諸星大二郎試論 ~きわめて視覚的な、きわめて即物的な~にコメントする
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影絵が趣味
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1年以上前
諸星大二郎といえば、民俗学的であったり、神話的であったり、異界的であったり、幻想的であったりと語られ、じっさいに柳田国男の研究書やクトゥルー神話を愛読している一面があったり、扉絵や表紙の絵などからはたしかにシュルレアリスム作家ダリの影響を彷彿とさせずにはいられない。しかし、これら数多の要素は諸星大二郎について何か説明するひとつひとつの所以にはなりえようが、漫画家・諸星大二郎を語るさいの言葉としてはどれをとっても全てを合わせてみても片手落ちになっているような気がしてならない。 さきほどシュルレアリスムという言葉を出したが、これを日本語に訳すと超現実主義となるらしい。超現実とはすなわち、現実を超えるということであり、これを画家という立場に合わせて言うなれば、目に見えない何かを描くということになるだろうか。まさしくそのようにして幻想画家としてのダリが生まれている。ところで、ある種の民俗学にしても、神話にしても、異界にしても、幻想にしても、それらはひとしく目には見えないもののはずだが、じっさいのところ諸星大二郎の漫画ほどよく目に見えるものもないのではないか。衝撃の連載デビュー作となった『妖怪ハンター』では民俗学的な切口から、いきなり異界がひらけて、ヒルコなる怪物との遭遇が為されるが、本来ならば目には見えない異界なるものが、これでもかというぐらい目に見えるように描かれている。さらなる衝撃の長編デビュー作となった『暗黒神話』では、よくよく読んでみればふざけているのではないかと思うぐらい唐突に、これまた異界がひらけて、神話の怪物がしっかりと目に見えるように描かれている。諸星大二郎という作家は、目には見えないはずの、手では触れられないはずの幻想的な何者かとの遭遇をあまりに唐突に意図も簡単に描いてのけ、しかも、それらの怪物たちはふつうの現実の人間であるところの登場人物に、まるで自身の存在が幻想の産物ではないこと示すかのように、抜け目なく傷まで負わせてゆくのである。 まさに『暗黒神話』は主人公の少年が異界の怪物と遭遇するたびに四肢のひとつひとつに傷を受ける物語であったし、『壁男』では壁男が壁ごと人型にくり抜かれて倒れてきてアパートの住人に傷を負わせるし、『鎮守の森』では男がいきなり異界に迷いこみ目に怪我を負いながら十数年も放浪したのちに汚れたそのままの姿でいきなり現実に戻ってくる。 さらには異界やその怪物ばかりではなく、諸星大二郎の真骨頂とも言うべきは、本来は目に見えるはずもない人間の内面の感情のようなものをあっけらかんと視覚的に描いてしまうことにある。まさしく『不安の立像』では不安という名の目に見えない感情が外套の影のような姿で描かれ、『夢の木の下で』ではひとの内面での変化が植物が枯れることで如実に描かれ、『遠い国から』のとある惑星ではひとがもの凄く感動したときにすぐその場で自殺をするように描かれ、『感情のある風景』にいたっては感情がそのまま目に見える文様として描かれている。 諸星大二郎の漫画はこのように幻想的であったり超現実的というより、むしろ、視覚的過剰によるきわめて体験的なものとして私たちの目に飛び込んでくる。そこで私たちは何かの幻想や超現実に想いを馳せる必要などまるでなく、向こうの方からすでにいきなり唐突に、視覚的現実としてそれが目に突き付けられている。 あるいはマッドメンや縄文人をはじめ、身体に傷を負う(入れ墨を負う)という行為は、神や異界の存在を現実のものとして視覚的に示すものだったのかもしれない。

