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妹の持っていた一冊の「ポーの一族」が萩尾望都との出会いとなりました。女性作家としては不思議な物語を描く人だなという印象でした。この一冊が記憶のどこかにインプットされたのか,「萩尾望都作品集」を買うことになりました。
第一期は17冊でしたので書棚のスペースをそれほど気にする必要はありませんでした。もちろん,買う前に複数回の読書に耐えることができるかという観点からチェックさせてもらいました。
彼女の初期作品は短編が多く,話しの内容は非常に多岐に渡っています。しかも,恋愛に偏しない作品が多く,これならば将来も折に触れて読むことができると判断しました。
「萩尾望都作品集」には1976年までの作品が収録されており,作者の20代の記念碑が並んでいます。その中には「ポーの一族」「11人いる」「キャベツ畑の遺産相続人」「アメリカンパイ」などのお気に入りの作品が含まれており,他の作品も完成度が高いので30年以上も私の書棚から姿を消すことはありませんでした。
同じ頃,「竹宮恵子作品集」も買いました。しかし,竹宮恵子の作品が本当に輝き出したのは「竹宮恵子作品集」が終了してから執筆された「風と木の詩」「地球へ」「変奏曲シリーズ」などからです。失礼ながらこれらの作品と比較すると初期短篇は奥行きが不足しています。個人的には後期作品に傾倒することになり,書棚のスペースの都合で初期作品集は手放し,お気に入りのものだけをを集めることにしました。
「萩尾望都作品集」には少女漫画らしい恋愛やラブコメディを題材にしたものの他に,死の匂いのするものや人のこころの深奥を覗き込むようなものも含まれています。このような作品はそれまでの少女漫画の世界にはないものであり,少女漫画の地平を広げるものとして注目されました。
1960年代の少女漫画はティーンエイジャーの正当な恋愛ものが主流であり,一部にスポーツ根性ものが見られる程度でした。中には水野英子の「ファイヤー」のように少女漫画の範疇を軽々と越えていくようなものも出てきています。
1960年代末は「花の24年組」が執筆活動を開始した時期であり,少女漫画の新しい展開が始まった時期です。「花の24年組」の一方の旗手であった萩尾望都の初期短篇はまさしく少女漫画に新鮮な息吹を吹き込むものでした。このストーリーと表現の多様さ,さらには完成度の高さは少女漫画に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。
萩尾望都は1969年に講談社の「なかよし」で漫画家デビューを果たしています。しかし,描きたいものが採用されない時期が続き,竹宮恵子に引っ張られる形で発表の場を小学館に移しています。
当時の小学館は少女漫画では他社に後れをとっており,新人発掘に大きな期待をかけていました。講談社でボツにされたコンテを萩尾望都が持ち込んできたとき,編集者の山本は「宝の山だ,次の時代に活躍する」と大きな驚きを感じたと伝えられています。
ただし,萩尾望都が描きたいものは当時の少女漫画の枠をはみ出しており,かつ時代に先んじていましたので山本編集者は「自由に描かせる,ただし,掲載順は読者の反応を確認しながら進める必要があるので僕に任せてくれ」と宣言されたそうです。
20歳そこそこの萩尾望都にとっては理解のある編集者に巡り合うことができたのは幸運なことでした。一方,大きなダイヤの原石をみすみす手放してしまった講談社の編集者がどのように語っているかは伝わっていません。
20代の作品で少女漫画界にインパクトを与えた萩尾望都は30代になると作品の性格がらりと変わっています。変わったというよりは「萩尾望都作品集」にもわずかずつ見え隠れしていた特異なテーマを先鋭化していったように感じられます。
私の書棚には「萩尾望都作品集・第Ⅱ期(17巻)」も並んでいます。このうち「百億の昼と千億の夜」「スターレッド」は好きな作品といえます。しかし,その後の作品は私にとっては次元の深淵の向こう側に行ってしまいました。
恐らく作者にとっては論理的な物語となっているのでしょうが,私にとってはストーリーすら簡単には追っていけない状態です。前期作品集と後期作品集の間にある断絶の大きさにはただただ戸惑うばかりです。