今日もカレーですか?

すぐそばにいるのに私、カレーのこと何も知ろうとしなかった

今日もカレーですか? あづま笙子 藤川よつ葉
六文銭
六文銭

美味しんぼの24巻で海原雄山が 「カレーの定義とはなんぞや」 と押問答して 「インドにそもそもカレー粉なんてない」 的なことを言いいだして、 「な、なんだってー!」 と衝撃を受けた、数十年前。 カレーを決めづけるスパイスなんてものもないらしく、ドロドロしていればカレーというわけでもないし(たしかにスープカレーがある)、辛ければカレーでもない(たしかにココナッツカレーという甘いカレーもある)、黄色液体だからカレーというわけでもない。(たしかにグリーンカレーもある) じゃあ俺が今まで食べていたのは何だったんだ・・・と恐怖し、それからというもの、夜しか眠れない日々を過ごす。 インターネッツがこれほど発達した今でも、ロクに調べもせず、今なお、わからないままカレーが出れば、それがどんな色・形状であろうと出されるままウマウマと食べている知的好奇心の欠片もないだらしない人間が、この私なのだが、本作を読んで改めようと思いました。 本作のキャラたちはカレーをちゃんと知ろうとして偉いです。 見習いたいです。 本作で知ったことはナンはインドの庶民的な料理ではないらしい。 「な、ナンだってー!」(しょーもな) 衝撃パート2を受けながら、 未だ謎が多いカレーについて歴史など知れるのが本作の特徴です。 何十年かぶりに、主人公のようにカレーについて考えようと思いました。 あと誰もが知っているチェーン店での食べ方とか、バリエーションとか色々あって、読んでいると、かなりカレーが食べたくなります。 みんな誰しも「心のカレー」があると思いますので、 食べる前の準備として本作を読むと2倍美味しく食べれると思います。 ぜひ、食べる前に読んでほしいです。 しかし、これほど日本に浸透した食べ物なのに、 実際、中に何が入っているか、特にスパイスがなんだかわからないのもすごいですね。

ベルセルク

最新刊によせて

ベルセルク 三浦建太郎
六文銭
六文銭

ベルセルクとは中学~高校にかけて読み始た思い出深い作品です。 当時はジャンプ系の主人公に食傷気味だったこともあり、本作の「ガッツ」の存在が、自分の中では斬新かつ衝撃的でした。 復讐のために使徒とよばれる魔物を、それこそ何でも使って倒していく(モブキャラだとしても人間をも利用する感じ)、ダークヒーローの象徴的なキャラだと思います。 勧善懲悪・人類皆兄弟みたいな博愛的な主人公とは真逆で、自身の、ある意味利己的な復讐のために戦い続ける様は、シビれました。 以降、もう20年くらい?新刊がでればチェックしている数少ない作品の一つ。 著者の訃報には、最後まで読みたかったという諦念だけでなく、著者のほうがさぞ無念だったろうという想像で、悲しいやら悔しいやら得も言われぬ感情が襲いました。それこそ中高時代の思い出が走馬灯のように駆け巡って思い出補正も相まってしばらく昔の巻を何度も読んでましたね。 内容は・・・まぁ世界的に著名な作品なので割愛させていただきますが、 自分の思いをば。 「長編作品あるある」なのですが、読んでいた当初から自分の中にある「作品への期待値」から徐々にずれていくことって多々あると思うんですよね。 「ベルセルク」は、自分にとってそれなんです。 (だからといってダメだとか、言うつもりは全くないです。) 自分は、シールケが出てきたあたり、魔法の概念(妖精パックも魔法といえば魔法ですが・・・。)や狂戦士の鎧みたいなものが出てきてから ん? と思うことが多くなりました。 なんというか、自分はガッツが生身の人間として「超常的な存在(ゴッドハンドとか)」と戦っていく様にシビれたんですよね。 それこそ、身一つ、大剣一つで、ズタボロになりながらも這いつくばってでも、倒していく様が圧巻で好きだったんです。 どっこい、そこに、仲間として同じく超常的なものが入り込んでくるとちょっと何でもアリだなってなってしまったんですよね。 もちろん強さのインフレがおこりがちだし 「どうやってコッドハンドに勝つんだろう、いや無理だろ」 と思っていた節もあるので、この加勢は、むしろ必然と言えば必然だし、物語として深味がましてきたとも思います。 でもやっぱりガッツの腕力のみを期待していたので、このズレが最新刊までずっと続いちゃってますね。 (何度も言うようですが、だからといって面白さが損なわれたとか、つまらないとかではないです。) 私の中では「進撃の巨人」も同様で、どうやって人類が巨人と立ち向かっていくのだろうとワクワクしていた矢先に、3巻くらいでいきなり主人公が巨人になって、あれーと感じたもの近いです。 変な嗜好で恐縮です。 好き嫌い混ざったとしても、やっぱりベルセルクは好きな方に傾くし、それこそたぶん一生読み続ける作品の一つです。 今後どうなるか未定なようですが、未完のまま終わらせるのか、代筆させるのか、いずれの場合でも変わらぬ思いでこの作品を大事にしたいと思いました。

