あらすじ

黄海で清国艦隊と交戦中の日本海軍。本隊から遅れた遅速艦「比叡」「扶桑」「赤城」の3艦が清国艦に行く手を塞がれかけ、大ピンチに陥っていた。先行艦を追うべき航路“単縦陣”を維持すれば、右翼から敵艦隊に体当たりされる状況の中、「比叡」艦長・櫻井が採った進路は思いがけないもので…!?
日露戦争物語 1巻

劣勢だった日露戦争で、日本を絶体絶命の危機から救った、大日本帝国海軍中佐・秋山真之(あきやま・さねゆき)作戦参謀。彼を主人公にした、史実に基づく壮大なストーリー。明治7年、秋。四国・松山に秋山淳五郎真之という6歳の少年がいた。淳五郎をはじめとする侍の子供たちは、武士が職を失ってすぐのこの時期、町人の子供たちにいじめられていた。だが淳五郎はどんな仕打ちを受けても決しても怯まず、仲間を助け、相手に立ち向かっていく…。

日露戦争物語 2巻

のぼサンが、白川精一郎に半殺しの目に遭わされた!激怒した淳五郎は、たったひとりで白川の大邸宅に殴り込む。出てきた用心棒を気迫で退けた淳五郎だったが、精一郎の父が真剣を抜いて現れて…。

日露戦争物語 3巻

陸軍の軍人である兄・信三郎と禅寺修行のような生活を送る淳五郎。見かねたのぼサンは、淳五郎にソバをおごる。立ち食いソバを仲良くすするふたり。ところが、側を通りかかったチンピラ風の若い男に、のぼサンの財布がスられてしまった!怒った淳五郎はスリの前に立ちはだかるが…!?

日露戦争物語 4巻

1884年12月、朝鮮の近代化を目指す金玉均らのクーデターは、第一段階においては成功した。だが、アジアのパワーバランスを見切って行われたその計画は、意外なところからほころび始める。そしてそのほころびを突き、袁世凱率いる清国軍の猛攻を受けることとなってしまう…。

日露戦争物語 5巻

明治19年12月。海軍兵学校・第五分隊に属する真之は、上級生の鉄拳指導を食らいつつ、厳しい訓練を積んでいた。そんなある日、短艇(カッター)訓練により、各分隊でスピードを競うことになった。分隊同士の競争はもちろん、船の中では右舷と左舷との勝負となる訓練だったが、スタートしてすぐに、鈴木貫太郎伍長率いる第二分隊がトップを快走する。第二分隊のスピードの秘密が、貫太郎が歌う唄にあると気付いた真之は…?

日露戦争物語(6)

明治23年12月。練習艦「比叡」「金剛」で地中海に入った真之たちは、ロシア皇太子・ニコライを乗せた巨大な戦艦とすれ違った。練習艦の倍以上の威容を誇る戦艦に、真之たちは息を呑む。東洋諸国に軍備を誇示しつつ、“東方を征服せよ”という名の街・ウラジオストックを目指すニコライたち。だが彼らは、日本で数奇な運命に巻き込まれることとなる……!

日露戦争物語(7)

のぼサンは幸田露伴に自分の作品の持ち込みを決行。だが、すぐに読む気配のない露伴にのぼサンは疑問を抱く。感想を聞くため、翌日また露伴宅を訪ねたが、露伴の兄・郡司茂忠(しげただ)に千島列島へ行くようスカウトされてしまう…。

日露戦争物語(8)

帝国海軍連合艦隊参謀の真之は、藩閥がモノをいう古い体質に逆らおうとするが、力づくで物事を進めようとする薩摩出身の上官にこっぴどく打ちのめされる。それでもなお合理的に戦法を説く真之だったが、猪武者のような上官には全く相手にされず、ついにクビを宣告されてしまう…!!

日露戦争物語(9)

朝鮮王妃・閔妃(ミンビ)は、自分の一族を殺した開化派のリーダー・金玉均の暗殺を企んでいた。10年前にクーデターを起こすも失敗し、以来日本に亡命していた金玉均は、日本の世論をリードする福沢諭吉と会い、朝鮮・日本・清国の三国の結束計画をうち明ける。そしてその計画の「最後の一手」を指すべく、清国の実力者・李鴻章のもとへ向かうが…。

日露戦争物語(10)

明治27年7月19日。清国海軍に遅れること3日、日本海軍も佐世保に集結した。現在、朝鮮国内に展開する日本兵は八千。対する清国兵は二千五百。新たに一万の派兵準備を開始した清国軍に対し、日本軍も連合艦隊を編成してこれに対抗する。開戦必至の情勢のなか、「筑紫」の航海士をつとめる真之の心境は…。

日露戦争物語(11)

明治25年12月、岡山県成羽村。日清両国の緊張が高まる中、徴兵された木口小平は、断腸の思いで妻・亀野と離婚して、広島にある歩兵第二十一連隊に赴く。努力のかいあって、2年後には兵士憧れの“ラッパ手”を任され、その音色は仲間から「幸運のラッパ」と言われるほど評判も上々。だが、ついに小平のいる連隊も朝鮮に出陣することになり…。

日露戦争物語(12)

明治27年8月1日。ついに宣戦布告がなされ、日本と清国は交戦状態となった。遭遇すればいつでも発砲できる状況の中、連合艦隊は朝鮮西海岸の隔音群島を仮根拠地とし、秋山真之も砲艦「筑紫」の航海士として待機していた。そして迎えた7日、連合艦隊はついに隔音群島を出発。決戦を求めて清国本土の軍港・威海衛へ…!!