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1年以上前
諸星大二郎といえば、民俗学的であったり、神話的であったり、異界的であったり、幻想的であったりと語られ、じっさいに柳田国男の研究書やクトゥルー神話を愛読している一面があったり、扉絵や表紙の絵などからはたしかにシュルレアリスム作家ダリの影響を彷彿とさせずにはいられない。しかし、これら数多の要素は諸星大二郎について何か説明するひとつひとつの所以にはなりえようが、漫画家・諸星大二郎を語るさいの言葉としてはどれをとっても全てを合わせてみても片手落ちになっているような気がしてならない。 さきほどシュルレアリスムという言葉を出したが、これを日本語に訳すと超現実主義となるらしい。超現実とはすなわち、現実を超えるということであり、これを画家という立場に合わせて言うなれば、目に見えない何かを描くということになるだろうか。まさしくそのようにして幻想画家としてのダリが生まれている。ところで、ある種の民俗学にしても、神話にしても、異界にしても、幻想にしても、それらはひとしく目には見えないもののはずだが、じっさいのところ諸星大二郎の漫画ほどよく目に見えるものもないのではないか。衝撃の連載デビュー作となった『妖怪ハンター』では民俗学的な切口から、いきなり異界がひらけて、ヒルコなる怪物との遭遇が為されるが、本来ならば目には見えない異界なるものが、これでもかというぐらい目に見えるように描かれている。さらなる衝撃の長編デビュー作となった『暗黒神話』では、よくよく読んでみればふざけているのではないかと思うぐらい唐突に、これまた異界がひらけて、神話の怪物がしっかりと目に見えるように描かれている。諸星大二郎という作家は、目には見えないはずの、手では触れられないはずの幻想的な何者かとの遭遇をあまりに唐突に意図も簡単に描いてのけ、しかも、それらの怪物たちはふつうの現実の人間であるところの登場人物に、まるで自身の存在が幻想の産物ではないこと示すかのように、抜け目なく傷まで負わせてゆくのである。 まさに『暗黒神話』は主人公の少年が異界の怪物と遭遇するたびに四肢のひとつひとつに傷を受ける物語であったし、『壁男』では壁男が壁ごと人型にくり抜かれて倒れてきてアパートの住人に傷を負わせるし、『鎮守の森』では男がいきなり異界に迷いこみ目に怪我を負いながら十数年も放浪したのちに汚れたそのままの姿でいきなり現実に戻ってくる。 さらには異界やその怪物ばかりではなく、諸星大二郎の真骨頂とも言うべきは、本来は目に見えるはずもない人間の内面の感情のようなものをあっけらかんと視覚的に描いてしまうことにある。まさしく『不安の立像』では不安という名の目に見えない感情が外套の影のような姿で描かれ、『夢の木の下で』ではひとの内面での変化が植物が枯れることで如実に描かれ、『遠い国から』のとある惑星ではひとがもの凄く感動したときにすぐその場で自殺をするように描かれ、『感情のある風景』にいたっては感情がそのまま目に見える文様として描かれている。 諸星大二郎の漫画はこのように幻想的であったり超現実的というより、むしろ、視覚的過剰によるきわめて体験的なものとして私たちの目に飛び込んでくる。そこで私たちは何かの幻想や超現実に想いを馳せる必要などまるでなく、向こうの方からすでにいきなり唐突に、視覚的現実としてそれが目に突き付けられている。 あるいはマッドメンや縄文人をはじめ、身体に傷を負う(入れ墨を負う)という行為は、神や異界の存在を現実のものとして視覚的に示すものだったのかもしれない。
宝石の国

重さと軽さが同居する、命の話

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アフリカ象とインド象
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大好きな漫画です。 学生の頃、この漫画に狂っていた時期がありました。 友人全員にこれを読めとしつこく勧めて、 読んだ人に対してはお前はこの漫画の何もわかってない!と浅い考察を語る最悪のオタクでした。黒歴史です。 つまり、人を狂わせるほど魅力ある漫画ということとも言えます。言えますね。 とはいえ、こちらは既に多方面で紹介され尽くした人気作でもあります。 今さら自分の稚拙な語彙でレビューしても読むに耐えませんので、 ネットの海に散乱した情報に少しだけ補足をして、読むことを迷っている方の壁を取り払えればと思います。 この漫画が話に上がる時についてくるのが、とんでもない鬱漫画だという話題。 これが読み手の1つのハードルになってしまっていると思います。もったいない! 大丈夫。救いはあります。怖くないです。 確かに取り扱うテーマは重く、展開に心が締め付けられることはありますが、この作品の魅力はそこだけではないです。 素晴らしいのは重厚な世界観の中に、ポップさのエッセンスを忘れず組み込んでいること。 (ここで言うポップさとは、いわゆる大衆に寄り添う心のこと) 会話のテンポ、 キャラの関わり、 かわいらしいジョークのセンス。 そういう要素の節々に、作者である市川春子氏の人柄を感じられます。 そしてその人柄から読み取れるのは、 この人は読者の心をズタズタにしたい訳ではないよ〜。 ということ。 きっと最後まで読み切った方なら共感してくれると思います。 苦しさの先に希望がある。 これは人間の話。命の話。生と死の話。愛の話。宇宙の話。 火の鳥超えてます。ガチ。

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