ダンダラ

彼らの青春

ダンダラ 赤名修
ナベテツ
ナベテツ

「賊軍土方歳三」の連載が始まった時、赤名先生がまた新撰組を描いてくれると、古いマンガ好きとして喜びました。「賊軍~」というタイトル自体なかなか刺激的だと思いますが、史実と異なる部分もあり、どのように着地するかも楽しみな作品ですが、以前に新撰組を描いていたのがこちらの「ダンダラ」になります。 物語は未完であり、1巻は新撰組にとってこれから!というところで終わっています(新撰組を描いた作品は多いですし、知ってる方はまあ分かるとも思います)。 勇午の合間ではありましたし、いつかまた続きを描いてくれたらなあと思っていましたが、「賊軍~」も大変面白いため、歴史マンガが好きな人間としては嬉しいのですが、赤名修という漫画家にはこんな作品もあったのだと記しておければと思い、口コミを投稿しました(電子書籍も発売してくれるとなお嬉しいのですが、偉い人に頑張って貰いたいもんです)。 自分は勇午から読み始めたファンなのですが、原作の無い赤名先生の作品はこのタイトルが初めてで、だからこそ続きを読みたいと願っていました(「賊軍~」の評価が高いのも一ファンとしては嬉しいところです)。 史実通りであるならば、どうしても「賊軍~」は晩年という括りにはなってしまうかと思いますが、「ダンダラ」は間違いなく彼らの青春を描いた作品だと思っています(殺伐としすぎていることは認めます)。個人的には力士相手に大立ち回りをするところが大好きでした。

合格のための! やさしい三角関係入門

恋愛を〈疑う〉先にある絆(マンガプレゼン大会2021補遺)

