兎来栄寿
兎来栄寿
10ヶ月前
最早、兵器とも言える破壊力です。 人気イラストレーターであるitoさんが描く、淡いフルカラーで彩られる青春の1ページ。 ある人は、若い男女のもどかしくなるようなやり取りに緩む頬やときめく心を止められないことでしょう。 またある人は、異次元のようなできごとに虚無感を覚え魂の慟哭が起こるでしょう。 読む人の人生を照らし浮き彫りにしてしまうほどの、何なら粒子に返してしまうほどの眩さを放つ、純然たるボーイミーツガールです。 高校生になって最初の日に出会った、同じクラスの前の席の男の子。 初めて触れた手。 勉強会。 初めての通話。 初めて一緒にする校外でのお出かけ。 ふたりで乗る観覧車。 席替え。 そして…… ある種『別冊マーガレット』や『デザート』を超える甘さを呈しながら、しかしそれだけでは終わらずアオハルの渦中の繊細な感情を丁寧に掬い取ってつぶさに描いていきます。 高校生の男女が迎えていくひとつひとつのイベントが、itoさんの絵の魅力を伴って心を揺さぶってきます。 「あったなぁ、こんなとき」 と共感するか。 「自分の人生にはまったく存在しないものだ」 と断絶を感じるか。 あなたはどちらでしょうか。
兎来栄寿
兎来栄寿
10ヶ月前
アニメ化も発表された『チ。』や、『ひゃくえむ』の魚豊さんによる待望の最新作1巻が発売されました。 今回は、いわゆる「陰謀論」マンガです。単体でも挑戦的でまさに現代に相応しいテーマなのですが、それを『チ。』の後にやる。人間の知的探究心がいかにして世界を切り拓き動かしていくかという物語をやった後に、それが間違った方に転がったらどうなるかという危うさを描く。素直にすごいな、と思いながら1話から楽しみに、一方で恐ろしく思いながら読んでいました。 現代社会には、情報が蔓延しています。し過ぎています。現代人が1日に触れる情報の量は江戸時代の人間の1年分・平安時代の一生涯分に相当するとか、2002年のインターネット上の情報を10とすると2020年の時点ですら約60000になっていて今も加速度的に増え続けているなどと言われます。 コロナ禍にあっても、不安や困窮から冷静な判断をしにくくなっている状態で玉石混淆の情報が錯綜し、何が正しく何が間違っているのか多くの人が惑う中で分断や対立が起こってしまいました。最近急速に発達しているAIによるフェイク動画や画像なども今後はより氾濫していき、ますます真実を見極めるのが難しく、大事な時代になっていくでしょう。 そんな情勢下において、この物語で語られることは非常にクリティカルです。人は、他の人が気付いていない真実に自分だけが気付いているという甘美な果実の旨味からはなかなか逃れられません。 本作の主人公である渡辺は非正規雇用のいわゆる社会的弱者ではありますが、小学生のころの成功体験を基に論理的思考をする癖をつけてきた人物です。そんな彼が、いかにして陰謀論に堕していくのか。社会から受け入れられてこなかった人間が、少しでも自分を肯定してもらえるとどうなるのか。 そこには、現代社会や資本主義の、あるいは人間自体の構造的な脆弱性があります。そして、その脆弱性を利用して利益を得ようとする悪意が必ず存在し、そこも実に巧妙に描かれます。 客観的に離れた立場から見ている分には論理的な矛盾なども冷静に指摘できるものですが、いざ自分がその場で肉体的・精神的・経済的に弱まって判断力が低下した状態で同様のことをされた際にどうなるかと考えると、誰しもが自分は絶対大丈夫などとは決して言えないのではないでしょうか。 確かに女の子も出てくるのですが、この作品をラブ「コメ」と言ってしまうのはあまりに救いがなさすぎる気もします。読んでいると、共感性羞恥に近い諸々の感情も生じてきます。それでも、圧倒的に目の離せない筆力は流石の魚豊さんです。 反面教師として、戒めとして、大事なことが記されている物語です。