名無し1年以上前編集こういうところにジーンとくるんだけど、マンションの4・5階で柵を掴みながら「この手を離しちゃいかんぞ」ってうずくまっているところとか、下手な漫画家漫画より恐ろしかった0わかるfavoriteわかるreply返信report通報
地獄の田中1年以上前このころのマガジンは読んでいなかったんですが、 梶原一騎・ちばてつや・手塚治虫・矢口高雄・藤子不二雄・ジョージ秋山・永井豪っていう連載陣と肩並べるってすごいなって思いました。青春少年マガジン1978~1983あの頃の少年マガジン
地獄の田中1年以上前このころのマガジンは読んでいなかったんですが、 梶原一騎・ちばてつや・手塚治虫・矢口高雄・藤子不二雄・ジョージ秋山・永井豪っていう連載陣と肩並べるってすごいなって思いました。青春少年マガジン1978~1983あの頃の少年マガジン
名無し1年以上前マガジン創刊50周年ということで小林まことがデビューして「1・2の三四郎」を連載していた1978~1983のあの頃のマガジンの様子を小林まことが描いている。 最初は小林まことのだらしなさとか漫画家仲間とのあれこれが笑えたりするんだけど、週刊連載の過酷さがだんだんでてきて、最後はやるせない悲しみを味わった。 新人3バカトリオのために描いたようないい漫画だった。 ちなみに小林まことの新人賞受賞作の「格闘三兄弟」が巻末に収録されてて読める。青春少年マガジン1978~1983あの頃の少年マガジン
あらすじ家賃8千5百円の四畳半で、新潟から漫画家を夢みてやってきた19歳の小林まこと青年が食中毒で死にかけていた。上京して1年、挫折寸前の小林青年の元に届いた朗報は、少年マガジン新人賞入選!半年前に応募した作品が賞金100万円獲得、即デビューとなった!いきなり開いた漫画界への扉、そして怒涛の週刊連載!瞬く間に新人ラッシュ時代の旗手となる。だが笑いに満ちた青春時代も、やがて終わりを告げ……。続きを読む
こういうところにジーンとくるんだけど、マンションの4・5階で柵を掴みながら「この手を離しちゃいかんぞ」ってうずくまっているところとか、下手な漫画家漫画より恐ろしかった