合格のための! やさしい三角関係入門 缶乃
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

2021年12月18日、マンガプレゼン大会に出場しました。ご視聴くださった方、ありがとうございました!まだご覧でない方は、下記リンクよりアーカイブをご覧下さい。 https://youtu.be/Os8KS2MmJHw 私の今回のプレゼンは『合格のための! やさしい三角関係入門』について。女子ばかりの困難な三角関係と、その中の一人の辛い恋愛感情にフォーカスを当てて紹介しました。ここからは、その内容に二つの言葉……恋愛の常識だけ捉えていると見落としがちな視点を添える試みをします。 ★★★★★ 主人公の受験生・真幸の家庭教師・凛は「一人の特別を選べない人」と紹介しました。どうしても複数の人を愛してしまう彼女が指向する恋愛感情・恋愛スタイルには、実は名前があります。 それは「ポリアモリー」と言います。 (引用※1) きのコさん: ポリアモリーは、複数人と同時に関係を持つことが大きな特徴なので、「浮気を肯定している」と言われてしまうことも多いんですけど…それは違うんです。 浮気や不倫のように、パートナーに隠して他の人と関係をつくるわけではなく、全員から合意を得たうえで、複数人と交際をすることを大切にしています。 「本命」や「浮気相手」という優劣もありません。 (引用終わり) 二人の大切な人を失いたくない凛がもし、このような関係を築ければ、それはこの上ない幸せなのかもしれません。しかしそれがとても困難であることは、作中でも描かれます。 何よりも恋愛対象者が、ポリアモリー関係性を拒否すれば、関係は結ばれません。凛が大切に想う一人・親友のあきらは、特別な「一人」との恋愛を夢見る人。また凛は過去に、別の三人組のうちの一人に「私だけを特別に想って」(引用※2)と求愛され、三人組を壊すのを恐れて断った事がある。 他にもポリアモリーの実践には、当事者間にも社会的にも、いくつか困難がある。しかしポリアモリーが (引用※3)「自分自身の愛のあり方について大切な相手に対して包み隠さず正直である」「付き合っているパートナーが、自分が複数人と付き合うことに対して否定的になった際は、そのたびに話し合いを重ね、どうして行くべきか考えていく」(引用終わり) という誠実さを持つ限りにおいて、ふしだらとか人の道を外れているといった誹りからは遠い場所にいるのではないでしょうか。 この「ポリアモリー」という道は、誰よりも目の前の人に誠実な凛にこそ、開かれた道かもしれませ。なにしろ彼女は、関係を継続させるために目の前の人に嘘をつく事は一切しないのです。 ★★★★★ さて、プレゼンにおいて私は、三角関係の中で三人が相手に向ける感情を一つ一つ明らかにしましたが、そこで分かるのは「一つとして同じ感情が無い」という事です。 尊敬・憧れ、強い信頼、理解者への寄りかかりといった精神的な強度を持つ感情がある一方で、キスの肉欲や一目惚れといった本能的な衝動もある。そして彼女達としては、どれも蔑ろにはできない。 一般的に誰かとお付き合いを始める時、そこに恋があるとされる。でもその「恋」とはなんだろうと思うと、途端に不安になる。相手と私の恋は、同じ感情だろうか?同じ強度を持つだろうか?……相手を疑い始め、疲弊するうち次第に自分の心すら分からなくなってゆく。 そして己の恋を実際に分解してみると、確かに強い想いは存在するけれども、それがいつ恋になったか?これが本当に恋なのか?一緒にある肉欲は恋なのか?と分からなくなる。 真幸・あきら・凛それぞれの想いも、確かに強い。でもその中には、恋には見えない物もある。しかしそれも恋かもしれない。もしくは恋と同じくらい強い気持ちかもしれない。いや、そもそも恋である必要があるのか? 相手が大切で、何かしてあげたいと思うのなら、それだけで尊いじゃないか! 「クワロマンティック」というアイデンティティがあります。 ときに「自分の感情が、愛情か友情か分からない人」という(やや雑な?)紹介をされるこの言葉。社会学研究者でクワロマンティック当事者でもある中村香住氏は『クワロマンティック宣言』(※4)の中で、そもそもこの語が (引用※4)「恋愛の指向」や「恋愛的魅力」といった言葉が意味をなさない(引用終わり) と当事者が感じたところから生み出された、と解説します。つまり自分が相手を想う感情が恋愛かどうかについて、尺度もなければ実感もないので、「恋愛」というカテゴライズ自体を拒否する。そして恋愛以外の感情で、一人一人と親密に、それぞれに独特な関係を構築する。この様な「恋愛に振り回されない」親密圏の在り方は(たとえ「クワロマンティック」の傾向を持たなくても)恋愛に疲れた人には魅力的に映るのではないでしょうか。 『クワロマンティック宣言』の中で中村氏は (引用※4)数少ない「恋愛」経験を通して、私には「恋愛」そのものが向いていない、というか「やりたいと思えない」と感じるようになった。たとえば、そもそも日本の「恋愛」規範には、契約としての「付き合う」と「別れる」がある。始まりがあれば終わりがあるという発想がある。それは本当に窮屈なものに私には思えた。それから「恋愛」をしていれば「独占欲」やそれに基づく「嫉妬心」があるに違いないという前提が、私にはとても辛かった。(引用終わり) という告白をする。ここで書かれる疲労感というか、絶望感は、『合格のための! やさしい三角関係入門』においてポリアモリー的感情を抱くために人一倍他人との関係維持に苦しみ、挙句人間関係そのものを諦めてしまった、凛という人の苦悩の描写とどこか重なるのです。 凛という人は必ずしも「恋愛」だけで人と繋がりたいとは思っていない……ように描写される。プレゼンでも引用した『おばあちゃんになるまで三人で…いたかったよ…』(引用※5)というセリフには、情熱的な恋愛というよりは、安心感を得られる穏やかな関係性のニュアンスが感じられます。 しかし、そんな凛が求める繋がりは、関係性の中の誰かが抱いた「恋愛」によって、壊されていくのです……少し「恋愛」が憎らしくさえ感じられますね。 ★★★★★ 『合格のための! やさしい三角関係入門』は2巻しかない小品ではありますが、そこに込められた問題意識は、恋愛観の常識を揺さぶります。 まず「恋愛」は一対一でなくてはならないのか?という事。そして「恋愛」って特別視される割にそれに囚われると辛いばかりだし、他の大切にしたい感情とどれほど差異があるの?という事。 人との繋がりで喜びを得たい筈が、思いもよらない苦しみしか得られなかったりする私たち。そこから逃れるためには、何が必要なのか……本作の斬新な関係が構築される場所で、三人が(特に主人公の真幸が)何を願ったかを読み取ると、恋愛の一歩先にある「強い絆に必要なもの」が見えてくると思います。 ----- 引用 ※1 新R25「結婚しても、1人だけを愛することができなかった」複数人を愛するポリアモリーの恋愛観 https://r25.jp/article/868648564036327116?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=share_on_site&utm_content=pc ※2 『合格のための! やさしい三角関係入門』1巻p72 ※3 Job Rainbow MAGAZINE「ポリアモリーとは?【日本の現状を実践者が解説】」 ライター: Ricke https://jobrainbow.jp/magazine/whatispoliamory ※4 『現代思想 2021 vol.49-10』青土社 ※5 『合格のための! やさしい三角関係入門』 1巻p157 また『現代思想 2021 vol.49-10 特集〈恋愛〉の現在』より、特にポリアモリーについては『ポリアモリーという性愛と文化』(深海菊絵)、クワロマンティックについては『クワロマンティック宣言』(中村香住)より、概念の成立過程から社会における実践まで様々な知見を得、作品の読みを深めることができました。

