じっくりたっぷり繊細に描かれた恋のようなもの
言葉では言いあらわせないような揺れ動く心のうちを、たっぷりと描くのは凄く難しいことなのではないだろうか。 物語が大きく展開するようなわかりやすいものじゃない、愛よりもちょっと手前の、恋というには大きすぎる、でももっとふわふわした曖昧な感情を、ナヲコ先生はじっくりたっぷり繊細に描ききる。 いとこのとり姉のピアノに憧れて、個人レッスンをしてもらうたまこ。 ピアノが好きなのかとり姉が好きなのか、とり姉のピアノが好きなのか思い悩んだり とり姉の憧れの先輩や、とり姉にピアノを教わっていた同級生にもやもやした感情を抱いたり 「それは恋だよ」なんて下世話な読者は言ってしまいたくなるけれど、たまごをあたためるかのようにじっくりたっぷり時間をかけて物語は進んでいく。 物語のはじまりと終わりで、たまこととり姉の関係性は変わった…のかな? はたから見るとなにも変わらないかもしれない、でもその内側はじっくりたっぷり時間をかけて大きく成長しているのがわかる。 『なずなのねいろ』でなずなの子どものような容姿に意味をこめたのと同じように、『プライベートレッスン』ではたまこのピアノの技術が重要な意味を持つ。 台詞が多い物語ではないからこそ、成長したたまこが発する言葉が胸に響く。 ナヲコ先生はどうやら今は活動されていないようなので、もっと作品が読みたかったなと思いつつも出会えたことに感謝したいと思います。
友達に恋をすると、相手を恋人にしたいと思うのと同時に、友達を失うのが怖くなる。そして悩む。私は恋人が欲しいのか、それとも友達が欲しいのか……。実際に欲しいのは、いつも変わらない「あの人の隣」ただそれだけなのではないか?
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従姉妹のとり姉が弾く楽しそうなピアノに惹かれたたまご(本名たまこ)は、とり姉にピアノを教わっている。長年の二人の関係に疑問を持たなかったたまごだが、ふとしたきっかけでピアノと、とり姉の交友関係に向き合うことになる。
私はとり姉が好き!と一方的に想うたまごは「じゃあ、とり姉は誰が好き?」という疑問を初めて持つ。周囲の関係性を理解しても、見えてこないとり姉の心。そして自分のとり姉への「好き」は、恋なのか?心が揺らぐたまごの迷走は歯痒く、痛々しい。
誰かへの心に、恋とか嫉妬とか憧れとか、名前を付けて何らかの関係性に落ち着く事が、本当に欲しい物だろうか?たまごが出す「本当に欲しい答え」と、その真っ直ぐさに心動かされるとり姉の終着点は、物凄く腑に落ちる。そうか、こんな簡単な事だったんだ、と。
最後に二人が、頭をくっつけ寝こける姿に、ホッとする。私もこの安心感が欲しいと、心から思わされる。
(身を寄せて寝こける安心感は、たまごのピアノ仲間の籠原さんのエピソードにも変奏的に登場する。そちらも優しいお話だ)
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『voiceful』『なずなのねいろ』『プライベートレッスン』と、音楽で誰かと繋がる連載を描いたナヲコ先生だが、これ以降姿を消す。HPもTwitterも更新が無い先生の事を案じてしまうが、奇跡の様に残されたこの3作品を、大切に読んでいきたいと思う。
ナヲコ先生の作品、全部最高すぎますね
こんなに心理描写が繊細で上手なひとがいるなんて…と衝撃を受けてます!
いやーナイスクチコミありがとうございます!
本当に、心の動きが繊細に描かれますよね。だから百合を描いてもそうでなくてもエモーショナル。
復活される事を願ってしまう作家さんの一人です。いつかナヲコ先生の商業ショタを読みたい…
いやあほんとに教えてくださってありがとうございます、繊細な揺らぎをこんなに丁寧に描くのが凄いですよね。
ほんとうにほんとうに新作が読みたいですね…!