日露戦争物語(13)

明治27年9月15日。平壌包囲軍・南攻担当部隊の戦闘が始まった。第五師団・第二十一連隊長の武田秀山中佐(土佐出身)と、同第十一連隊長の西島助義中佐(長州出身)は、互いにライバル心をむき出しにしながら大同江手前の敵陣を突き崩していく。だが、清国軍はその先に巨大な陣地を隠しており、それに気付かない両隊は…!?

日露戦争物語(14)

南東・北・西の三方向から平壌駐留清国軍を攻める陸軍。だが南東軍は一時撤退を、西の隊は同日の休戦を余儀なくされ、残るは立見少将率いる北側の朔寧部隊のみ。平壌城の城壁に行く手を阻まれ、食糧・弾薬に余裕のない日本軍は焦っていたが、立見は『持久戦は心理戦』と落ち着いていて…。

日露戦争物語(15)

巨艦「定遠」「鎮遠」などの清国北洋艦隊と一触即発状態の中、先頭の“吉野”第一遊撃隊司令・坪井航三少将は、独断で敵の右翼を攻撃する進路を取る。吉野率いる第一遊撃隊は高速力鑑ばかりだが、本隊はどれも低速力鑑であり、狙い撃ちされる危険がある。坪井の戦術を採用するか決めかねている本隊幹部達の下した決断は…!?

日露戦争物語(16)

黄海で清国艦隊と交戦中の日本海軍。本隊から遅れた遅速艦「比叡」「扶桑」「赤城」の3艦が清国艦に行く手を塞がれかけ、大ピンチに陥っていた。先行艦を追うべき航路“単縦陣”を維持すれば、右翼から敵艦隊に体当たりされる状況の中、「比叡」艦長・櫻井が採った進路は思いがけないもので…!?

日露戦争物語(17)

撃沈必至の大ピンチを、なんとか切り抜けた偵察艦「赤城」。傷の治療が終わった艦長代理の佐藤鉄太郎は、一刻も早く艦橋へ戻り指揮を執らねばならない立場だが、臆病風に吹かれて甲板をウロウロ。それを見た兵員たちは、佐藤の行動を“見回り”と誤解し、危機的状況が続いているにもかかわらず、気の緩みから持ち場を離れて艦橋に集まってきてしまい…。

日露戦争物語(18)

緊迫する日清黄海海戦。日本側は旗艦「松島」が大破するも、清国艦隊旗艦「定遠」に大ダメージを与えて速力を奪うことに成功する。一方、「定遠」が炎上するや「済遠」艦長・方伯謙は、艦隊温存のため戦場離脱を決断。それに導かれて他の艦も逃走を始める中、「鎮遠」だけは残された「定遠」に合わせて速度を落とし、日本艦隊を待ち構える。

日露戦争物語(19)

陸の平壌会戦と海の黄海海戦における日本軍勝利の報が伝えられると、当初は大国・清との戦争を不安視していた明治天皇、そして一般国民も戦勝に酔いしれ始めた。だが、朝鮮での日本兵は開戦以来、人夫不足に悩まされ続け、平壌の山県有朋第一軍司令官も「これでは食糧が運べん」とお手上げ状態。やむなく第一軍は進軍を中止し、兵隊自身が人夫となって食糧を運ぶことに…。

日露戦争物語(20)

激戦続く日清戦争。日本陸軍は、第一軍の鴨緑江渡河と第二軍の花園口上陸の同時作戦を展開していた。第一軍の清国領内侵入は、第二軍の花園口上陸作戦の援護、つまり敵軍を清国・朝鮮国境に引きつけ、第二軍の上陸を円滑に行なうための陽動作戦であるはず。だが、山県有朋第一軍司令官の行動が事態を思わぬ方向へ…。

日露戦争物語(21)

1894年10月。旅順を陥落すべく、花園口への上陸を目論む日本陸軍は、鴨緑江の清国陸軍を牽制するための陽動作戦として、大迫少将率いる第五旅団が鴨緑江渡河戦を行なっていた。だが、後続部隊の渡河の遅れにより、日本軍はたちまち劣勢に。この危機を救うべく、立見少将の第十旅団が動き始めるが…!?

日露戦争物語(22)

明治27年11月8日。朝鮮の漢城で総理大臣、外務大臣、度支大臣らと面会した井上馨は、朝鮮の維新を断行させるべく熱弁をふるう。朝鮮国の現権力を握っている大院君とその孫を、現政権から追放すべきと考えていた井上は、今の朝鮮国と幕末のころの日本を重ね合わせ、当時に思いをはせていた…。明治ニッポンから現代が見えてくる話題作、第一部堂々完結!!