ゴールデンゴールド

神ですら分からない現代の欲望

ゴールデンゴールド 堀尾省太
hysysk
hysysk

『刻刻』も大好きで本作も本当に楽しく読んでるのだが、先が気になり過ぎて我慢していたコミックDAYSを購読してしまった。今なら遡れば7巻の終わりから最新話まで途切れず読めるしめちゃくちゃ盛り上がってるから今ですよ今! 物語は終盤に差し掛かってるような気がする。7巻で「フクノカミは現代の人間の欲望や価値感覚が分からないのではないか?」という仮説が出てきた。我々は歴史を学ぶ時などに、過去を現在の感覚で捉えて「昔の人はこんなものを信じてたんだなぁ」などと上から目線になってしまいがちだが、実は「過去から現在がどう見えるか」という視点こそが重要なのだ。人間は昔からお金に振り回されてきただろうけど、今のように庶民がお金で頭がいっぱいな時代(株、FX、不動産、インフルエンサー、保険、仮想通貨…)ってあったのだろうか。 そういった「当たり前に過ごしているけど、よくよく考えたら変だぞこれ」っていうものを象徴的に表現するのに、ファンタジックな現象をうまく利用している。細かい描写に一貫性とリアリティがあって安っぽくならない。 堀尾先生自体はあんまりSNSとかやってなさそうなのに、IT系の話題もしっかり消化して小ネタに挟んでて面白い。あと個人的に恋愛描写が好き。心理戦とか駆け引きを描くのがうまいからかな。

東京ヒゴロ

松本大洋ここにきての最高傑作!?

東京ヒゴロ 松本大洋
TKD@マンガの虫
TKD@マンガの虫

『鉄コン筋クリート』やスポーツ漫画の大傑作『ピンポン』を送り出した 漫画界の生きるレジェンド松本大洋待望の最新作 物語は主人公塩沢が30年務めた出版社を退職し漫画編集者として引退したところから始まり、彼が辞めたことで起こる周りの担当作家や編集者達の変化を丁寧に描写していきます。 私が個人的に松本大洋作品前作で通底して素晴らしいと思う点は『人間の暗い部分弱い部分を逃げずに描写するところ』で、例えば大傑作『ピンポン』でも類稀な才能を持ちながら高い壁にぶつかり一度は卓球から逃げ出してしまうペコという場面で自尊心が打ち砕かれた人間の脆さをしっかりと描写しています。 もちろん今作でもそう言った要素が見事に描かれており 例えば、一度は大ヒットを生み出しながらも長い漫画家生活の中で情熱が擦り切れてしまったベテラン作家長作が様々な葛藤を抱えながらもう一度奮起して漫画に向き合う姿が情感たっぷりに描写されており、 私個人としては「もしかしたらそう言った描写に関してはこれまでの作品の中でも一番なんじゃ?」と思っています。 というのも、今作は漫画に関わる人々というおそらく松本先生から見て最も身近なところに生きる人々を書いているので、人間描写がこれまで以上に切実感とリアルさを持っているのではないかと思います。 ここからは読んだ人向けですが、長作が爆音で包まれるパチンコ屋の中で涙を流すシーンには思わずこちらも涙を流してしまいました。