっと自分が「選ぶ側」の人間になったと感じるも、まだ足りない。 可愛いが足りないから結局何もかも上手くいかないと思い込む。 可愛くなれば幸せになれる、そう信じてきた主人公に、高校からの同級生が放つ最後の言葉 あなたの「可愛い」は誰かに依存しているものだ 自分の「可愛い」がないから一生満足できない これが刺さる。 結局、前提が崩れていて、同級生は最初からずっとわかっていたのだ。 わかっていたのに止められなかったことを悔いながら主人公のもとをさる。 しかし、そんな訴えも虚しく、主人公はとまらない。 この呪いとも思える思考に取り憑かれた主人公に、ラストはゾッとした。 人工的に容姿を手に入れても、その考え方を改めない限りブスはブス。 それをさしてブスの一生というタイトルなんだと自分は感じた。 巻末のエピローグは本来あるべきだった想いがつまって、そこがまた物悲しい。 1人の人間が堕ちていくまでを描いた作品で、サクサク読めるわりに、グサグサささりました。