押見修造先生の表現はどこまで進化するのか
押見修造先生の最新作。新たな代表作である「血の轍」も出身地の群馬県が舞台になっていて実体験がベースにあるような気がしましたが、今作「ひろみ」はよりそれを感じました。ペンタッチがいい意味で力が抜けているのも、頭の中の朧げな記憶をそのまま描き表したい意図があるように思えました。すでに「血の轍」の時点で、研ぎ澄まされた心理描写は誰も真似できない地点にありましたが、押見先生の表現がこれから更に進化することを予感させられますね。物語の展開としてもちろん後編が気になりますが、その前に子供である主人公に罪悪感を植え付けた女教師はマジ許すまじ…!
ゴリラに初恋をしてしまった女性の話。
動物園、ガラス一枚向こうにはゴリさんがいる。
この女性がゴリラに向ける視線は全身をなぞるようにとてもエロティックで、憧れの人に向ける目線のように熱く純粋だ。
そしてそこにゴリさんと気軽に挨拶を交わすライバル(人間の女性)が現れ・・。
すごくかわいらしいお話だった。
でもこの話って何かに置き換えられる気がするなーと思って、ぼんやり考えていたらハッとした。
「のぞき部屋」だ。
利用したことはないが映画などで描かれているのを見たことがある。
「万引き家族」で出てくるのも同じような形態だったかな?
まさに、ガラス1枚隔てた向こう側に対象がいて、悶々として熱い視線を向けている。
同じ対象を複数人が見ている、いわばライバルだ。
男たちは目の前の女性の見た目に幻想を投影し、みっともなく泥臭く自分のものだと主張し取り合う。
だが、見られてる側からしたら多少のサービス精神こそあっても、ガラスの向こう側に気持ちがいくことはなく、プライベートでよろしくやっているのだ。
その関係性を男女逆転させ、風俗を動物園という設定に変えたのがこの作品と考えれば、立体的に見えてきて面白い。
女性に変えただけで(それだけではないが)、みっともなさを可愛らしさのオブラートに包むんでこうも可愛らしくなるのかと感動する。
オチなんかはまさに例で出したソレで笑える。
他の作品を読んだこと無いので読んでみたくなった。